西尾幹二のインターネット日録

Editor's Monologue
2005年10月28日

女性塾に参加して

長谷川真美
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20051025153305.jpg 日録でも紹介のあった、「建て直そう日本・女性塾」が10月25日(火)11時から、東京のキャピトル東急ホテルで開かれた。その会に私も出席したことは、日録コメント欄と私のブログでも紹介したが、もう少し詳しく報告しておきたい。出席者は約300名、大盛況で、会場にはイスが継ぎ足され、両サイドはテレビカメラが何台も並び、入りきれない人は廊下で話を聞いたとのことである。幸い私は早めに行っていたので、前から5列目に席をとり、その時写した携帯の画像がこれである。

 なお、各パネリストがどんな発言をしたかということについては、ここのブログに簡潔に述べられているので参照していただきたい。

 もともとこの塾は鎌倉の前市議、伊藤玲子さんという女性の信念から出発したものである。女性で議員になっている人は、左翼系が圧倒的に多く、家庭を大切にする保守的な女性は政治の場にほとんど出てこない。そのため、政治の上では、左よりの女性の意見が女性の意見の代表のようにして反映されていく。この悪循環を断ち切るには、保守系の女性議員を育てるしかない・・・・・というお考えだ。民主党や、左派の政党は早くからマドンナ戦術といって、女性議員の擁立や、連携する組織を作っているが、保守系にはそういったものが全くなかった。

 発言力のあるバカな女性が日本を亡ぼすのではないか、という危機感から、伊藤玲子さんのたった一人からの行動が始まった。この女性塾を立ち上げるために、伊藤さんは遠く広島まで、私にも会いに来てくださった。日本全国そうやって、この人、と紹介された女性には飛んで会いに行かれた。多くの賛同者が現れたことは言うまでもない。

 そうして伊藤さんのこの熱意に、自民党の山谷えり子参議院議員が賛同なさり、看板としての塾長を引受けてくださることになった。このことが安倍晋三氏の耳に届き、ご本人がシンポジウムのパネリストに自ら進んでなると言われ、いつのまにやら、この日の大きな会を開く所まで膨らんだのだ。

 中山文部科学大臣も含め、18人もの国会議員がお祝いに駆けつけてくださったそうである。

 この度の衆議院選挙で、自民党女性議員が7名から26名に増えたということだが、そのことを喜んでばかりはいられない。女性であればいいというものではない。今マスコミでもてはやされている女性議員は、当然この会には現れなかったし、保守系とされている女性議員の中にも、左翼と見まがうばかりの人もいるからだ。

 私が教育委員を通常の任期の半分で辞めさせられた時、西尾先生からは市議に出る気はないかと言われた。教科書も、教育も、物事を正していく実際の力はやはり政治なのだというのは、常々感じていることなので、考えないことではなかった。だが、やはり家庭を持っている女性が議員になることは容易なことではない。

 普通の仕事と異なり、議員になれば自分の時間の優先順位が自ずと家庭ではなくなる。多くの普通の女性は、まず自分の家庭を守りたいと思っているはずだ。稲田朋美衆議院議員は、衆議院議員に立候補すると子供さんに言ったときに「いいよ、おかあさんはもともと、死んだと思っているから」と言われたという。家族の理解がない限り、女性が議員になることは男性の数倍困難なことである。

 シンポジウムの終った後、会場を移して立食の懇親会が開かれた。会場は一杯だったが、加瀬英明さん、中村粲さん、西尾先生なども出席されていた。その西尾先生とは、少し遅れてこられ、岡山へ行く予定で時間がなかったうえ、すぐに人に囲まれてしまうので、ほとんどお話することはできなかった。一年ぶりにお会いする私設勝手秘書としては、少し残念ではあった。

 その他インターネットで知り合っていた方の、顔と名前を一致させることができた。会が終るころ、私は何名かの方ともう少しゆっくりお話をしようということで、喫茶店に行くことにした。自分と同じような問題意識を共有する女性は、地元の友人の中にはほとんどいない。ところが、その日出会った女性達とは最初からびんびん響きあえた。すぐに意気投合した。普段は孤立無援のように感じていることが多いのだけれど、仲間がいることを確認できてとても嬉しかった。そのことが、今回の一番の収穫であったかもしれない。

 なぜ女性、女性というのだろうかと思われる方がおられるかもしれない。それは、今問題になっている男女共同参画社会基本法のような、フェミニズムが核となっているものに対して正面切って戦うのは、男性にはなかなか難しいことだからだ。男性がフェミニズムを攻撃すれば、かならず差別だと言われて、攻撃をかわされ、うやむやになってしまう。女性の愚かさは同性である女性が指摘しなくては、なかなか有効に作用しないのだ。実力のある、発言力ある女性の議員が求められる所以である。

 家族や、国や、日本の良きものを壊そうとしている女性に対抗するためには、伝統的な価値観を持つ、ごく普通の日本的な女性が立ち上がるしかないのかもしれない。そんな思いをあの場に集った多くの方々と共有した一日だった。

2005年07月05日

教科書展示会に出かけて

お知らせ

つくる会のホームページでは、文部科学省の許可を受けて、教科書採択の透明化の一環として教科書の一部を公開しています。(約100ページ)

 なお、市販本については、現在扶桑社が諸手続きをしているところであり、時期については未定です。

《テレビ出演》 
TVタックル「靖国問題を徹底討論する」(仮題)
7月11日(月)21時~22時テレビ朝日

《講演》
 「これでよいのか!日本の姿勢」
7月9日(土)午後2時~4時30分
鎌倉市 鶴岡八幡宮境内 直会殿
(JR鎌倉駅下車 徒歩10分、Tel 0467-22-0315)
参加費:  ¥1000
主 催: 教育を考える湘南地区連合会・鎌倉市の学校教育を考える会
      教科書を良くする神奈川県民の会
代表連絡先: Tel 0467-43-2895(木上)

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長谷川真美
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 今話題になっている教科書問題とは、科目ごとにいくつもある教科書会社の15社の中に、中学校の歴史・公民の教科書としてたった1社が参入したことに対する大騒ぎをさしている。

 4年前の教科書採択で、私はその決定権限が法律的にあるとされる教育委員であった。自分で調査し、歴史教科書では扶桑社を推薦する結論を提示したが、選定委員会が答申したものを覆すことはできなかった。その時の経緯については『正論』(2005・5月号)に「今だから明かす、私が教育委員を辞めさせられた理由」で詳しく書いた。あの時の無念をはらすためにも、今年こそは常識的な教科書が日本の中学生の手に渡ることを願っている。この4年の間に、教科書会社は常識を取り戻してきたのだろうか。

 6月中頃から、教科書展示が日本全国で行われた。私の住んでいる市では、7月1日まで展示していると広報に載っていた。つくる会に反対している人のブログでは、扶桑社の教科書は恐ろしいと、根拠のない印象操作で、ありもしない恐怖を煽りたてている。私は真偽を確かめるためにもと、会場に出かけて行った。

 市役所の6階、602会議室が展示場だ。8畳位の大きさの部屋の真ん中に大きなテーブルがあり机の対角線に1m50cmくらい、本がズラッと立てて並べてあった。その他には「本市の使用教科書一覧」「教科別教科用図書採択対象発行者一覧(平成18年~21年度使用)」と裏表に書いてある紙と、アンケート用紙が置いてあった。

 30代くらいの係りの女性――市が雇ったアルバイトだそうである――が一人、静かに机について何かをしていた。一日目は最初から最後まで、他の誰も入ってこなかったので、私と彼女の二人だけ。二日目は60代の男性が入って来た。教育委員会に県の選定資料について、コピーしていいかどうかを聞いてくると言って、出て行ったきり、帰ってこなかったので、両日とも、開いたドアの向こうを市役所の人が通りすぎる気配のほかは、本をめくる音だけが聞えていた。

 今回は中学校の教科書なので学年別も分けて数えると134冊ある。国語にも家庭科にも音楽にも、そして英語にも問題があることが言われているが、これら全部に目を通すわけにはいかない。私は歴史教科書の中で、自分が住んでいる市が採択しており、日本全体のシェアの半分以上を取っている東京書籍を調べることにした。

 幸い、三浦朱門氏編著の「全『歴史教科書』を徹底検証する」や、東京都教育委員会の資料、広島県の選定資料(教育委員会から借りてきた)他、多くの調査資料が手元にあったので、実物をこの目で対比しながら、その指摘している問題点の真偽を確かめることから始めようと思った。その中でもまた、私は歴史上の人物に的を絞ることにした。

 私自身は高校の時には世界史を選択したので、実は日本史は余り詳しいわけではない。そんな私でも知っている人物、私程度の一般的な人間が知っている人物に注目してみればいいのではないかと思った。他の教科書では大体取り上げられているのに、東京書籍には一字も取り上げられていない人物で、特に気になった人物をピックアップしてみたのが以下である。

 明智光秀、新井白石、石田光成、柿本人麻呂、行基、勝海舟、小村寿太郎、、昭和天皇、高杉晋作、東郷平八郎、北条時宗、明治天皇、野口英世、吉田松陰

 小学校の学習指導要領で、必ず学習するようにと指定されている人物も7人いる。明智光秀は、東京書籍以外には全部掲載されている。吉田松陰は、他の教科書会社は一社を除いて全部扱っているが、東京書籍は取り上げていない。どうやって明治維新を説明するのかと思って、その時代のページをめくると、「安政の大獄」が載っていない。索引にもない。小学生では勉強しなくても、中学校では勉強すべき人物達ではないか。

 柳宗悦という人は、朝鮮半島の陶磁器を見直し、それらを作った半島の人々を敬愛した人である、と写真入りで半ページ割いて書いてあった。石井十次という人は他の教科書には全くでてこないが、これも肖像画と関連写真を使い丁寧に説明してある。私は展示場で教科書を読むまで、これらの人物が何をした人か知らなかった。有名な人を省き、無名の人を載せる、このバランスの喪失は近隣諸国への配慮から来ているのだろうか。

 正直いって、本当にがっかりした。従軍慰安婦という言葉は消えたが、それ以外は以前とほとんど変わっていない。

 中学校の歴史の勉強で、その後一生歴史を勉強しない人はたくさんいるはずだ。最小限度の日本の歴史常識のはずなのに、肝心の人物達を教科書に載せないのは犯罪的だとさえ思う。教科書会社最大手の東京書籍が今までと同じように採択されるとなると、日本の半数以上の中学生に歴史常識を養う機会が奪われることにもなる。

 私は
「現在話題になっている歴史教科書を調べてみました。本市が今まで採用している会社の教科書には、明智光秀、新井白石、石田光成、柿本人麻呂、勝海舟、昭和天皇、高杉晋作、東郷平八郎、明治天皇、吉田松陰が載っていません。

 歴史常識を教えることの出来ない、この会社の教科書の採択には反対します。」
とアンケートに書いて帰った。

 どんなに図版が美しくても、どんなに課題学習の提示が豊富でも、歴史常識を教えることが出来なくては、歴史教科書とはいえないのではないか。

2005年06月19日

鹿子木裁判長が与えた憂鬱(追記あり)

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・否定された企業防衛策

我が国初の平時導入型敵対的買収予防策が司法により否定された。
新株予約権差し止め、東京地裁・異議審・高裁・・・まだ記憶に新しいほりえもんの事件を思い出す。最初に司法判断をして強烈な牽制球を投げた裁判長も同じ鹿子木氏。
あの時はニッポン放送が買収を仕掛けられた後の「有事・事後の」新株予約券発行という防衛策が問題となって、ライブドア側の差し止め請求が通った。この事件以降、各企業ともおっとり刀で「平時・事前の(有事に発動する)」買収防衛策を作った。
経済産業省の企業価値研究会でも「論点公開~公正な企業社会のルール形成に向けた提案~」 が公表されている。この資料の126ページ、企業価値研究会 委員名簿を見ると「武井一浩 西村ときわ法律事務所 弁護士」とある。
日経新聞によると実はこのニレコのライツプランは経産省の企業価値研究会の委員をしていた事務所(西村ときわ法律事務所)によるものらしい。

ニレコの企業買収防衛策に対する新株予約権発行差止仮処分命令申立事件の決定を読んだ。東京地裁商事部の鹿子木裁判長の論旨はいたって明快、ここまでくるとあきれるほど。この判断が基準になるなら今回新株予約権スキームを実施したほとんどの企業は発行差し止め処分を食らうことだろう。

H17. 6. 9 東京地方裁判所 平成17年(モ)第6329号 保全異議申立事件
H17. 6.15 東京高等裁判所 平成17年(ラ)第942号 新株予約権発行差止仮処分決定認可決定に対する保全抗告

この判決についてはいろんな専門家がそれぞれの立場で解説するであろうから詳しくは触れない。
(異議審の市村氏、高裁の赤塚氏に比べて、鹿子木判決が一番いやらしいことだけは述べておく)
ここではあえてテクニカルな話題を避け、この判決の根底にある考え方に注目したい。
なぜなら、この東京地裁民事8部というのは今後も実質的に我が国の大多数の企業(上場会社)の管轄裁判所となるのだから。
そして、この二つの地裁決定が今後の我が国の企業買収防衛策に大きな影響を与えることになるのだろう。

しかし、これが罷り通るなら、もう、ムチャクチャだ。
一体どこまで企業の自治に司法判断が踏み込んでくるというのか。
鹿子木氏の論では理想的な経営者とは、いくつかの利害関係者(ステークホルダー)の利害を同時に考えることができる人物となる。そして、必ず一般株主の利益を忘れない人物。しかし、経営者に複数ある利害関係者に対する責任を持たせて、いろいろなことを実行させるということは、結局、経営者の裁量権が増してしまうことになり、最終的にはそれが論理破綻になってしまって、どんな利益も満たせないということにもなりかねないのだが。

本来なら、このような状態で安易に市場経済の活性化のみを目的とした練りこみの足りない新会社法を導入すべきではない。(新会社法では新株予約券の差止請求のみならず、発行無効確認訴訟もできる、そして施行1年後には合併対価の柔軟化により三角合併も可能となる)
経営者が余計なことに気を取られて、本業に没頭できなくなるとしたら本末転倒もはなはだしい。

・株主重視経営と株式市場中心経営は、似て非なるもの

あえて誰も言わない禁句を言おう。
「我が国では会社は株主のものではない」 「企業価値は株価で決まるものでもない」

皆が口には出さないものの、本当は心の底で思っていることだろう。
我が国の会社の成り立ちを考えてみれば誰でも分かることが何故言えなくなったのか。

我が国は間接金融主体の経済であったので、その成長期には銀行融資によって資金調達を行なっていた。そして、それを一所懸命返済してきた。株式市場から会社の成長に必要な資金を調達するところなど殆んど無かったはず。
つまりオーナー経営者ならずとも、会社に関わる全ての人には株式市場の力を借りずに、自分達が会社を大きくしたという自負があったはず。長年会社に勤めてきた従業員が「会社は自分達のもの」と思うのもある意味当たり前とも言えよう。特に短期投資の株主など、株式を売ってしまえばその会社と縁はなくなってしまう。

働く者の心の底では皆が「会社は株主だけのものではない」と思っているのに、いつの間にか会社は株主のものとされてしまっている。岩井克人さんの論とは別の意味で私は会社は株主のものではないと言い切る。従来は日本的産業資本主義、家族的会社制度、金融機関からの資金調達に絡む株式の持合いや系列によって磐石と思われていた日本的社会システム。ところがこれを時代遅れと批判する考え方の勢力が実権を握りだしてこれを解消させてきたことが、現在のような事態を招いたと言えよう。

・株式市場とは長期投資の人も短期投機の人も同時に存在する場所

ほりえもん達の台頭にしたところで、小泉氏や竹中氏の存在抜きには語れない。
当時低迷していた我が国の株式市場に、一般投資家の参加を呼ぶ込むとのことで、2001年の小泉政権の時に株式分割を容易にした。
恐らく株式分割は業績良好、高株価の株式の分割を想定したものだったのだとは思うが、実際にそれを利用したのは、今やほりえもんに代表される新興市場のIT企業だった。
実業の能力には乏しくとも、こういう抜け道には目ざとい彼らは株式分割制度の歪みをついて魔法の杖を手にすることになる。
ライブドアなどは2003年には公募増資して51億円を、昨年の公募増資ではいきなり382億円を手にしている。この背景には、一株を4回にわけて3万分割するという、常識外れのやり方でドーピングして時価総額を極限まで高めた手法がある。
株式を2倍に分割すれば、株価は半分になりそうなものだがここにトリックがある。
株式分割に伴う株券の交換、それにかかる一ヶ月半のタイムラグによる需給バランスの崩れによって株価が高くなるのだ。巨額の資金を持ち短期売買を繰り返す投機的投資家が動き、また、たいしたお金も持っていないくせに、自分も将来お金持ち、とバカな夢を見る自称デイトレーダーがそれに乗せられ、せっせとその手助けをして結果的に社会に対する価値破壊を行なう。そして、それによって手にした資金でこうした会社はまた企業買収を続けていくことになる。時価総額の大きさに比べ収益力が劣るこんな会社は、これを止めるわけには行かない。止めれば待つのは株価の下落しかないのだから。

鹿子木氏の基準では、生産品質や技術の向上のような地道な努力ではなくて、ほりえもんのようなサギまがいの時価総額上げのトリックが真摯な経営努力になるのだろうか。(既存株主にとって不測の損害を与えるという点では、MSCBのような資金調達を行う経営者であるほりえもんはまさにその筆頭なのだが)
このようなことができる日本の株式市場のスキームにこそ歪みがあり、これをこそ是正しなければならないのではないかという考えになぜ至らないのか。
鹿子木氏は分かっているのだろうが日本はアメリカ型の資本主義はできないのだ。
元々の金融システムが根本的に違うのだから。
それなのに、彼のような人達がそれを無視してこんな考えで司法判断を続けていくと、何をどうやってもアメリカの資本主義に負けてしまうことになる。
もっとはっきり言うと、金融力がないといくら産業が強くても、国家は必ず乗っ取られる。
つまり、日本がアメリカの「下請け国家」にならざるをえないということになる。

・株式市場中心主義におけるコーポレートガバナンスの問題

直接金融主体のアメリカ型資本主義の最大の特徴は株式市場至上主義、あるいは時価総額至上主義にある。会社の優劣は市場で判断される。どんなに立派な仕事を行っている企業でも、将来性があっても株価が低ければ価値がない。クリントン政権の労務長官を務めたロバート・B. ライシュは『勝者の代償』(東洋経済新報社)の中でこう言っている。
かつての経営者支配の時代には、労働者は限られた労働強度の中でその雇用は安定していた。底辺の労働者の賃金は上がり、経営トップの報酬は制限されて、賃金格差は縮小した。労働者の平均賃金が持続的に上昇することによって、中流階級が拡大した。
 ところが、九〇年代以降こうした状況は急変することになった。企業は、いまでは、従業員や地域社会や一般大衆に対する責任を果たさなくなった。経営者の唯一の任務は株価を最大にすることであり、そのことにより自分の報酬を高めることである。企業はコスト削減のため、リストラを繰り返し、労働者の安定した雇用は消滅した。労働者は収入を得るために以前よりもはるかに継続した努力を求められ、長く働き、家庭にも仕事を持ち込まざるを得なくなった。この求めに応じられない労働者は下層に転落して行った。こうして、不平等はおどろくほど拡大した。

アメリカ経済の帰結は、金融資本による独裁とも言える。

・むしり取りの構図

その金融資本にいく金が、結局は我が国が稼いだ金であることが一層私を苛立たせる。
アメリカは実業は下手でも、マネーゲームだけはとても上手い。株、為替、M&Aなどのゼロサムゲームになると、アングロサクソンであるアメリカは本当に強い。
ここ数年のアメリカは貿易では大赤字、ただし金融資本による富のむしりとり-海外直接投資-では受取超過となっている。アメリカの03年海外直接投資収益率は10.3%。対日投資収益率は13.9%にも達する。逆に、米国以外の国からの対米直接投資の利益率は、平均で4.2%(欧州が4.5%。日本は5%)。要するにアメリカの一人勝ち、そして、特にむしりとられ方が激しいのが日本である。アメリカ金融資本にとって日本は「おいしい植民地」なのだ。
ただし、日本は製造業中心で5%の収益を上げている。しかも、地域に根ざした雇用をつくりだしている5%である。雇用を生まないマネーゲームの13.9%とどちらが社会的価値があるだろうか。
政治力をも利用したアメリカ企業の収奪ぶりはすさまじい。しかし、我が国で同じ事を今後もやらせることを許すわけにはいかない。小泉改革がアメリカの利益を計るための方向性をもって推進される-私にはそうとしか思えない-のを止めねばならない。(数字は米国国務省「International Investment Position of the U.S.」より、参考「WEDGE」4月号10-12ページ)

日本は金融資本を欧米型にせず、土地をベ一スにした資本を産業に投下することで発展してきた。そして、一所懸命に努力し、いいものを安くつくることで成功し、資本を蓄えた。
しかし、ほりえもんや竹中氏と根っこのところでは同じ考え方の鹿子木氏のような人達が、自らの無謬性を信じて亡国の司法判断を繰り返していけば、その蓄えは、結局はアメリカの金融資本に取られ、最後には我が国の主要な全産業が「下請け」にされてしまう。
政府が巨額の税金を投入した長銀を、アメリカの投資会社リップルウッドが買い取って新生銀行になったのも、旧日債銀をソフトバンク、オリックス、東京海上火災の3社連合が買い取ったのも、みな同じ構図。
そして、この流れは、これからいっそう激しくなろうとしている。
日債銀の破綻後の一連の出来事などは、合法的に行われた一種の強奪だったとも言えよう。
本来、このようなことは政府が規制するべきものである。
しかし実際には4兆円強の公的資金、つまり税金が投入されていたにも関わらず、自分の都合のみでソフトバンクの孫氏は490億円で買ったあおぞら銀株を1011億円でサーベラスにさっさと売却した。しかし、これは彼の信ずる経済合理性に基づき、合法的に可能な限り早く多くの利益をあげただけである。小泉氏や竹中氏といった市場原理主義者がいつも言っていることを投機家として行っただけにすぎない。
旧日債銀だけでも、幼児も含め国民1人あたり3万6000円を負担した計算になるのだが。
そして、その後こういうことがあったことも見ておかねばならない。
楽天 株式会社あおぞらカードの株式譲受
ヤフー、あおぞら信託を傘下に収めてネット銀行業参入へ

完全にもてあそばれている。政治家のみならず、我が国の国民も。
従業員、顧客、地域社会のいずれも考慮されることのない資本家中心の経済理論など、アメリカのむしりとり植民地経営正当化の詭弁にすぎない。郵政民営化にしても政府機関が民営化されれば、資本家がそれを買い取り、またも同じ事が起きるのが当然の帰結になるやもしれぬことも声を大にして言う人がいない。

さて、鹿子木氏はこれらの事例を十分に承知の上で、一体どんな考えを持って訳の分からない持論で裁いてきて、今後はどうするというのか。

・アメリカの言うことは本当に正しいのか

もともと、欧米でできあがった資本主義というものは、資本家を中心としたものであり、極端に言えば金貸しの利益と権利最優先である。ただし、鵜飼の鵜がいなくなって鵜匠だけになっても困る。だから、支配者からすれば、生かさず殺さずというのが丁度良い。いまの日本はアメリカニズムとその信奉者によって、そういう状態に置かれようとしている。

日本の問題点が政財の癒着体質と情報公開不足にあるとするアメリカ政府の主張を正しいとする人に問いたい、エンロンやワールドコムの事件が示すようにアメリカの方が我が国以上に腐敗と癒着体質、情報公開不足が多かったのではないか。 アメリカの突きつける年次改革要望書は情報公開や腐敗防止策をさせることで我が国経済を脆弱にし、乗っ取りやすくすることが目的ではないのか。
そういうバカな話を真に受けてきて我が国のシステム全体が歪んでしまっているのだから、このままアメリカの要望のままに部分的に変えていっても、もうダメだということに気付くべきだ。

西尾幹ニ先生が「ライブドア騒動の役者たち」で鹿子木氏について、既に4月に彼の無国籍思想の危うさを語っておられたが、その時は買収攻防のスキームにばかり目がいってしまい、さして気にも留めなかった。これは私のみならず専門家もほとんどそうではなかったろうかと思う。確か「正論」だったかと思うが、「民族への責任」という近著に所収されている。あの時どうして誰も気付かなかったのか。そうすればこんなばかげたことの繰り返しは起こらなかったのかもしれない。

いや、今からでも遅くない。
この判決には強い意思を持って、国民世論としての異議を申し立てるべきである。このような判例を既定路線とさせて良いはずがない。
労働の対価としての賃金のみで満足し、企業が生み出す経済的付加価値は海外に流出してよいという人がいるなら別だが。
その場合には、我が国の経済は崩壊する。

企業価値の優劣すら企業へ判断をゆだねることは許されず、もっと司法判断を仰げというようなわけの分からない判決。
極論を言ってしまえば平時における買収防衛策の導入自体を否定しているのだ、鹿子木氏達は。
一体誰の損害を念頭においてこのようなことを言うのか、彼等は。

鹿子木氏はアメリカ帝国主義の走狗となりたいのだろうか。
我々日本人を下請け奴隷にしたいのか。
そういう人間を法匪と呼ぶのに私は何のためらいも覚えない。

福井雅晴
Ph. D in Economics Univ. of California,Berkeley

以下に追記あり
24,June '05

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