2006年07月07日
レジュメの中の一、のみを前回示した。今回お示しする二、以下も聴衆に配った要旨である。これだけ見ても多分読者には何のことかよく分らないだろう。
各個条に少しづつ説明を加えれば多少分り易くなるだろうが、そんなふうにして分り易くすることは本旨に反する。一番いいのは全文を掲げることだが、それができないので申し訳ないがレジュメだけを掲示する。「日録」は私の覚書きでもあり、メモでもあるからやむを得ない。
二、 宣長の「やまとだましひ」
つひにゆく 道とはかねて 聞しかど きのふけふとは 思はざりしを
(『古今集』業平の朝臣)
三、 漢意(からごころ)と西洋崇拝
もろこしのまなびする人、かの國になき事の、御國にあるをば、文盲(モンマウ)なる事と、おとしむるを、もろこしにもあることゝだにいへば、さてゆるすは、いかにぞや、もろこしには、すべて文盲なる事は、なき物とやこゝろえたるらむ、かの國の學びするともがらは、よろづにかしこげに、物いはいえども、かゝるおろかなる事も有けり
(『玉勝間』七の巻)
四、 古事記と不定の神
いわゆる超越原理、なんらかの規範のある民族が多いが、日本人にはそれがない。
ユダヤ人の律法、ギリシア人のロゴス、インド人の法(ダルマ)、中国人の礼(または道)
五、 自画像を描けない日本人
日本人がこれから目指すべき歴史観は、日本から見た世界史でなければならない。シナから見た世界史であってもいけないし、西洋から見た世界史であってもいけない。日本から見た世界史の中に置かれた日本史――これでなければ今後はやっていけまい。
日本人は一面では自分を主張しないで済む、何か鷹揚とした世界宇宙の中に生きているのではないか。
六、 宣長の覚悟
道あるが故に道てふ言(こと)なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり
(『直毘霊』)
七、 江戸儒学(合理主義)のカミの扱い
神代と人代との断絶の意識
林羅山、鷲峰の『本朝通鑑』、水戸光圀の『大日本史』、新井白石の『古史通』にみる「神とはヒトなり」
八、 孔子以前の世界を見ていた徂徠はカミを志向する
論語とは聖人の言にして門人の辞也。之を聖人の文と謂ふ者は惑(まどひ)なり
(『論語徴』題言)
蓋し天なる者は得て測る可からざる者也
(『辮名』)
九、 儒学が日本人に与えた歴史意識、国家意識――徂徠から宣長へのドラマ
時間の関係で松山では六、まで、拓大では全部のテーマに一応は触れることができた。
例によってあちこち脱線して、三、では「もろこしにもあることゝだにいえば、さてゆるすは、いかにぞや」は、「欧米が評価することだといえばそうだそうだと承認する風潮ははたしていかがなものであろう」と翻訳することもできるだろう、と言った。漱石や鴎外の西欧体験、小林秀雄のゴッホやモーツァルトの話にもなった。
仏教はインドの地で大乗や密教にいたるまで歴史的全展開を終えたのに文献のかけら、痕跡も残っていない。他方キリスト教はイスラエルではほとんど展開せず、ヨーロッパに渡ってから東ローマ帝国や西ローマ帝国でそれぞれ深化し発展した。まるきり関係が逆であるのは面白いという話にもなった。
本居宣長は日本語の固有の表記法が最初からあるかのように考えているらしいが、今の研究では古代の日本人は漢詩作成で初めて文字で詩を書くことを知ったと考えられている。日本の歌謡はずっと口誦で来て、文字表現への欲求は和歌の内部からは誕生しなかった。
日本人の文字利用への切っ掛けは歌謡や祈りや呪術からではなく、通商、政治、外交からであった、という話もした。
みんなそれぞれ脱線した自由な話題の一つである。文字と古代日本人のテーマは神秘的で、多分関係があると推理しているだけだがと断って、私が伊勢神宮で体験した、祝詞の文字を決して外に出さない不可思議に、一種の文化ショックを経験した、という話も語った。
日本のカミはカミであって神ではなくましてやGODではないとも言った。「神話」は中国語にも日本古来の語にもなく、mythosの明治新造訳語であり、「新聞」や「電話」や「百貨店」と同じように逆に中国に伝えられたのだという面白い話も言い添えた。
拓大では2時間30分も許されたので、脱線もたっぷり可能で、話していて楽しかった。終って井尻さんから、2時間半も立ちっぱなしで熱弁をふるわれお疲れでしょう、としきりにねぎらわれたが、疲れたという感じはまったくなかった。
茗荷谷のお魚のおいしい店で井尻さんや拓大のスタッフの皆さんと楽しい時間をすごした。喋った後のビールの一口は何ともこたえられない。
翌日同席していた宮崎正弘さんからメールが入っていた。「拓殖大学講義は大変有意義でした。江戸のダイナミズム、いよいよ刊行が楽しみです。」
『江戸のダイナミズム』は少しづつ完成に近づいている。本文テキスト1100枚、注180枚の予定。
(了)
2006年07月06日
松山はいつ来ても緑の山が町の真中にあって、路面電車がゆっくり走っていて、長閑でいい。銘酒梅錦がまたことのほかに私の好みに適っている。
6月30日久光製薬のモーラステープ発売10周年記念講演会に招かれ、当地の外科のお医者さんを中心とした皆様に、全日空ホテルで講演をし、代表の愛媛大学の山本晴康教授(整形外科)ほか2名の方々と、夜は期待した通りホテル内の料亭で梅錦を愛飲させていたゞいた。
お迎え下さった山本教授がまた竹を割ったようなご気性、明朗豁達を絵に描いたような御方で、私の本の久しい愛読者でもあられたので、話ははずんだ。酒もつい深酒となった次第だ。
この講演会は大分前に企画されていた。テーマも乞われて三つほど先に私が提案してあって、山本教授が選んで下さっていた。私がいまどんなテーマで話をするのを好むか、少しここで紹介しておきたい。
私は講演を依頼されると三つテーマをつねに提示している。(1)古き良き日本人の心(日本人の魂を考える)、(2)二つの前史――歴史は連続している、(3)皇位継承問題を考える。
(1)は本居宣長のことばを中心に展開することにしている。(2)は、これだけでは少し分りにくいと思う。江戸時代は近代日本の母胎であり、戦争は戦後の繁栄の前提であるという「二つの前史」を具体的な数多くの事例で説明する。そして、明治維新と昭和20年は歴史の切れ目では決してないこと、歴史は連続していることを説いている。(3)は説明を要すまい。男系継承と万世一系の維持をOHPの系図説明で分り易く説明している。
どういうわけか最近は(3)が減った。急にこのテーマは関心のピークを越したのかもしれない。山本教授は(1)を選んで下さっていた。これは私には具合が良かった。7月4日に拓殖大学日本文化研究所(所長井尻千男氏)の公開講座「新日本学」の最終の第十二講を担当することになっていて、ほゞ同内容を語る予定だったので、私としては3日置いての登壇で、やり易い。与えられた時間は松山では1時間、拓大では2時間である。当然話の密度が異なるけれども、方向は大略同じである。
どんな話をしたか、これをいま書き誌すのは難しい。冒頭、日本人が歪みをもった茶器を好むのを永く不思議に思っていた呉善花さんが、ご両親を日本に招いて、信楽の茶碗にご飯を盛って出すと、「あんな犬の茶碗のようなみっともないものを捨てて」といわれるエピソードから、日本人の風雅として通例いわれている器の歪みを考えてみる。
次いで、万葉学者中西進氏の、花は満開のときだけがいいのではない、月は満月だけがいいのではない、という徒然草の有名な一節をあげて、宴のあとなど、盛大に何かしたあとには哀感がただよう。ある俳人が「何もなき菊人形の出口かな」という句をつくった。菊人形という華麗なものがあって、それを見終って、出口にはなにもないその空虚を見たときに初めて何かを感じる。徒然草の一節はそういう意味だろう。
「そこまで考えて、私はハッと気づいた。われわれの命は、生きていることだけを見ていては、命を見つめたといえないのではないか、ということだ。『生』がないもの、『死』というものを含めて見なければ、本当の命を見たとはいえない」(中西進 『日本人とは何か』)
以上、呉善花さんと中西進さんのお考えの二例はこれはこれでいいのだが、じつはここから私の講演は始まるのです、と私は言った。いま、申し上げた内容を本居宣長は全部ひっくり返している。そんなのは「つくり風流(みやび)」だと言っている。宣長は兼好法師が大嫌いなのです、仏教の影響を受けた風雅が大嫌いなのです、と。
という風にして話を大逆転させ、本題にズカズカと入っていく。講演の全体を記すわけにはいかない。
私の作成したレジュメをここに掲示する。ここから何とか想像していたゞきたい。
新日本学(拓殖大学)平18・7.4
講義参考資料
西尾幹二
一、 つくり風流(みやび)について
みな花はさかりをのどかに見まほしく、月はくまなからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを嘆きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん
(『玉勝間』四の巻)
つづく
2005年12月24日
私は今日ずっと最初からお話したことの中では、この国家のことを強く意識する時代、民族を強く意識する時代は国境観念が希薄になるということを一貫してお話したつもりであります。
歴史は物語りだというのも、国境観念が希薄になるということに結果としてなるのではないかと私は思っているわけです。つまり、半分自分は世界の中の一つだと言う自覚が明確にないと、そうすると結局自己喪失に陥っているのではないか。それは、私が一番いいたいテーマでありまして、今現在、これから今、天皇の問題が本当に危くなっちゃっているのは何が原因かと言うと、本当は我々が無自覚に天皇ということを信奉していて、あまりそれを自覚的に意識してこなかったこともあると思います。
これは、天皇が危うくなっているという、この今の時代は天皇の外にある原理と言うものを日本人が信じないということにあるんじゃないか。つまり、我々は、福田さんが最初におっしゃったことですが、我々は、二重性を持って生きなくてはならないと。天皇を否定するのではなくて、天皇と別に並存する何かの理想がなくちゃいけない。そういうものの理想を我々は過去において、中国の儒教に求め、また、ヨーロッパのキリスト教、近代文明に求めた、そういうことだったと思うんです。
で、それがあったために、天皇を信ずる、あるいはまた日本の民族を信ずるということとバランスが取れていた。ところが外なるものの明確な理想像を失ってしまったために、軸が一つになってしまうと、今のような、天皇もどうでもよくしてしまうような、「有識者会議」とやらのやっているようなことが起こってくるのではないかと思う。
つまり、日本文化の優位と言うことを言うのではなくて、歴史の独自性というのはあくまで、認めるんですけれども、この自分の優位と言うことだけを言っていると、相対の泥沼に入っちゃうよと、いうことが私のずっと考えてきている一つの問題であります。我々は、どうやって他者を認識できるか、その問題に直面しているのではないかと。それをちゃんとしていないから、今度は一番大切に思っていた、自分の神様を根底から失ってしまう。
つまり、これは皇室典範有識者会議の人たちはまるでなんか、頭の中が真っ白な人たちですが、大真面目に議論している。あんな知性も位も高い人たちがなんで、こんな馬鹿なことしか考えていないのかというのが、本当の真の驚きなんです。その真の驚きはどこから来るかといいますと、私たちが本当に歴史を失っているということなんでしょうけれども、ただそれは、そう喘ぐことばかりではなくて、私たちが外に理想を失っていることに原因があるんじゃないか。
私たちは、二重の理想をかかげて生きる、二重性をもって生きなければならないのではないかと思います。
2005年12月22日
私の若い友人だった坂本多加雄君の書いたものをじっと読んでいると、なんか死の一点に向かって歩んでいるところがあるんですよね。不思議でしょうがないのです。現代では52歳の死は夭折ですからね。
彼が歴史は「物語り」だと言ったことはよく知られております。つまり、国家と言うのは歴史という物語の一貫性の中に根拠がある、みんなが人々が共有する物語の内部に、人々がすんでいる。彼は、例えば旧東ドイツを例に挙げ、旧東ドイツは、自らがナチスドイツとは関係がないということを神話にした国家であると言っております。
そうなると、これは、坂本さんは挙げていないけれども、金日成の抗日戦、日本に対する戦いを神話とした朝鮮民主主義人民共和国もそれなりに国家の来歴、物語りを持っているということになるんじゃないかと言いたくなるわけです。
とにかく、そういう意味でそれぞれの国家は、それぞれの来歴を持ち、物語りを持ち、そこに歴史認識が成り立つ。これは教科書をつくる会としてはありがたい、便利な思想でしたが、しかし、すごく危ない思想なんです。私は、危ないなと思いました。そのときも思ったし、彼にも言ったかもしれませんが、亡くなった後で、私は書きました。
これは、歴史は民族の外にはないと言っているのと同じですから。つまり、歴史は物語りで、民族の物語りだと言ったら、もうそれはさっき言ったように、東ドイツも北朝鮮もということになってくるし、日本もその内の一つかと言う話になっちゃう。これは、すごく危ない話で、歴史はそうすると客観的な歴史と言うものは否定するし、人類の歴史、世界の歴史というのを否定することになるんじゃないかと。そういうようなことを私は、思ったわけであります。
そのような私の坂本君に対する思い、つまり坂本君に対して向けた疑問と言うのが、福田恆存先生が三島先生に向けた疑問とどこかパラレルではないかと言う気がいたしております。
坂本君も、死と言うのが契機になって、歴史を考えている。ご自分の死も問題になるんでしょうけれども、そうではなくて、日本の歴史が死に面したことが過去に二度あったと彼は言う。すなわち、幕末と終戦。19世紀初頭と8月15日。
これは日本の民族が死を意識したときで、このときよみがえった観念こそが、思い出、歴史の喚起、すなわち国体の観念であると、そういう意味で死を契機としたときに初めて危機感から初めて、国家、こういう意味での民族。
2005年12月20日
つまり日本人で国境意識というものを生み出したのは、中国を学んだ儒者達ですが、中国そのものには、国境観念がない。本国の儒教と学んだ儒教との違いを今申し上げているわけです。
そこでパラドックスは次に移るのですが、これも仮説ということを理解していただきたいのです。国学というのが儒学の中から出てきますが、この国学というのはどういうわけか、国境観念を持っていないんです、実は。
本居宣長は、これはじつに不思議なことなんですが、国学は、天照大神は日本一国の神ではなくて、全世界普遍の神だというふうに信じるわけです。したがって、国学の考え方は中国の儒教にむしろ似ている。そういう意味では、国境の観念がないんです。天照大神は、全世界の神であると。これで通用しろと言っているわけですから、ここから国境意識は生まれません。
つまり、本居宣長には、元々政治から離れるという意識がずっとありまして、彼からは国家を構想する力はでてこない。国学には国家観念が希薄だといわれます。内面的文学的すぎるのであります。宣長はね。それはそれでいいんです。
ですから、日本の日本たるもの、国家イデオロギーが出てくるのは初期の儒学者と、それからずっと下って水戸学が出てくる幕末です、国家意識が。水戸学がそれを可能にしたわけですけれども、これは初期儒学者たちの、影響が幕末にでてきたということです。それが、水戸学です。
さて、三島さんは水戸学ではなく、この本居宣長に似ているんです。天照大神は日本一国の神ではなくて、全世界普遍の神だと。三島さんの天皇論は、読むとどこまでもそういう感じがします。どこまでも、日本の天皇は「特殊」だ、「普遍」だという話ではないんです。突き抜けてその先が、彼はその先が普遍だといいたいのでしょうが、普遍とか特殊ということは、ここではやめる、そういうことに捕われないということでしょう。
天照大神は全世界の神である、それを貫くというのが、三島さんの精神運動であったと思います。そして、ここから一つ逆転して考えるのですが、本居宣長や国学が盛んに唱えられる時代というのは不幸な時代とよく言われます。戦時中の日本は国学が流行します。そして三島さんが、「今日に至る戦後日本、これはやはりこの国が、決して幸福な安定した国家ではない、ある危機が宿っている」と言っている。ということは、宣長も三島さんにも、国家というか天皇というものを突き抜けてそれが、世界の普遍の神だと言わざるを得ないような、情熱があるということは、これはある意味でこの国が、大きな危機に晒されているということを物語っているのではないかと、私にはそんな風に思えます。
2005年12月18日
先ほど、福田恆存氏と三島由紀夫氏の違いに西洋観があるのではないか、前者には国境の観念があるが、三島さんは国境の観念を突き抜けてしまうところがあると、逆にいえば、三島さんには他者としてのヨーロッパというのがあまりないのかもしれないということを申し上げたつもりでございます。
これは、日本が「特殊」で、ヨーロッパは「普遍」だとか、そういう話ではございませんから、誤解のないようにと再度申し上げておきます。
しかし、ヨーロッパを意識する前の日本はどうであったかという問題を、ものすごい大きな尺度で取り上げてみたいと思います。
ともうしますのは、今の時代はヨーロッパ対日本というよりも、中国というものが大きくクローズアップされてきました。「現代に生きていたら三島は何を考えるか、どう考えるか」というのが今回のシンポジウムのテーマですから、中国がこれだけクローズアップされた時代にあって、我々はどう考えるかというと、江戸時代をとり上げてみる必要がある。江戸時代の日本というものは結局中国を意識することでヨーロッパを意識した日本人と対比されるべきであろうと思うからであります。
実は、ヨーロッパを意識する前の日本で、国境を意識させたのは中国の存在であり、そうしたのは日本の儒者達だったということです。日本の儒者達は初めて日本に、日本的なものというものを自覚させたわけであります。中国を他者として認識した。中国は国境観念を日本人に結晶させた。ところが、ここからがものすごいパラドックスに満ちているのです。
その反対に、中国人にはそもそも国境の観念がないのではないか、ということです。つまり、中国の観念の中に、『詩経』のなかに「普天の下王土にあらざるはなし」と、大空の下、どこまで、どこまで行っても、王の土地であって、自分がどんどん膨張して行って天下と一体になってしまうという、そういう考えがあります。それが中国です。広大無辺な地域に住む中国人は、自分が世界の中心だというふうに見なしている、とよく言われますが、それはつまり、他者がいないということであります。中国人には他者がいないということです。
つまり、近代的な意味だけではなく、もともと中国人には国境の観念がないのではないかと思う。自分を限定して認識することがない国民ではないかということを一つの仮説として出してみたいわけです。
ところがさらに、ものすごい逆説的なことなんですが、江戸時代になって中国を学んだ儒者達が、儒学(朱子学)を日本が直輸入したと思った途端に、日本の国家観念が生まれた、ということなんです。
つまり、これは面白い逆説でございまして、林羅山、熊沢蕃山、あるいはまた中江藤樹、山鹿素行などは皆中国の観念を受け入れたかもしれないけれど、「中華の『華』はわが日本なり」と、「我が朝廷こそ中国の華だ」と言い出したのは初期儒学者たちです。
2005年12月16日
お二人には、西洋観の違いがある。西洋に対する、ヨーロッパに対する見方の違いがある。だからといって福田さんが言っていることを「普遍」と「特殊」というと、誤解を招きます。正確じゃない。日本は「特殊」で、ヨーロッパは「普遍」だ、「普遍」が大事だと福田さんが言っているという、そういう図式は建てたくない。
そうじゃなくて、外にあるものに対する自己限界みたいなものが、福田さんには非常につよい。それに対して、三島さんには国境の観念がないのです。これは、ある意味ではすごいことです。ある意味では、突き抜けちゃっているんです。
だから根源的には他者も自分も一つだったかもしれない。天皇に突き抜けていくこの情熱そいうのは、ここで言っていることは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの反対の極のところに出て行ってしまう。そういう意味で天皇が尊いんだから、天皇が自由を縛られても仕方がない。その根源にあるのは、とにかく、お祭りだということです。天皇がなすべきことは、お祭り、お祭りと彼はいう。
このお祭りというのは、祭祀ということで、今日朝日新聞で、岩井克己さんという編集員で、この方は立派な方ですが、皇室典範のことを問題に出していて、天皇のこの宮中のつまり、23日夜か24日未明にかけて闇に包まれた宮中参殿の紫宸殿で最も重い祭祀の一つのおこなわれるという、この祭祀のお話を新嘗祭、これはお祭りなんですね、この祭りをやる天皇というのが、三島さんの言っている天皇で、これは、普遍でもなければ、特殊でもない。それを突き抜けちゃって、何か外へ出て行こうとするんですね。
それに対して、福田さんはやはり常識の人です。小林秀雄の言ったような意味での広い意味での常識の人ですから、国家というものを超えるものを意識している。国家のエゴイズムを押さえるとは何かを気にしている。国境観というものがある。その二つの対比を私は、ヨーロッパではなくし次には中国を意識した江戸時代の日本人はどうだったか。そして三島さんに比すべき人として、本居宣長にも国境意識がないということを取り上げてみたい。この話は続けたいと思います。
2005年12月14日
シンポジウムの発言は一人約6分、それを三回に分けて語ったので、自由討論は成り立たなかった。時間が少なく討論にはならないと私はいち早く見て、三回で全体がまとまるような話の展開にした。以下に私の発言部分だけを(二)から(七)で掲示したい。
尚シンポジウムは全文が『月刊日本』に掲載されると聞いている。
(二)
西尾幹二 昭和42年―43年当時、『論争ジャーナル』という月刊誌があり、ここを據点に保守系論客が結集していました。当時はまだ『諸君!』も『正論』もなく、『自由』とこの雑誌だけでした。
その11月号で福田恆存氏が三島由紀夫氏との対談で、西欧の王室と天皇とを比較してこんなことを言っています。
「エリザベス女王はカンタベリー大僧正によって戴冠式を行なふ。ちやんと二つに分けてある。ところが、天皇は自分で自分に戴冠しなければならない。」
すると三島さんが
「それは日本の天皇の一番つらいところだよ。同時に神権政治と王権政治が一つのものになってゐるといふ形態を守るには、天皇は現代社会で人より一番つらいことをしなければならない。それを覚悟していただかなければならない。といふのが僕の天皇論だよ。皇太子にも覚悟していらっしゃるかどうかを僕は非常に言ひたいことです。」
こう述べる三島さんに対して、福田恆存氏が、 「今の皇太子には無理ですよ。天皇も生物学などやるべきぢやないですよ。」
三島氏が続けて 「やるべきぢやないよ。あんなものは」福田恆存氏が 「生物学など、下賎な者のやることですよ。政治家がさういふ風にしちやつたんだけど」
三島さん 「ただ、お祭りなんだ。天皇は、お祭りなんだ」
ここで天皇というのは昭和天皇、皇太子は今上陛下です。
こういう対話が、昭和42年(1967)年の『論争ジャーナル』で行われた。当時この雑誌には村松剛氏、日沼倫太郎氏、高坂正堯氏、遠藤周作氏、佐伯彰一氏などが、多く寄稿しまして、私も一番若い世代として参加しておりました。
当時の『論争ジャーナル』は、精神的に「楯の会」の母体のような位置にあり、そこで活躍していた人々の、私は最後の残党でございます。
ここまでは本当は何を二人が言っているのかよく分からないのですが、こんな風な、活発な、赤裸々な対話が昭和42年の11月号に載っております。
そこで福田恆存氏が、次のようにかなり手厳しいことをおっしゃっている。
「僕にとって、問題なのは、エゴイズムの処理なんですよ。個人のエゴイズムといふのは、ときには国家の名において押さへなければならない。それなら、国家のエゴイズムといふのは何によつて押さへるかといふと、この原理は、天皇制によつては出てこないだらう。日本の国家のエゴイズムを押えへるといふことは、天皇制から出てこない。僕は、天皇制を否定するんぢやなくて、天皇制ともう一つ併存するなにかがなくちやいけない。絶対天皇制といふのは、どうもまずいんだ。(中略)天皇制の必要と、それを超える――これは優位といふ意味ぢやなくて――他の原理を立てなければならない・・・・・・」
これは、三島さんの当時の生き方に対する、ある種のアンチテーゼとしておっしゃっている言葉だと、私は思います。つまり、国家のエゴイズムと個人のエゴイズムと、エゴイズムは両方にあるけれども、個人のエゴイズムを超えている国家というものがあって、国家がこれを抑えることはできるけれども、国家のエゴイズムは国家では超えられないと。
私が、ここからすぐに思いついたことは、次のようなことです。
ドイツ人、フランス人、イギリス人は自らのドイツ人であることを、フランス人であることをイギリス人であることを何とか超えることができるんです。それは、ヨーロッパというものがあるからです。だけれども、日本人は日本人であることを超えることができるか、日本の外に枠があるか。いうことは、永遠の課題として我々は考えなくてはならない。
ここで、そういう問題が一つ突きつけられているということをまず意識していただきたい。これに対して三島さんが、どんなことをおっしゃったかというのが大変面白いのであります。
「僕はその問題はかういふやうに考へてゐる。つまり、僕の言つてゐる天皇制といふのは、幻の南朝に忠勤を勵んでゐるので、いまの北朝ぢやないと言つたんだ。戦争が終つたと同時に北朝になつちやつた。僕は幻の南朝に忠義を尽くしてゐるので、幻の南朝とは何ぞやといふと、人にいはせれば、美的天皇制だ。戦前の八紘一宇の天皇制とは違ふ。
それは何かといふと、没我の精神で、僕にとつては、国家的エゴイズムを掣肘するファクターだ。現在は、個人的エゴイズムの原理で国民全体が動いてゐるときに、つまり、反エゴイズムの代表として皇室はなすべきことがあるんぢやないかといふ考へですね。そして皇室はつらいだらうが、自己犠牲の見本を示すべきだ。そのためには、今の天皇にもつともつと、お勤めなさることがあるんぢやないか。
そして、天皇といふのは、アンティ(反)なんだよ。今我々の持つてゐる心理に対するアンティ。我々の持つてゐる道徳に対するアンティ。さういつたものを天皇は代表していなければならないから、それがつまりバランスの中心になる力だといふんです。国民のエゴイズムがぐつと前に出れば、それを規制する一番の根本のファクターが、天皇だね。そのために、天皇にコントロールする能力がなければならない。
その僕の考へが、既成右翼と違ふところだと思ふのは、天皇をあらゆる社会構造から抜き取つてしまふんです」
ここまで読んでもやっぱり難しい、なんか分りにくいことをお二人でおっしゃっておるんですが、福田さんには、国境の観念がある、一方三島さんには、国境の観念が希薄なんじゃないか。これ、国家概念とはいわないですよ。国家観の有無じゃないですよ。国境の観念の有無と言いたいんですよ。
2005年12月12日
11月25日は三島由紀夫自決から35周年目で、九段会館大ホールに800人近くが参集し、憂国忌が催された。
最初に第一部として、舞台上で乃木神社が司る厳粛な鎮魂祭がおこなわれた。次いで国際的に有名な写真家・細江英公氏の解説付きで、スライド『薔薇刑』が映写された。天皇制や自衛隊入隊や檄文や愛国とはまったく異なる三島の世界である。裸体と「光と闇」とイタリアルネサンス。私が「三島さんには国境意識がない」とシンポジウムで語った仮説はこのスライドを見せられた直後であったせいもある。
第二部は記念シンポジウムで、私のほかには井尻千男、入江隆則、サイデンステッカー、そして村松英子(司会兼任)の諸氏が加わる。一人6分ずつ三回話すだけの時間しか与えられなかった。
この日の出来事については文芸評論家山崎行太郎氏がご自身のブログで上手に語ってくれているので、最初にその一部を引用させて頂く。
昨日は憂国忌に出席。35周年ということで、例年と違い今年は、九段会館大ホールで鎮魂祭とシンポジウムが行われた。僕は、25周年の憂国忌以来、発起人にもなり、毎年出席している。僕にとっては、憂国忌は今や、年末が近くなる頃にやってくる年中行事のようなものになっている。保守論壇の友人や先輩達に会えるのも楽しみの一つだ。たまには未知の若い読者やフアンに遭遇することもないわけではない。(中略)
シンポジウムでは西尾幹二さんや井尻千男さんの話も、たっぷり聞くことが出来た。西尾氏が、最近の保守に象徴されるような、他者を見失った「一国中心主義的歴史観と愛国論」を批判して、外部や他者を意識した「複眼的・相対的な歴史観と愛国論」を主張したのが印象的だった。これは、僕なりに言い換えれば、昨今の唯我独尊的な「左翼なき保守」思想批判である。つまり昨今の保守論壇や保守思想の貧困と退廃という問題である。西尾氏の保守思想・保守論壇批判に、僕は共感する。
また入江氏が最後に、江藤淳に触れて、三島の死を「病的、衰弱」と言って批判的に嘲笑した江藤淳も、最後は三島の死の意味を理解し、それを反復せざるを得なかった形で自決・自死した、と語ったのが、江藤淳の弟子を自認する僕には印象的だった。(中略)
二次会は神保町の中華料理屋だったが、出席者の多くが実は思想的には「反小泉」で、言い換えれば、主催者の宮崎正弘氏を中心に保守論壇の「反小泉一派」が総結集したような形で、なかなか盛況だった。帰りがけに、一昨日、西尾幹二氏から新著が届いていたのでお礼を言うと近づいて行くと、意外な話になった。「あなたに送ったあの本は、10冊の中の一冊だからね。」と言うではないか。まだ見本刷りの段階で贈ってくれたものらしい。「エッ!」というわけで驚きと共に感激したわけだが、西尾氏は実は、僕のこのブログを読んでいるらしいのだ。「小泉マンセー」ブロガーで、西尾氏のブログを荒らしまくった「ゴリ氏」一派のの話をすると、「あんなもの小さい、小さい…」と意に介していない様子だ。「それよりあなたのブログ期待しているよ」と言われて、またまた感激した次第である。
西尾氏の新著は、『狂気の宰相で日本は大丈夫か』(PHP)というタイトルだが、徹底的な「小泉政権批判」の書である。冒頭には、産経新聞「正論」に掲載を拒否されたというエッセイをかかげ、本文は「保守論壇を叱る」という最新作から始まっている。「保守論壇」内部で孤独な戦いを続ける西尾氏の気迫がヒシヒシと伝わってくる過激な論争の書である。
2005年04月21日
●日本の皇室
日本の皇室というのは神主の代表で、言ってみれば神話の系譜を継承している神主の代表でありますから、祭司やお祭りの主でございまして、外交なんて関係ないんです。従って皇室外交という言葉を作った人は罪が深いと思います。皇室に外交を求めてはいけないのです。皇室外交を期待して嫁がれたりすると、それは小和田家の雅子様の父上が誤解、誤認を与えて嫁がせたことになるのではないかと私は思います。
皇室外交。それは存在しないのです。社交はありますけど。社交と外交は別ですから。それらのことを考えますと、それでもなお皆さんはこうおっしゃると思うのですよ。「なぜ男系でなければいけないのか。」説明がつかないではないかと現代人は言いたがりますが、天皇制度そのものの説明がつかないのではないですか。そんなことを言い出したら歴史史上のことは何でも説明がつかない。「なぜ男系でなければいけないのか」に説明はいりません。なぜ理由説明がいるのでしょうか。いらないんです。それが歴史というものなのです。歴史というものは説明を超えているものなのです。
それからこういう人もいますね。古い時代のことなのに正確に系譜をたどれるのか。途中でいろんなことがあったじゃないか、と。血筋について正確かどうか分からないじゃないか、と。そうです。それは分かりませんと申し上げるしかない。そんなこと正確かどうか議論する必要はない。そういうものなんですよ。
ですから過去にそういうことがあったということと、我々がそれを継承してきたということがあるだけです。それに違反する事実はひょっとしてあるかもしれないが、言い出せば切りのない屁理屈であって、疑い出せば「解釈」が生じるだけだというふうに申し上げるしかない。「解釈」は人間の数だけあり得るのです。だとしたら過去に起こったことはそのまま尊重しなければいけません。そこでそれは終わるということを意味するだけなのです。
非常に大事なことを申し上げますが、皇室を崇拝している方にもかなりセンチメンタルな人がおられまして、皇室というファミリーが大事だと思っているのですが、歴史が大切なのです。歴史は皇室というファミリーをさえ超えているということを認識してみる必要があるのではないでしょうか。確か水戸学でもそういうことを言っていましたね。
いろんな問題がございますが、今日私は初めてこういう意見を公的な場で自分の考えとして述べたのでございまして、実際にはまだそれほど深く勉強している訳ではないので、これからもうちょっと研究します。でも私の見通しは大変困難な今日の時代に関するものです。津波に押し寄せられる防波堤の一角が戦後ぼやぼやしているうちに破られ、本当に取り返しのつかない事態、そして左翼の憲法学者たちが何十年か後に嘲りの声を上げるのを黙って指をくわえて見ているほかないような時代を少しずつ迎えつつあるということに、皆さんの注意を向け、ちょっとギョッとする話で本日の講演をスタートさせてもらいたいと思った訳であります。
(追記)なお、これで終わらず『正論』4月号の私の詳しい皇室論を読んでください。同論は5月刊行予定の新刊『民族への責任』(徳間書店)にも入っています。
2005年04月19日
●皇室の婚姻
しかしはっきり言って、戦後60年放置していた、そして必ず皇子様がお生まれになるだろうと何となくみんなそれを期待してきました。私は宮家の問題に関しましては、今の陛下が美智子皇后様、つまり民間人と結婚なされたときには旧宮家の中で憤慨の声を上げていたのをテレビで覚えていますよ。当時。ところが皇太子殿下がハーバード大出、東大出の学歴エリートと結婚なされたときには、すべての旧宮家、旧華族は寂として声なく、結構でございますということでした。もう時間がたって、諦めてしまったのだと思います。
天皇制度というのは、みなさん、民主社会の持っている日本の競争原理から離れているものではないでしょうか。競争社会、近代社会で出世して戦って、そういう競争原理から遠いところにあるのが天皇家だと思うんですね。地位は隔絶したものだと思うのですよ。ところが、東京大出、ハーバード大出の学歴エリートというのは言ってみれば近代競争社会の頂点を形成するもので、そうした方と婚姻が行われたというときにですね、すでに危機が胚胎したと私には思えてなりません。
つまり天皇家自身が万世一系の天皇制度を無力にする皇位継承を繰り返されているのではないのか。それをお諌めるものもおられませんでした。園遊会で日の丸、君が代普及への努力を進言する者がおられた時に、陛下が即座にネガティブな反応をなさったご発言をニュースで知って、ああ何か恐れておられるものがある、陛下は何かをこわがっておられるという胸が痛む思いが致しました。つまり陛下のご意思がそういうものであるならば、もはや我々の手に負えるものではないが、しかしながら聞くところ陛下は女帝でいいと必ずしもおっしゃっていないという話でございます。何か期待するものがあるようなことをおっしゃっているという風にも伺っております。詳しいことは分りませんが。
いずれにしましても、この問題を長くお話しても私にも専門でないのでどんどん動いていくこの時代が怖いものですから、その象徴的な一例としてこの国が津波に脅かされてあっという間にこの危険な時代にたちいたってしまうのではないかという不安を申し上げる上で、皇位継承のテーマがその不安の最初の表現なのでございます。
皆さんはきっとそこまで考えなくていいのではないかと仰言るでしょう。イギリスやヨーロッパの王室を見たらいいじゃないかと、こう新聞は書きますよね。そういう意見は圧倒的に多い。ところが、日本の皇室とヨーロッパの王制とは違いまして、古代から連綿と続いている王家は日本しかないですよね。それ以外は中世末からですから。もう一つ大事なことはイギリスの王室、オランダの王室、スウェーデンの王室はみな相互に婚姻を重ねます。国民は国境を画していましたが、王家だけは国境を越えて昔から自由に婚姻関係を結んでいるのはごらんの通りでございます。それに対して、日本の皇室が外国人を迎えるということは考えられません。
それは日本が島国で閉鎖しているからでしょうか?そうではない。ヨーロッパの王家は日本の旧大名と思えば分りやすいのです。旧大名は互い藩を超えて婚姻を結び合い、それから改易されて城替えがよくありましたよね。例えば、熊本城は加藤清正の城でしたが、細川家に改易されたとか。そういうことであり、それからお興入れも国境を越えて自由に行われた。ちょうどヨーロッパ全体と日本列島というのがパラレルであると考えると分り易い。日本をイギリス、オランダ、スウェーデン、スペインという国と一つ一つパラレルと考えるのではなくて、ヨーロッパ全体と日本が一つだとこういう風に考える。歴史的にそういうことが言えます。
そういう風に考えれば、法王というのが向こうにいましたが、日本の天皇というのは法王のような役割を一方では果している訳でございます。政治権力は別の者が権威を握るというのが日本の天皇制度ですから、法王みたいなものです。もっとも法王はヨーロッパではすごい権力を持っていましたけどね。ですからそういう風に考えますと、どうもイギリスの王室がどうだとか、オランダの王室がどうだとか比較に出すのは」当を得ていない。
2005年04月18日
●30年後を憂慮する
そんなことを考えますと、万世一系の天皇制度が危いところに来ているということが今分ります。このことを非常にいろんな方が言い出しています。高崎経済大学の八木秀次氏、若い憲法学者が言い出していますし、小堀桂一郎氏やその他いろんな方が発言なさっておるのですが、私が実はこのことで心を痛め始めたのは左翼の論客が、マルクス主義の憲法学者がこのことに気が付いていることです。
すでに私は論文を二つ三つ読んでいます。憲法学者は圧倒的に左翼の人が多い。保守の憲法学者というのは本当に数えるほどしかいないのです。保守系の思想家というのは概して文学者が多いのですよ。私みたいに。ですから気が付かないですね。普通の人は皇室典範を読みませんし、あまりそういうことを日常的に考えませんから。
こういう時局になってみて初めて法律学者が役割を果たすべき時ですが、その時ちゃんと敵には凄い法律学者がいるのです。共産党系の憲法学者が「万世一系の天皇は男系であって、もし女帝ままでいけば30年後はしめたものだ」ということを何となく臭わせるようなことを言っている訳ですよ。「しめた」という言葉は使っていませんけども。
つまり、天皇制をなくそうと思っている勢力にとって、時期が到来したと。これはなし崩しにこのままいってしまったら、みんな国民は深く考えないから「女性天皇万歳」と言っているうちに30年たち、天皇否定論者が一斉に「ああ今の天皇制度はもはや歴史上のものではない。万世一系とは言いがたい。形骸化している、にせものだ」という批判を必ず言い出すに決まっています。
その時、保守側が守ると思ったって、もう間に合わない。守ろうと思ったって打つ手がない訳ですよ。それらのことを知っている学者、あるいは宮内庁の長官をなさっていた方や皇室関係の学問を積んでいる人や古代史に通じている人が日本にはいっぱいいますが、政府の今の懇話会の中には入っていないのですよ。
ですから「30年後を憂慮する」というのが、私が今一番考えている不安です。しかし非常にこれは難しい問題だということです。理由を申しますと、宮家は4つしか残っていなくて、ご承知のように大正天皇には男子のお子様がおられます。昭和天皇以下、秩父宮、高松宮、三笠宮でございますが、秩父宮、高松宮家にはお子さまはなく、三笠宮は今の世代のあと、女のお子さんがおられるだけです。それ以前の天皇、明治天皇のお子様はみな内親王であられる。そうしますと、男系というのを遡ると、江戸時代に遡らないと見つからないということになる。
つまり江戸時代に確立していた宮家をGHQが廃絶してしまいました。その宮家に復活していただかないと、男系はたぶん得がたいということになる。歴史を見ると、そういう風に思い切って幾代も遡ったことはいっぱいあります。7代ぐらい前に天皇家の血筋を遡るということに国民の理解が得られるか、という問題がもう一つありますね。いち早くそこまで気が付いた政府側は「国民の理解が得られる範囲で」ということで「女帝よし」としようと、押し切ろうとしているのではないかと。私が今述べたみたいなことは気が付かないはずはない。気が付いてあえて、ということではないでしょうか。
さあ、僕は非常に不安です。というのは、方法としては宮家を復活して江戸時代につらなる旧宮家であろうとも皇統、男子系統の皇統の方々で「皇室に戻ってもいい」という方々を秩父宮家や高松宮家の養子に迎えて、そしてその方と最も皇統に近い秋篠宮の内親王様や雅子様の内親王様などに結ばれていただくというような、直系とそれから今の天皇家のファミリーの血のつながりとのバランスというのを考えるしかない。
しかし、そういうことまでを画策してテニスの恋の物語とか、そういう物語を作らないと国民が納得しない時代ですから、うまくいくかなあ、遅すぎないかなあと、私は強硬な原理論を唱える人に対しては果してうまくいくものかなぁという不安を申し上げる。しかし、また、安易な女性肯定論を言う人には「いや30年後が怖いよ。これは天皇制がなし崩し的になくなるということを意味するのだからね」と言わざるを得ない。非常に難しい問題です。
2005年04月17日
●女性天皇について
ところがここにきて面倒な問題が沸き起こっております。実は専門の法律学者が主に発言すべき問題かと思っておりますが、皇位継承を考えるための懇談会というのが開かれました。第一回の会議も行われたようでございますが、私の知るかぎりでは専門知識を持つ人は一人しか入っていないように思います。
そして、「女性天皇を認めよう」という簡単な答えで決着をつけようという官僚サイドの意図が、あるいはまた小泉首相の意図が最初から見え見えであるという粗略な印象を抱いております。小泉さんは最初から思い込みの強い方で、北朝鮮との国交回復、郵政民営化、もう決めたらワンパターンのアイデアにこだわる人であります。しかもスタートを成すとき、起点を成す問題点にそれほど深い考察を加えておられるようにみえない。知識も持っておられない。
皇室の問題を素人ばかりの集団で、かのジェンダーフリーの専門家が一人入っているような懇談会で、官僚やその他の世界で功なり名遂げた方であるかもしれないけど、歴史のことはほとんど知らない方々を集めて押し切ってしまっていい問題だろうかと思います。時間も足りないのじゃないかと不安を抱いています。9月までに答えを出すなんていうのは拙速です。3回か4回の会議で答えを出して、それで来年法律を作って決めるなんというので果していいのだろうかと不安を抱かざるを得ません。
その理由は、万世一系の天皇の系譜を維持するには男系でなくてはならないという原則です。それはみなさん、新聞で論じられていますからお耳にしていると思うわけですが、女性を天皇にするということと、女系、女性の系列を皇統にするということとは別のことです。
過去にわが国には8人、10代の女帝がございました。古代史に6人、江戸時代に2人。その女帝の方々のお子様が帝位につく、すなわち皇統を継承した例は一つもないのです。夫君である天皇と死別したお后が、自分の子供、あるいは皇子が、あるいは甥が、大きくなって帝を継ぐまでの中継ぎ役として女性天皇があったというのが現実でございまして、女性天皇がヨーロッパの王室と比較してこうだとか、男女平等の時代になったからこうだとか、という風なことをいって、歴史の事実を覆していいのだろうかという疑問を強く抱かざるを得ません。
その心配は強く国民の中の歴史を知る人、保守系の皇統を尊重する人々の中から今澎湃と沸き起こっております。私だけでなく多くの人がそういう声を上げておりまして、何とかして男系に戻さなくてはいけないのではないか、と。
ご承知のように戦後GHQが11宮家を廃絶してしまいまして、以来、今の天皇家の直系だけが宮家に残っているということでございます。他の系列の宮家を復活して将来に備える必要はないのだろうかと、そう正論を唱える人は少なくないのでありますが、しかし私自身はすべては遅すぎるのではないかという不安も強く抱いているのでございます。
と申しますのは、それでは女帝ではなぜいけないのか?女帝ではいいのですけども、女系ではなぜいけないのか?今まで女帝は先ほども言ったように何人もおられる訳ですけども、大体女帝でご結婚されている方はおられないのですよ。女帝はみな寡婦であるか、生涯独身であるかのいずれかでした。すでに夫が、まあ天武天皇と持統天皇の関係とかですねぇ、夫が亡くなられた後、継いだケースはもちろんあるのですけれど、それであってもあと独身で通されている。
ですから、今もし愛子様が天皇を引き受けて、そして相手になる男性の人が何十年か後に選ばれたとしても、その方をお呼びする呼び名が日本の歴史の中にないのです。男性の、つまり女帝のお相手というのが今までないのですから、その方の呼称がないのです。そのことも我々が考えてみなくてはならない問題だろうと思います。
つまり、すべての女帝は中継ぎ役であって、宮家から男性の、皇統の男系の方を内親王と結婚させて、そして次の天皇を生み出す。それまでの中継ぎとしての女性天皇、時間稼ぎの、それが江戸時代もそうでございます。
あるいは、何世代か前の別系列の天皇の血筋を引き継がせる。江戸時代における最後のケースは光格天皇という天皇ですが、この天皇の系譜がまっすぐ今の昭和天皇まで続いているということになっております。
2005年04月16日
●強い危機感を抱く
「国家解体をどう阻止するか」といういくらかおどろおどろしいタイトルでありますが、解体しかかっているし、すでにしているのではないかと、むしろ強い危機感を抱いていますゆえに、こういうタイトルにしております。この間津波が南アジアを襲い、町に大きな水が流れ込む光景をテレビでみました。一番烈しい画像では建物そのものや車が何台も水に浮かんで押し流されていく姿が見えまして、これはすごいものだなと思いました。引いたあとのつめ跡、残骸・・・・・まあ私、今の日本を見ていて、水際で津波を待っている心境というのがいわば、私の心境なのです。そういう津波にいつ襲われてもおかしくない、そういう状態ですよ、と申し上げたい。それに対し何の備えもない。色々備えがあるように聞いておりますけれども、実際に手が打たれていないし、考えは語る人はいるけれども間に合わないように思う。
今日は一見して相互につながりのないいろんな種類の問題についてお話したいと思っております。一つは皇室の問題、二番目は南の島々の防衛の問題、それから三番目は、といっても全部底流ではつながっているのですが、国の外でなく内側の問題。つまり教育や少子化、そしてジェンダーフリーの問題など、これら全部がひとつながりであると私には思えてなりません。すなわち、内側がグラグラと解体しているときには、外から敵が忍び寄ってきても気が付かない。
あるいは現にもう何十年も前から外から侵害されていても打つ手を打ってない。ですからもう間に合わないところに来ているという、その目の前にいて、しかも手足を動かそうとすると、足元の国民の心が麻痺したようになっている。そして麻痺させるような解体運動が繰り広げられていて、手足を不自由にする勢力が大きな力を国内で発揮している。こういう現実を目撃し、観察してきたつもりでおりますので、皆様に少しくはっきり見えるようにお話ししてみたいという風に思っているのです。
●皇室問題について
最初のテーマは、非常に難しいテーマだとあえて申し上げるつもりでございます。つまり皇室の問題です。わが国のこの10年から15年の間に、経済の方面でバブル崩壊、そしてまた道徳の破局、様々な頽廃の姿をみました。すべて昭和天皇亡きあとに起っていることですね。この国民が自分たちを歯がゆく思っているゆえんはどこにあるか分かりませんが、ソ連の消滅で冷戦に終止符が打たれたあのときは、アメリカから「第3次世界大戦の勝者は日本であった」という、忌々しげな声があがったのを覚えておられると思います。これはつい15年ぐらい前の話です。
そのころは小中学生の数学と理科の国際学力はつねに日本が一位でした。治安もよかった。犯罪検挙率も高かった。中学生の校内暴力は既にありましたが、不登校とか引きこもりとか、援助交際などということは、そんな言葉もなかった。政治への不満は強かったけれども、「官僚が一流だからこの国は大丈夫だ」という声が世上を覆っておりまして、事実その通りであった。官僚は何よりも愛国心があった。
対米自動車輸出の自主規制で指導力を発揮した通産省は、産学協力の見事な見本としてアメリカの嫉妬を招いたほどでした。これは遠い昔の話ではない。1989年、ベルリンの壁の崩壊から起った世界の激変、それが昭和天皇の崩御となった年と重なります。すべて悪いことは平成になってから起ったことなのです。だから私たちは確実でしっかりしていたつい先日までの日本をなぜ今取り戻すことができないのか。そのことについて考えざるを得ない訳です。昭和天皇が亡くなられたら、何かがありゃしないかという国民の不安はずっとございましたが、まさか、という思いが私はしています。
2005年04月14日
2月10日に群馬県前橋市の正論懇話会で、「国家解体をどう阻止するか」といういささか仰々しいタイトルを振り翳した講演をした。
皇位継承問題、南西諸島と台湾をめぐる中国との摩擦、男女共同参画や過激な性教育のことなど多方面にわたる話題だったが、天皇制度についての数少い私の発言が講演の冒頭でなされている。
11日の産経新聞の講演要旨にこの冒頭の部分だけが取り上げられた。
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日本解体に警鐘
群馬「正論」懇話会 西尾幹二氏講演
第6回群馬「正論」懇話会(会長・金子才十郎群馬県商工会議所連合会名誉会長)が10日、前橋市内のマーキュリーホテルで開かれ、評論家の西尾幹二氏が「国家解体をどう阻止するか」と題して講演した=写真。
西尾氏は、国家解体につながる動きとして女性天皇論の台頭、防衛政策の無策、ジェンダーフリーの流行を指摘。「日本は解体してしまっているという危機感を抱いている。手を打たないと間に合わない」と訴えた。
特に、「女性天皇」容認論について、「天皇は、万世一系で男系でなければならないとある。過去の女性天皇は中継ぎ役だった。歴史の事実を覆していいのか」と強調。「(女性天皇が誕生すれば)天皇制否定論者が、『万世一系ではない』と言い出すはず。30年後を憂慮する」と述べた。
産経新聞2月11日付 2面
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翌日、畏友小堀桂一郎君――私の大学時代の同級生であることは知る人は知っていよう――から、心強い応援だという葉書をもらった。
私は小堀君ほど天皇とその制度について詳しい知識を持たない。普段法制的な面にはあまり関心もない。私がどう考えているかを多分彼はそのころ知らなかったし、自分と相容れないと思っていたかもしれない。
前橋に行ったのは2月10日で、それから丁度一週間で『正論』4月号の拙論「中国領土問題と女帝論の見えざる敵」(短期集中連載第二回)を書いた。
例のライブドアがニッポン放送株の買い占めを始め(2月8日)、マスコミが騒然となっていた頃である。
『正論』4月号が出た3月初旬に小堀君から良く言って下さったという感謝と喜びのことばを綴った書簡をいただいた。彼が最近同誌5月号でこの問題をあらためて歴史を掘り下げて徹底して論じたことはご覧の通りである。私にその根気も知識もないが、私には私に特有の論法がある。今の日本人を説得するにはどうしたらよいか、という文章上の戦略がある。
前記「中国領土問題と女帝論の見えざる敵」で皇位継承問題について言及したのはわずか20枚弱だが、「女帝でいいじゃないか」という小泉首相と同じような考えの人が日本国民の大半であることを私は知っている。
保守層でもそうである。「路の会」でもそうだった。天照大神が女神なのだから女帝でいいのではという人さえいた。そういう人々を前提にして説くほかないというのがこのデリケートな問題のむつかしさだと思っている。
だからこのテーマに関しては頭ごなしに、叱りつけるような調子で言っても説得力がないのである。未来への不安と予想を先取りするようにして、手遅れの意識を共有しながら語りかけるしかないのだ。
私の言わんとする本意はどうか4月号の拙論を見ていただきたい。また説き方にすべて賭けた論述の仕方に目を向けてほしい。たゞ、丁度これを書く直前に、私は前橋で同じテーマについて簡略に語った。本当に簡略に、である。
皇室問題についての私の発言は少い。たまたま乞われて講演録をまとめたので、この部分だけ掲示することとした。
2005年03月05日
○○:さきほどの世論調査ですね。84%が自衛隊駐留賛成、残り16%が反対、16%というのは、どうなんでしょうね。それから、自衛隊はですね、人道復興支援という任務で行かれたんですけど、他の国の軍隊は一体どういう使命を持って・・・・やはり、人道復興支援というようなことをやっているんでしょうか。そうだとすると、イラクの復興に一番役に立つのは、日本で、その次はアメリカで、その次はイギリスでしたかね。
番匠:フランス、イギリスの順です。
○○:フランス、イギリスでしたか、イギリスは低いですね。イギリスが低いというのは、元々イラクとイギリスは密接な関係が昔からあったんですけれど、ちょっと意外な感じがします。あとは相当な部隊を送っているのが、ポーランドとか、ウクライナだとかですね、韓国も3000人送っていますが、そういう国に対する評価ってどうなんでしょう。その辺がよくわからないのですが・・・。
西尾:イギリスが低いのはわかるんじゃないですか。
○○:わかりますか?
西尾:もともと不信感があって、ひどいことをされたっていう記憶。
○○:そういうことなんですかね。
西尾:でも、韓国なんか上位に出てこないのは不思議ですね。
番匠:まず、16%といいますか、賛成しないこれらの人たちは何かというと、問いかけの仕方もあるかもしれませんが、やはり彼らは決して満足はしないですね。話をしていても、今やってくれていることは有り難う。でも、まだやってほしい・・・と。そういうことがありますし、やはり我々の能力には限りがあるんですね。我々が行った時に、実は唖然としたことがありまして、日本政府が拠出を約束した10億ドルが全部サマワに来ていると思っている人たちがいるんです。あれ結構有名な話になりまして、10億ドルもサマワに入るぞ、そうすると、東京ができる―と。
(大笑い)
ハイウェイや大きな工場ができて、トヨタが来るのかと。発電所が出来て(笑い)それで、自衛隊が先遣隊で来たんだろうと。いやぁこれは素晴らしい。サマワは儲けたと言うわけですよ。我々がミッションを戴いているのは、水作りですね、医療支援をして、ま、ささやかに道路や学校の補修をする。そこに大きなギャップがありまして、私たちがやったのは、部族のところをいろいろ廻って、貴方達は誤解している、我々はこういう能力なんだからということを言って、彼らの誤解に基づく高い期待をいかに適正値に戻すか、降ろしていくかということです。
もちろん我々行った当初は人間も揃っておりませんし、装備も届かないので、十分な活動ができません。水の支援も、給水セットというのを合計7個持っていったんですが、は最初は三機から始めました。一日何十トンというオーダーで始めますので、なかなか量も、数も少ない。それをどうやったら早くあげていくかということ。こう下げて、こうあげてこの、バランスをどう取るかということに随分エネルギーを使った。そういう意味ではこの高い期待を持っている人たちから見れば、今の自衛隊がやってくれていることは、期待はずれだとか、なかなか思ったとおりいかないという声があるのは、まちがいないと思います。
○○:でも、早く帰れという、一部にある滞在延長に反対というのはどういう意味なんでしょうかね。
番匠:そこは、例えばサドル派なんかはみんな言っておりますけれども、やはり外国の軍隊、外国が来ているということに対する気持ちがあるのかもしれません。
西尾:でも16%は低いほうですよね。
番匠:8割ぐらい、あるいはそれ以上がということは、ほとんどの人たちが日本を歓迎してくれているということだろうと思います。それと、他の部隊は何をしているかということですが、我々が居るときには、38カ国、我々をいれて38カ国でした。今は若干の後退があって32.3だと思いまけれども、国によってそれぞれです。大きなところでは、もちろん一番大きいのはアメリカで、これは15万人入っています。それからイギリスが約1万、あとポーランドだとか、ポーランドも8000人、一万弱くらい、ウクライナ○○○、韓国がアルビルというところに3000人くらい入れています。これが大口で、日本も結構多いほうなんですね。もう600人というと、クェートの航空自衛隊の200人を加えると800人の規模ですから、結構イラク全体では、ベスト10に入っております。
それぞれの国が、それぞれのやり方をしていまして、一番多いのは治安任務です。ただ我々のように人道復興支援だけというのもあります。たとえば、タイとかは医療支援をやっておりましたし、当初我々が行った頃には韓国っていうのは医療支援と施設支援というのをやっておりました。今はアルビルという北の方面で治安のほうも受け持っていると思いますが。必ずしも、みんながみんな治安任務をやっているわけではありません。それからもう一つは後方支援というのをやっております。多国籍部隊に対するですね、ウクライナとか、小さな国エストニアだったでしょうか、バルト三国の小さな国も来ているので、あれは何をしているかといいますと、米軍基地の中で、後方支援の仕事をしているところもあります。
西尾:けれど、韓国などが評価されないのはなぜですか?
番匠:あれはですね、あの世論調査自体が去年の秋から今年の正月にかけてやっておりまして、北の方のクルドの辺りまでちゃんと行っているかどうかですね。アルビンとかにということもあるでしょう。多分、あの調査はバグダットでやっているのだろうと思います。ですから、38カ国を全部皆さんが承知しているかどうかというと、そうでもないと思います。(あぁと納得の声)日本というのは非常に有名ですから、そういう数字が出ているのかもしれません。
西尾:いやな情報が入ってこないから、ますます期待されるという。
番匠:我々は飴だけで、鞭がありませんから。
(笑い)
やはり、アメリカとかイギリスとかを見ていて、非常に気の毒だなという感じがしました。
西尾:そうですよねぇ
番匠:犯罪者に対しての対応ってのは、厳しいものがありますし、我々は今回人道復興支援という飴の役目ですので、あの数字を見て、手放しでよろこぶっていうわけには行かない。
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講演 「これでよいのか日本の弱腰外交
――正しい現代史の考え方――」
平成17年3月13日(日)
午後3時30分より90分
会 場:横浜市中区「関内ホール」
JR関内駅北口下車 徒歩5分
TEL 045(662)1221
参加費:¥1000
主 催 :教科書を良くする神奈川県民の会
連絡先:大西裕氏 TEL045(575)2603
新刊西尾幹二責任編集『新・地球日本史』1
産経新聞社刊、発売扶桑社。
¥1800――2月28日店頭発売

新・地球日本史―明治中期から第二次大戦まで (1)
新刊 「人生の深淵について」
洋泉社刊 ¥1500
3月7日店頭販売
内容目次は次の通りです。
怒りについて
虚栄について
孤独について
退屈について
羞恥について
嘘について
死について
宿命について
教養について
苦悩について
権力欲について
著者覚書
解説 小浜逸郎
2004年12月19日
戦争が終って、敗北を知った直後、呆然としている日本人は、謝るというようなことを考えた人はほとんどいません。まして、世界に対して罪を犯したなんて、冗談じゃない、そんなことを考えた人は一人もいません。厭戦感情はありましたよ。疲れた、もう厭だ、これ以上はたまらない、これは別ですよ。でも、正義とか道理とかは、わが方にあるということを疑うものはいなかった。
敗北を知ってホッとした感情があったのも事実ですよ。でも、これで助かったと思ってホッとしたんじゃなくて、余りにも苦しくて、疲れ切って、病人が早く死にたいと思ったりするような気持ちにも似て、ホッとしたんですよ。それをみんな誤解して、終ってホッとして生き生きと甦ったというような意味に解釈して、いつしか「解放感」と誤解するようになったんですね。
「解放感」はむしろ開戦のときにあったんです。なぜ、武者小路実篤や太宰治のような作家までが、開戦の日にまるで甦ったように思ったのか。あるいは竹山道雄がこれでやっと決まったとホッとしたのか。明治以来の日本人の胸のうちに がしっーとかぶさってくるものがあったからでしょう。説明のできない圧力を受けてきたからでしょう。その圧力が中国戦線で晴らせるものじゃなかった。いつまでも中国に深入りしてたって、きりがない。本当の敵は何処にあるんだと、いう疑問は日本人を苦しめていました。後ろで援蒋ルートといって、盛んに蒋介石に物資を援助している政府がいるじゃないか。そのことを誰一人知らない者がいなかった。
しかもいろんなことが戦後になって、最近になってわかってきていますよね。フライングタイガーという作戦ね、これひどいものですね。12月8日に、真珠湾攻撃で戦争が始まってたんじゃないんです。アメリカはそれより先に中国に空軍部隊を、つまり兵力を投入していたんです。ただし全部いったん退役にしまして、その上でアメリカの飛行機を投入してですね、いかにも義勇兵が勝手に参加しているかのごとき形式をとりまして、アメリカ自身が参戦していたんです。蒋介石軍が弱いんで、見てられなかったからでしょう。フライングタイガーという軍隊、事実上の軍隊ですが、しかもそれに正式にルーズベルト大統領が署名をして、退役にしたのは形式であって、やがて複役させということを約束している。そういう大統領の署名のある書類も発見されている。今となればですね。はるかにはるかに日本より早くですね、アメリカが「開戦」に踏み切っているんですよ。
じつはそのとき、東京大空襲が計画されておりました。パールハーバーよりはるか数ヶ月前に東京は敵襲をいきなり受ける可能性が高かった。ところが、その時米軍がそろえていた飛行機がドイツ戦線に必要になったために、急遽東京空襲の計画は取りやめになったということですから、なんで日本が先に手を出したなんてことが簡単に言えますか?開戦の気分は双方同じだった。発火点に達していたが、切っ掛けだけがなかった。そういうことが大戦直前の状況だったんです。
強い強い圧力、胸の中に鬱積してくるようにたまってくるものが日本人の中にあって、その原因となるものの正体が歴史の背後から少しづつ浮かび上ってきています。今だんだん証拠書類が公開されておりまして、第二次世界大戦に対するアメリカの公文書館の書類はいまやっと少しづつ出ているわけですね。それから、ソビエトの崩壊した1990年から何年間か、大体1998年ぐらいまでの間に、隠されていたソビエトの秘密文書がオープンになりまして、その多くは少しづつ翻訳されておりますけれど、歴史は塗りかわりつつあるわけです。
プーチンになってからまた書類が出てこなくなりましたけれど、とにかくソ連(ロシア)もかなりひどいことをしていたことが全部わかってきつつあります。あの当時我々が知らなかった世界史の闇の部分が分るということになるわけです。虚々実々の現実がこれから明らかになるだろうと思います。日本が中国大陸に引きずりこまれたのはどこの国の意志であったのか。それは果して英米なのか。イギリスはソ連に警戒的でしたが、アメリカは慨してソ連に寛大で、政府の中枢にコミンテルンのスパイがいました。アメリカを介してソ連の巧みなコントロールがアジア情勢をどう動かしていたか。ま、私はまだぼつぼつ勉強している途中で、よくわかっていないところばかりで、これから大変なんですが、いずれにせよ、20世紀の歴史というものを我々はもう一度、よぉく振り返って、精査してみる必要があるのではないか、と思うわけであります。
そうしたらば謝る気になんか、とてもなれないですよ。日本人が謝る必要なんか全くないということに、すぐ気が付くと思います。我々が悪をなして、アメリカが善をなしたとか、ソビエトが善をなしたとか中国が善良そのものだったとか、そんなこと考えられますか。自分が悪をなしたと思っているからおかしなことがおこるんです。そんな事は常識だって考えられないと思うんですね。今のアメリカやロシアや中国のやり方を見ていても、地球上で起っているどの出来事を見ていても、各国の強引さ、そして掛け引きのものすごさを思い浮かべてください。
2004年12月10日
★ 新刊、『日本人は何に躓いていたのか』10月29日刊青春出版社330ページ ¥1600

日本人は何に躓いていたのか―勝つ国家に変わる7つの提言
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帯裏:六カ国協議で、一番焦点になっているのは、実は北朝鮮ではなくて日本だということを日本人は自覚しているのでしょうか。これから日本をどう泳がせ、どう扱うかということが、今のアメリカ、中国、ロシアの最大の関心事であります。北朝鮮はこれらの国々にとってどうでもいいことなのです。いかにして日本を封じ込めるかということで、中国、ロシア、韓国の利益は一致しているし、いかにして自国の利益を守るかというのがアメリカの関心事であって、核ミサイルの長距離化と輸出さえ押さえ込めば、アメリカにとって北朝鮮などはどうでもいいのです。いうなれば、日本にとってだけ北朝鮮が最大の重大事であり、緊急の事態なのです。
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書評:「史」ブックエンド(11月号)より
外交・防衛・歴史・教育・社会・政治・経済の七つの分野にわたって、歪んだ日本の現状を立体的に解き明かしている。それはまるで推理小説の最終章のごとく痛快明朗だ。そこから導き出された提言は「日本人が忘れていた自信」を回復するための指針。こたつを囲んで優しく諄々と聞かされているようで、この日本の現状をどう捉えたらよいのかがだんだんクリアーになってくる。筆力ある著者ならではの説得力に富む快著。この祖国日本が二度と躓かないためにも、政治家や官僚に読んでもらいたいという著者の意向だが、国民必読の書である。
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書評:アマゾンレビューより
西尾ワールドの全貌, 2004/11/07
レビュアー: recluse (プロフィールを見る) 千葉県 Japan
西尾氏の作品は20年以上にわたって読み続けて着ましたが、今回の作品では、彼は自分の思想の全体像を簡潔な形で、整理することを目的としています。外交、防衛、歴史、教育、社会、政治、経済の順で議論を展開することにより、徐々に現象面から、より深く日本の抱える問題の根本に接近しようとしています。この手法により、彼の考えの基層に接近することが可能となるよう、構成されています。すべての論点で、彼は明確に一貫して変わることのない自分の人間観と歴史観を呈示しています。簡単なことですけど、これは稀有なことです。いったい何人の日本人が、自分が20年前に書いたことを一点の恥じらいもなく振り返り再提示できるでしょうか。また、本質を捉えたアフォリズムと西尾節も満載です。特に熟読すべきなのは、第三章の歴史の部分です。続きを読む
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講演「正しい現代史の見方」 (六)
ま、その話をしだすときりがないから、よけておきますが、とにかく国民はそこで、A級戦犯もB級戦犯もない、戦犯は勝手に勝者が作った裁きなんだから、それにとらわれる必要はないんだと認定した。それには、理由がありましてね、わが国の戦争というのは、今私は天皇陛下との運命共同体と申しましたが、一握りの指導者が、民衆をたぶらかして戦争に走らせたと言う話ではないんですよ。共産党はそんなことを言いますが、共産党とその影響下にある人だけですよ、そんなことを言うのは。戦争に突入していった日本人は戦争の行く末がどうなるか誰にもわからなかった。やったことがまちがっていたか、正しかったか、悲しかったか、愚かだったか、賢かったか、それも誰にもわからなかった。
ここに私はそのことを証明する二人の作家のことばを皆さんの前で読み上げてみたいと思います。
この二人の作家は、戦時高揚を発奮する方々では全くありません。昭和16年12月8日、あの開戦の日ですね。もちろん戦意高揚を詠った詩人もおりました。高村光太郎、それにまた佐藤春夫、あの有名な詩人が国民を鼓舞する高潮した詩を新聞に掲げましたが、これからのべる二人の作家は、どう見てもそういうタイプではない。皆さんも知っている一人は武者小路実篤さん。
「十二月八日はたいした日だつた。僕の家は郊外にあつたので十一時ごろまで何にも知らなかつた。東京からお客がみえて初めて知つた。『たうたうやつたのか。』僕は思はずさう言つた。それからラジオを聞くことにした。すると、あの宣戰の大詔がラジオを通して聞かへてきた。僕は決心がきまつた。内から力が滿ち溢れてきた。『今なら喜んで死ねる』とふと思つた。それほど僕の内に意力が強く生まれたのだ。」
もうひとりは、昭和16年12月8日の開戦のラジオの報道を聞いた太宰治です。太宰治がどんな作家か。最後に女と情死したあの作家ですよ。
「しめきつた雨戸のすきまから眞つ暗な私の部屋に光がさし込むやうに、強くあざやかに聞こえた。二度朗々と繰り返した。それをぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は變はつてしまつた。強い光線を受けて、體が透明になるやうな感じがした。あるひは精靈の息吹を受けて、冷たい花瓣をゐちまひ胸の中に宿したやうな氣持ちだ。日本も今朝から違ふ日本になつたのだ。」
この二人の戦争協力などとはおよそ縁のない作家の言葉は、国民の普通の受けとめ方であったということです。国民は英米との大戦を容易ならざることと受けとめたことは事実ですけれども、これをマイナスの記号で判断した人は誰一人もいなかったんですよ。そういいだす人が出てくるのは、戦後になってからです。当時一高教授であった竹山道雄氏は
「われわれが最も激しい不安を感じたのは戦争前でした。戦争になって、これで決まったと、ほっとした気持ちになった。そういう人も少なくありませんでした。」
これも今の二人の作家にどこか繋がってくる言葉だと思います。
2004年12月08日
さて、それではナチスドイツと日本ということですが、ドイツは謝ったんでしょうか?日本人はやっぱり謝るべきだってこのお手紙の中でもそう言っているわけですよね。謝る必要はないと私が言ったことはいかんとお叱りになり、「次世代の若者が何が起ったか、事実を知らなかったでは情けない、日本は悪くない、謝る必要はないとおっしゃいますが、それを言っちゃあおしまいよ、と私は言いたいんです」と、こう私に向かって書いてきている。こういう考え方を持っている人が、ごまんといて、朝から晩までマスコミがこういう調子でことばを流してきましたし、いまだにそうです。新聞だけでなくNHKあたりまでが戦後ズーッと朝から晩までこういう調子で物を言っていましたから。これは決して、日本に