西尾幹二のインターネット日録

人物評
2006年12月29日

坂本多加雄選集のこと(四)

 解説――恐るべき真実を言葉にする運命  
坂本多加雄

 本書では、たとえば、日本でもっぱらドイツの良心を象徴するものとして称賛されるヴァイツゼッカー演説に関しても、ナチスの他民族への巨大な犯罪が、ドイツ人全体への復讐を招き寄せることを防止するために、懸命になって構築した論理の所産であることを指摘する。すなわち、ドイツの戦後処理の態度を、高潔な倫理観のあらわれというよりも、あくまで、そのしたたかな政治的意思の発顕として理解するのである。著者は、さらに、ドイツの日本に対する「悪意」にも言及しているのだが、そうした著者の姿勢に、「ドイツに見習え論」とは逆の、ドイツへの執拗な批判の意図を感じとる読者もあるかもしれない。

 しかし、著者の本意は、おそらくそこにはない。著者は、むしろ、日本が、ドイツを含めて西洋諸国に真に学ぶべきことを主張し、しかも、それは、「ドイツに見習え論」などが言うところとは、まったく別のことだと説くのである。その点は、著者が、本書で、西洋に「学ぶ」ことを、「崇拝」することから厳格に区別しながら、次のように述べていることに示されている。「われわれが学ぶべきは現実に対する西洋人の対応の仕方、リアリズム、自国民を守ろうとする生命力であって、その歴史観や戦争観などではない」と。言い換えれば、西洋の主張している個々の言説の内容を学ぶのではなく、そのような主張の背後にある精神の構えを学ぶべきだというのである。

 ところで、西洋人のそうした精神の構えの根幹にあるのは、いま引いた部分にある「生命力」に他ならない。ちなみに、「生きるため」とか「生きようとする意思」といった言葉は、著者の多くの文章に見られるものであるが、私たちは、ここで、著者が、ニーチェの専門的研究者であることを思い出すべきなのかもしれない。すなわち、著者の念頭にあるのは、個人や人間の集団が自らの生存を賭けて行動する姿勢には、外側からの安易な毀誉褒貶(きよほうへん)を超越するような、ある厳粛ななにものかがあるという認識であり、そして、このことをいささかも心に留めない言論は、どこか軽薄なものとなるという思いではないだろうか。

 著者の見るところ、ドイツの戦後処理の仕方にも、このような懸命に「生きよう」とする激しい意思が発顕しているのである。本書の意図が、世上の「ドイツに見習え論」を逆転して、単にドイツ批判を展開するところにあるのではないことも、以上のことを考慮すれば、自ずから了解されるであろう。

 さて、そうした見地から、改めて、日本の戦後処理の仕方を問題とするような議論を見てみると、そこには、当のそうした議論が全く自覚していないような、別の深刻な問題がうかがわれるように思われる。すなわちそうした議論は、自らの生き残りを賭けて行動しているドイツの姿の全貌に眼が届かず、ひとえに倫理的な模倣像のみを投影して、それに倣(なら)えと説いているのだが、実は、それは、今日の日本が、国家として「生きる」ということの切実さに対して、あまりの鈍感に陥ってしまっていることのあらわれではないのかということである。そして、それは、ひょっとすると、戦後の安楽な環境の中に置かれ続けてきたことで、日本自身の「生命力」が衰弱しつつあることを暗示しているのかもしれないのである。本書は、そのように訴えているように思われる。

 先にも述べたように、本書は、論争の書である。にもかかわらず、著者自身は、自分が、その文章の厳しい表現のはしばしから推測されるような「硬骨漢」ではないことを示唆する。確かに、「硬骨漢」といった言葉は、著者の言論人としての本領を充分に語るものではないかもしれない。それでは、著者の言論人としての活動を導いているものは何か。それは、おそらく、「なにものかに動かされたかのごとく、当時の世人の意に逆らう恐るべき真実を次々と言葉にするしかなかった『運命』」であろう。これは、著者自身がマキャヴェリと韓非を論じた文章の一節にみられる言葉である(『人生の価値について』新潮社)。本書は、そうした著者、西尾氏の「運命」から紡(つむ)ぎだされた貴重な一冊に他ならない。

(学習院大学教授)

年末のお知らせ

 あまり気のきかない話ですが、『江戸のダイナミズム』の事項索引の作成に年末までかゝり切りになり、私の手を離れたのは26日でした。担当の編集者はまだまだ作業がつづき、校了は年明けになるそうです。すべての作業が三冊分あるので、いつまでも身軽になれません。それでも、私はやっと年末に解放されました。

 そんな事情で今月は他にたいした仕事も出来ませんでしたが、店頭にはかろうじて三つほどお知らせするものが出ています。WiLL2月号の「無抵抗主義で国家も国民も自滅する」という評論が今月の新作です。

 『撃論』(西村幸祐・山野車輪責任編集オークラ出版)というコミックオピニオン誌が出はじめ、Vol.①で「日本はナチスと同罪か」と題し、私の論文の一部がマンガ化されています。

 関岡英之編『アメリカの日本改造計画』(イーストプレス)に私の今年の評論のひとつである「保守論壇を叱る」が「巻末特別収録」として再録されています。とても大事なテーマを語った一篇なので関岡氏の慧眼に感謝しています。

 日本文化チャンネル桜12月31日(日)夜8時~午前0時「日本の未来 アジアの未来――再び日本の核武装を語る――」に出演します。4時間討論のパネリストは黄文雄、田久保忠衛、西岡力、西部邁、西村真悟、平松茂雄、宮崎正弘の諸氏、それに私です。

 司会は水島総氏です。

 
 良いお年をお迎え下さい。


2006年12月27日

坂本多加雄選集のこと(三)

 私の書いた月報にあげた坂本さんの解説文とは、『異なる悲劇 日本とドイツ』の文春文庫版に寄せられた文章である。最近『日本はナチスと同罪か』(WAC出版)と改題再刊された一書である。坂本さんを偲んで、ここに同解説文を紹介する。

 解説――恐るべき真実を言葉にする運命  
坂本多加雄

 ここ数年来、先の戦争における日本の「加害者責任」と「戦後補償」の問題が世上を賑わしている。最近のいわゆる「従軍」慰安婦をめぐる論議もその一環である。そして、そのことに関連して、日本の戦争への反省の仕方は、ドイツに比べて不十分である、それゆえ、日本もドイツに見習って正しい戦後処理を行うべきだといった論議が流布されてきた。

 本書は、こうした「ドイツに見習え論」とでも称しうる議論が、歴史への深い理解を欠いた安易な立論であることを指摘して、徹底的な批判を加えた論争の書である。ドイツを模範として引き合いに出す主張は、一部の大マスコミやドイツの事情に通じていると称する人々によって繰り広げられたため、直接、ドイツの実情に接する機会が少ない日本の多くの人々は、釈然としないものを感じながらも、それを受け入れざるをえないような状況に置かれてきた。そうしたなかで、ドイツの文学・哲学に精通し、さらにはドイツのみならず、ヨーロッパ大陸の各国事情に詳しい著者によって、このような内容を持つ書物が記されたことは、まことに画期的な意義を有していたと言うべきであろう。三年前に本書が出版されて以来、それまでのような単純な形の「ドイツに見習え論」は、少し下火になったという印象がある。

 もっとも、本書を読まれた方には既に明らかなように、本書の内容は、単に、ドイツに詳しい「情報通」によって記された、ドイツ戦後賠償の「裏事情」の暴露といったことに尽きるものではない。そこでは、日独両国の戦争の相違についての比較史的な検討、通常の戦争犯罪とナチスの犯罪との法理論上の区別、そもそも歴史探求と倫理的評価は如何に関わるべきかといった深遠な問題について、まことに広い視野から、様々に考察が展開されているのである。ちなみに、著者は、本書の前年に出された『全体主義の呪い』(新潮社)で、旧ソ連圏諸国におけるかつての共産党政府への責任追及の動きが、ナチスへの責任追及と共通する問題を孕んでいることを論じて、日本が十分感知しないままに過ごしつつある「第三次大戦」の世界情勢の新たな展開という見地から、今日の諸問題を見直すべきことを提唱したが、本書もまた、そうした広範な歴史的パースペクティヴを継承したところに成立しているのである。

 本書を読んだ後で、「ドイツに見習え論」を眺めると、それが、日本人の「国際感覚」の欠如をあげつらいながら、実際は、半世紀前の連合国側の戦争観に拘束されたまま、もっぱら日本の国家権力を批判しようという意図のみが先走り、ドイツの事情についても、そうした日本中心のまことに狭隘な視野に入る事柄だけを取り上げて、しかも、それを現在の日本人の感性から一方的に解釈しているに過ぎない点で、逆に、真の国際感覚の欠如を露呈してしまっていることが明白になるであろう。

つづく

2006年12月25日

坂本多加雄選集のこと(二)

 坂本多加雄選集のこと(一)の続きです。 

 選集のⅡ巻目の月報に私も寄稿していることは前回にも語った。それは次のような内容である。

偲ぶ会のこと

 永田町の星陵会館で平成14年12月21日、新しい歴史教科書をつくる会と民間憲法臨調が主催する「坂本多加雄先生を偲ぶ会」が行われた。高橋史朗氏の司会で始まり、まず田中英道氏が「常識を大切にする、壮士風ではない」つくる会の性格形成に、坂本氏がいかに貢献したかを語った。三浦朱門氏は、坂本氏が歴史を物語だと言ったのは、歴史を現在の枠で見るのではなく、それを形成した往時の人の意図や課題に即して見ようとしたからだと評価し、田中氏とは逆に「坂本さんは国士ともいうべき人」と語った。

 来賓の自民党中川昭一氏は「あのいかがわしい靖国懇談会」(というお言葉を使った)のさ中に、ただ一人まともといっていい戦いをした坂本先生への感動を述べた。つづいて私が話をした。録音テープを再現する。

 「よく言われることでありますが、死んで初めてその人の姿がくっきりと見えてくる、そういうことばがございますが、私は彼に先に死なれ、このたびあらためて次々と著作を読む機会を得ました。そしてご著作の文章のリズムに――やはり現代では52歳の死は夭折ですからね――いわば業半ばにして、仕事の絶頂期に逝った人のはげしい息遣い、切ないまでの、急いで生きた人の足取りが感じられました。

 坂本さんは予想よりもずっと大胆な思想家であったのだな、という思いを改めて致しました。普通、静かな思索家と思われていた彼が――つくる会の会合では付和雷同せず、さりとて独断専行もなさらず、同調的で、しかも意志的で、責任感もお強かった――、その彼が、じつは静かなたたずまいとは別に、非常に緻密な思索の奥に、思いもかけない飛躍的独断――これはご文章の世界について申し上げているわけですが――、論議上の思い詰め方、切り込み方、逆説的な言葉の転調、そういうものを、私は今回読み進みながら、何度も何度もくり返し感じました。あゝなるほど、早く逝った人らしい、そういう言葉遣いだったんだなァ、と改めて思った次第であります。

 大量の本を次から次へと読み、読書中毒ではないかという読み方で、知識を呑み込み、慌ただしく吐き出しているような著作もございます。かと思うと、学問と政治、哲学と歴史、認識と行為といった相反する概念の矛盾の中にあえて身を置いて、その矛盾を構造的に解明しようとしたご著作もありました。代表作『象徴天皇制度と日本の来歴』はさしずめその一つです。

 坂本さんは歴史は物語であり、来歴であるとおっしゃいました。坂本さんならではの大胆なこの規定は、歴史教科書の世界では有効で、ありがたい思想でしたが、よく考えてみますと、とてもきわどい危ない思想でもあるのです。なぜなら歴史が民族の物語であり、来歴であるなら、国境を越えた歴史の客観性、普遍性を否定してしまっているのですから。あくまで自分の生きている共同体の幻想だけが歴史であると断定しますと、人類の歴史というものはどこかへ行ってしまいます。その矛盾、その危機を、彼は最初から意識しておりまして、無知でそういう言葉を弄していたわけではないのです。

 彼はハイデガーを使ってこの矛盾、危機をどう乗り越えるかを説明しています。ハイデガーを使う人というのはどうも危ないところがある。いつでも死を思うところに立ち還る。人間が人間としての本来のあり方、本来的自己に立ち還る、そこに死のモチーフがあるのですが、坂本さんは日本の歴史が死を思うことが二度あったと言います。19世紀の初頭と昭和20年です。日本人はそれぞれこの時期に、自分たちの『来歴』を思い出しました。それがつまり『国体』という概念です。

 歴史は必ずしも物語ではないのかもしれませんが、坂本さんはあえて物語であると承知して言おうとする。歴史はフィクションだと言ったら大変なのです。そんなことは言えない。そこで、そのきわどい矛盾を乗り越えるために、行動が必要になった。政治行動が必要になった。学問と行動、認識と実践を統合しないと学問も認識も前へ進まない、そういうタイプの学者だったんだと今にして思います。

 書斎の人でありながら、そこだけでは完結しない。物静かな思索家でありながら、思考の論理に飛躍があり、思いのほか大胆だったと、先に申し上げたのはこのことであります。」

 私は政治参加(アンガージュマン)が坂本氏の哲学の必然から出ていて、凡百の政治学者とそこが違う点だと言ったつもりである。話の最後に私は彼の学者としての誠実さを伝える逸話を添えた。坂本氏が私のある本の文庫本の解説を書いてくれたことがある。彼は私の別の関連本を二冊、つまり一冊の本の解説を書くのに都合三冊読んで書いた。「こんな篤実な人はいない。坂本さんはそういう人だったんです」と私は結んだ。

 私につづいて四人の挨拶があり、献花が行われ、参列者全員によって彼が好んだ「海行かば」が斉唱され、散会した。

2006年12月08日

坂本多加雄選集のこと(一)

 坂本多加雄さんが逝ってから早くも四年が経つ。藤原書店から部厚い二巻本の選集が出てからも一年経った。以前に「日録」でもこの本のために知友が集って、ご父君の援助もあって、選集出版を誓い合ったことを報告している。

 思い出せば亡くなられた年の師走の寒い雨の日に追悼のための集会が行われた。今年もまた同じような寒い年末を迎えている。ここで二巻本の選集のことを遅ればせながら顧みておこう。

 選集は坂本さんの弟子筋の杉原志啓氏が奔走して、実務も担当され、実現の運びとなった。杉原さんがいなければとうてい日の目を見なかった著作だった。

 残念なのは一冊の値段が各8400円+税と高額なことである。序には粕谷一希、解説には杉原志啓、そして二冊の月報に猪木武徳、梶田明宏、北岡伸一、中島修三、西尾幹二、東谷暁、御厨貴、山内昌之の八人が名を並べている。

 Ⅰ、近代日本精神史、Ⅱ市場と国家の二冊に分れ、カタログにはⅠについて、「日本政治思想史研究」を学問として成立させた丸山真男を受け継ぎ、この学問の新たな領野を切り開いた坂本多加雄。秀逸の丸山論、福沢論を始め、近代日本思想史の豊かな遺産を現代に甦らせた諸論考と、「言葉」を手がかりに大正以来の思想史を初めて一望してみせた『知識人』を収録、と書かれている。

 Ⅱ市場と国家については、憲法に規定された「象徴天皇制度」の意味を、日本の来歴に基づいて初めて明らかにした天皇論、国家の相対化や不要論が盛んに説かれるなか、今日における「国家の存在理由」を真正面から明解に論じた国家論、歴史教育、外交など、時事的問題の本質を鋭く迫った時事評論を収録、と書かれている。

 以上はカタログの文言である。ここでは私の月報の文章と、その文中に坂本さんの真摯な性格を物語る一例として取り上げた、往時の彼の解説文を紹介したい。

   彼がいてくれればこんな事にはならなかったとしきりに思う。死なれると存在が大きく見えるものである。生きている人間は生ぐさくて浅間しい。

 思い出すために亡くなられた直後に私が新聞にのせた追悼の「談話」をもう一度読んでもらおう。


 あまりにも早い死を悼む
 学識もあり、洞察力もある優れた知識人だった。あまりにも早く逝った。今思えば、病気が彼の体を急速にむしばんでいたのは、靖国神社の代わりの追悼施設を審議する懇談会で一人正論を主張していた五、六月のことではなかったろうか。

 坂本さんはつくる会創設の最初の四人のメンバーの一人で、教科書のかなりの部分を執筆した。しかし実は、彼の専門の明治維新前後はほかの執筆者が書いた。彼の当初の原稿は批判されたのである。専門家でありすぎ教科書の記述にはなじまない、と。だが、ここからが坂本さんのすごい所だった。近世や戦後史など専門でない分野を進んで担当した上、全体の完成度を高めるために献身的、協力的だった。私は彼に人間的に負けたと思った。

 「一番男らしいのは坂本さんだ」。当時の編集者のこの言葉がすべてを表している。(談)


2006年05月07日

哭泣の書

 以下に掲げるのは、平成15年(2003年)7月25日に私が当ブログに書いた「八木秀次氏のこと」という文章である。彼は私の息子の世代である。私はほかでも何度もそう書いたことがあったのを思い出す。 

 なぜ彼は私にあの「怪文書 2」を送る非情をなしえたのだろうか。70歳すぎた人間に「西尾先生の葬式に出るかどうかの話も出ました。」と書くのは、よほどの神経である。あるいはこの部分は宮崎氏の筆になるのであろうか。関係者のお葬式にとびまわっていた人だった。

 「八木はやはり安倍晋三からお墨付きをもらっています。小泉も承知です。岡崎久彦も噛んでいます。CIAも動いています。」の一行には、私自身がハッと思い当たることがある。八木氏が余りに態度をくるくる換えるので、遠藤、福田、藤岡の三氏と私で、クリスマスの晩に新宿の中華料理屋に彼をよんで問いただしたことがあった。その件は無事にすんだのだが、帰りしなに八木さんは、私の新著「<狂気の首相>で日本は大丈夫か」を非難がましくいい、「官邸は西尾先生に黙っていない、って言ってますよ。」と脅かすように言った。西村代議士の強制捜査をわざと連想させるシチュエーションにおいてである。

 「誰が言ったのですか。」と私はきいた。「知っている官邸担当の政治記者です。」「それはいつですか。」 聞けば私のこの本の出る前である。そういうと「先生はすでに雑誌に厳しい首相批判を書いていたでしょう。西村代議士がやられたのは<WILL>での暗殺容認の発言のせいらしい。」「私はそんな不用意な発言はしていないよ。」と受け答えたことを覚えている。
 
 八木さんは安倍官房長官に近いことがいつも自慢だった。紀子妃殿下のご懐妊報道の直前、日本は緊張していた。あのままいけば、間違いなく「狂気の首相」が満天下にだれに隠すところもなく露呈してしまうのは避けがたかった。国民は息を詰めていた。制止役としての安倍官房長官への期待が一気にたかまった。八木さんは安倍夫人に女系天皇の間違いを説得する役を有力な人から頼まれたらしい。まず奥様を説得する。搦め手からいく。「有力な人」の考えそうなことである。

 八木さんはこの抜擢がよほど得意らしく、すくなくとも二度私は聞いている。彼は権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人だった。私は政権と言論ははっきり切り離されているべきだという考えである。ことに安倍政権が有力視されるようになってから、私は言論人の政権接近ににわかに厳しい批判の目を注ぐようになった。小泉容認に急傾斜した伊藤哲夫さんと袂を分かつようになったのもこのせいである。八木さんは伊藤さんの強い影響下にあるのかもしれない。

 このへんの問題意識はわたしの本年の「謹賀新年」をみていただきたい。

 いずれにしても、鈴木尚之氏の証言だけではなく、文面的にみても、「怪文書 2」に八木さんが関わっていることは私にはほとんど疑う余地がない。つくる会ファックス通信173号では、産経渡辺記者が「謀略的怪文書を流しているのが<八木、宮崎、新田>であると言明した。」とはっきり書いている。会の公文書がここまで打ち出しているのである。軽く見逃すことはできない。

 嗚呼、それならなぜ? 八木さんはなぜそんなことを? 私は痛哭の思いである。そういうタイプの人だという説がある。論壇の寵児とにわかに持ち上げられて、慢心したという人もいる。私には解らない。保守論壇などというものは、日本人の精神活動のなかでは、一隅の小さな、小さな、頼りない、無力な世界である。私は酒の席でそういうことを言って、無視されてきた自身の人生の悲哀を彼に語ったことがある。八木さん、覚えているだろうか。貴方はそのとき「自分は日本の文化界の中央を歩んでいるつもりだ。」とためらいもなく言った。私はその自信に少し驚き、しかしこれからの若い人はこれでいのかもしれないと思って、それ以上なにも口にしなかった。

 以下は3年前の私の文章である。 


            哭  泣   の   書(原題 八木秀次氏のこと)
                                  
                                 平成15年7月25日     八木秀次氏のこと

 私が八木秀次さんに最初にお目にかかったのは、平成7年(1995年)の春先か、あるいはもう少し前の頃ではなかったかと思う。伊藤哲夫さんが主催している日本政策研究センターの談話会があり、私は講師をたのまれて、一座の談話を行った。テーマを覚えていないし、何を話したのかも勿論まったく覚えていない。伊藤さんに昔の記録を調べてもらえば、日時とテーマも正確に全部分かるだろうが、まあそれはどうでもいい。

 車座に囲んだ15人程度の会であったと覚えている。そのときの席にいたまだ若いひとりが八木さんだった。八木さんは鋭い質問をした。質問の内容をこれまたまったく覚えていない。日本国憲法の歪みが革命国家フランス模倣に由来することに関連する話題ではなかったかと思う。私はすでに5年前に「フランス革命観の訂正」(Voice1989年8月号)を書いていた。この論文は後に『国民の歴史』の「西洋の革命より革命的であった明治維新」の章の原型をなしている。

 けれども私は憲法学に関する知識を持たない。私が漠とした疑問を抱いている憲法学者樋口陽一に対する批判を八木さんが口にした。私は詳しく知りたかった。憲法は素人だが、何でも私は知りたがり屋なのだ。しかも私と考え方が近い人が持っている未知の知識に関する限り、私の知識欲は貪婪であり、見境がない。私は家に帰ってから八木さんに電話をした。基礎から教えて欲しい、と。

 私と八木さんとの交流が始まったのはこの日からである。彼は私の欲求を知って、樋口陽一の著書や論文のコピーを数多く送ってくれた。さらにまた会って憲法学会の狂った方向について説明してもらった。私と八木さんとは怒りを共にしていることが直覚された。彼のデータや情報の提供は誠意があり、献身的であった。私は深く感謝し、その無私に感動した。

 ちょうどその頃はオウム真理教の不安や関心が高まっていた時代だった。『諸君!』(平成7年10月号)に、「政教分離とはなにか」を私は書いた。この最後の小節は「憲法モデルをフランスに置く弊害」とあり、樋口陽一の『近代国民国家の憲法構造』への批判が展開されている。この小節での考え方の骨子とデータの提供者は八木さんである。

 つまり、私より30歳以上も若い彼だが、私は八木さんの師ではなく、八木さんが私の師なのである。

 彼は当時まだ無名だった。しかしその頃から論文が注目され始め、あっという間に世間に知られるようになった。この数年の彼の成長はめざましい。保守系の憲法学者はこれから特に貴重な存在である。自重し大成してもらいたい。彼の大成に日本の未来がかかっている、とあえて言ってよい。もし彼が挫折するようなことがあれば、日本の憲法つくり直しの道も挫折するのである。

 今から38年ほど前、私は福田恆存先生のお宅にお教えを乞いによく伺っていた。私がドイツに留学する報告をした日に、先生は「君が帰ってくるころに、仕事がし易くなるようにしておくよ」と謎めいたことを仰言った。日本文化会議の設立が考えられていたのだと思う。左翼一辺倒のマスコミをある程度きれいに清掃しておくよ、というくらいの先生一流のユーモアのこもった決意であったかと思う。

 私は八木さんに、「君のために仕事がし易くなるようにしておくよ」と断固として言ってあげたい。福田先生がそう言ってくださったが、私の人生において仕事は必ずしもし易くならなかった。左翼一辺倒のマスコミは相変わらずで、千年一日のごとくである。「幻想は切っても切ってもあとから湧いてくる」というのも福田先生のことばだった。私も今同じ心境である。人々はなぜ現実の悪にそのまま耐えられないのか。なぜ悪をむなしい善の見取り図にすり替えたがるほどに弱いのか。欲求不満を自由と錯覚し、不必要な希望を休みなく未来にいだきつづける人々の幻想を、「切っても切ってもあとから湧いてくる」状況の継続に私はほとんどもう疲れた。八木さんが仕事のし易くなる状況をいっぺんに作り出してあげられない私の無力を私は噛みしめ、彼にゴメンナサイと心の中で言っている。

 今私は彼とある新しいプログラムをスタートさせている。伊藤哲夫さんや中西輝政さんや西岡力さんや志方俊之さんや遠藤浩一さんもそこに加わっている。志は「押し返す保守」である。それくらいまだ不利な状況にある。みんなの力で愚かな「幻想」を根っこから打ち滅ぼしてしまいたい。彼のために仕事のし易い状況を作ってやれないで、私の人生もまた終わるのかもしれない・・・・・そのうち日本も沈没するかもしれない、そんな暗い予想さえ抱く。

2006年01月24日

川田正子さんを悼む

 川田正子さんが急逝され、しばし言葉もなかった。今年も年賀状の交換があった。

 平成14年8月3日につくる会・夏の祭典の第一部にコンサート「教科書から消えた唱歌・童謡」が企画され、川田さんと森の子児童合唱団にご出演いただいた。子供の頃ラジオで毎日のようにその歌声を耳にしていた、私には懐かしい人だ。五十数年をへて実際にお目にかゝれる人になるとは夢にも思っていなかった。

 あの日の出来事を通じて川田さんを回想する文章を日録に記していたので、その一部を追悼の意をこめて再掲示する。

 舞台の上に緑の服に、白い帽子を冠った20名の可愛い森の木児童合唱団の子供たちが「待ちぼうけ」「故郷を離るる歌」を、それから「おぼろ月夜」を歌った。さらに「夏は来ぬ」「われは海の子」「村祭」がメドレーで歌われた。

 そこで川田正子さんが登場、「みかんの花咲く丘」を歌った。

 川田さんがデビューしたのは昭和18年だが、戦時中も疎開せずにJOAK(今のNHK)のマイクの前で歌いつづけた。終戦前でも「空襲のない日はあっても川田正子の歌声の聞こえなかった日はない」とまで言われたほどである。

 戦後最初にヒットしたのは「里の秋」で、つづいて昭和21年「みかんの花咲く丘」(加藤省吾作詞・海沼実作曲)が空前の大ヒットとなった。あの前奏のメロディーも私は口をついて出てくるほどに愛唱したものだ。

 ラジオの二元放送というのがあって、伊東市の国民学校の講堂で、8月25日彼女が歌う予定の前の日になってもまだ歌ができていない。作詞の加藤は故郷の静岡のみかん畑を思い浮かべながら原稿用紙をうめた。作曲の海沼は歌詞を受けとるや、曲を作るより前に、大急ぎでCIE米民間情報局とCCD米民間検閲部が陣取っていたJOAKへ、まだ幼い川田さんの手を引っぱって連れて行った。当時出版物や歌などは、発表する前に必ずGHQの審査を受けなければならなかったからである。

 勿論「みかんの花咲く丘」の歌詞に問題はなく、すぐ許可が下りた。大急ぎで二人は電車に乗ったが、当時伊東行きは一日に一本しか出ていなかった。海沼は車中必死に想をねって、音楽学校でよく弾いたオペラの曲を思い出していると、ワルツのようなあの前奏が閃いた。川田さんはすやすやと眠っていたという。

 こうして電車が伊東に着く頃にメロディーはできあがった。伊東の旅館で海沼は川田さんといっしょに風呂に入り、背中を流してやりながら、明日歌うことになっている新しい歌を教えたという。

 一度限りの放送用と考え、あわただしく作られたこの歌は予想を越え、空前の大ヒットとなり、童謡歌手川田正子の人気は大人のスター歌手をも圧倒するほどとなった。

 昭和21年は大量の餓死者が出ると予想されたほど、国内の食糧が完全に底をついた暗い年であった。

 あの年の夏、私は国民学校の五年生で、茨城県の那珂川上流の寒村に疎開していた。農家から畑を借りて、父母が慣れない手で芋をつくり、野菜を育てていた。

 歌の祭典が始まる前、私は楽屋に川田さんを訪ねて挨拶した。昭和21年から、56年の歳月が流れている。私とほぼ同世代の彼女はまだ若々しく、美しかった。小学生のときラジオで毎日聞いていたあの歌声の持ち主に、67歳にして出会えたのである。

 舞台の川田さんは声に張りがあり、艶もあり、衰えを感じさせない。「赤い靴」「十五夜お月さん」「この道」「浜千鳥」そして「月の砂漠」が次々と歌われた。

 川田さんには私のリクエストで「冬の星座」を歌ってもらった。私も舞台に上って「みかんの花咲く丘」と「ふるさと」を会場も含め皆で合唱したのを思い出す。この後書簡の往復もあった。

 川田さんの音量のある艶やかな声と若々しいお姿を思い出すと、急逝がにわかには信じられない。人の命の儚さと無常の思いはありふれた言葉ではあるが、今はただそうとしか言いようがない。同じ年齢の彼女の死はわが身に近づくものの跫音の響きをしかと感じさせる。

 昨日高校時代の私の友人の一人がガンで入院したとの報せを受けた。人が去るだけでなく、私の生きた「時代」が去って行く。

 『諸君!』3月号に「誰がホリエモンに石を投げられるのか」(18枚)を書いた。動いているニュースなので、容易でなく、ホリエ逮捕のあった23日の夜中に加筆校了とした。

 人は生きている限り、生の法則に従い、自分の仕事に忠実に従事する。しかし人の世の争乱と紛糾を人の世を超えた視線で突き離して見ることも必要で、この論文の題名は期せずして私の心境を反映していたように思える。題名は勿論、三日も前に決定されていたのではあるが・・・・・・。

2005年11月29日

猪口邦子批判(旧稿)(十二)

世界文学が示す深海のような心の闇

 猪口邦子氏と同様に、大沼氏もまた文学をほとんど読んでいないのではないかと私は疑う。両氏には人間の心の襞(ひだ)が見えない。ステレオタイプ化した平等・自由・人権の拡大論ではなく、不平等・不自由・偏見・差別がときに人間性にとっては不可欠な要件だという、『アメリカン・マインドの終焉』の著者が示唆したような人間の心の秘密について、何がしかの予感さえ抱いていないように思える。

 今度、本稿を書くに当たってつくづく思ったが、新時代の二人の論客の表現世界は、俗流心理学の域をほとんど出ていない。彼らは真の洞察とプロパガンダの区別が分からない。ばかげた感傷的正義感と本物の高潔な精神的態度との間には、外見上髪一本の差しかないのだが、それを弁別する能力を与えてくれるのは、彼らが学んでいる社会科学ではなく、高校や大学初期に誰しもが耽読すべき偉大な文学の世界なのである。文学だけが人間の心の世界の複雑な可能性、類型に関する微妙な差異を比較する意識を育ててくれる。

 例えば、ドストエフスキイは、人間の謙虚さが持つ恐るべき傲慢さ、賤しさの奥に秘められた高貴さ、卑劣な弱者のみが持つしぶとい生命力、正義を維持するために必要な不正の質と規模、寛容とヒューマニズムがときとして惹き起こす悪逆無道、そして罪の中の愛と愛の中の罪との関わりについて、あるいはさらにもっと複雑な心の広い領域について、考えられる限りの可能性を追求し、展開している。

 われわれはそういうものを読むことを通じてしか、人間と社会と世界とを見る目を鍛えることは出来ない。あるいはスタンダールやバルザックが、シェイクスピアやディケンズが、ゲーテやニーチェが、世界の全体像を提出し、その限界を指し示していることと無関係に、国際政治学や法学や精神医学や生命科学が、それ自体として存立しているなどと私は考えることが出来ない。

 世界の文学が切り拓いた、深海のような広くて底のない心の闇について、ほとんど予感することもなく社会科学その他の学問を学んだら一体どういうことになるか、本稿ではその見本を提示した積りである。

 アラン・ブルーム氏ではないが、人類のマインド終焉し、知性の野蛮が行進し始めている。自分というものを欠いた、怜悧で、無知も盲目も知らない、単純化された魂の砂漠が広がり始めている。

 〈『中央公論』1989年3月号、『日本の不安』[PHP研究所、のちにPHP文庫]所収〉

2005年11月26日

猪口邦子批判(旧稿)(十一)

 

在日韓国・朝鮮人の問題は、日本の犯した過去の罪の遺産だから、われわれ日本人はこれを末代まで耐え忍んでいかねばならないだろうし、その点のコンセンサスはほぼ出来ていると思う。ただ、文化や行動様式の面でも日本人と近いだけに、かえって微妙な差が厄介な対立になる在日韓国・朝鮮人の苦しみについて、実態をよく知っている大沼氏は、普通のセンスの持ち主なら、もう二度と同じ過ちを他の民族においては繰り返したくないと考えるのが人間としての常識であろう。

 フィリピンやパキスタンやバングラデシュから何十万何百万の移民を新たに受け入れて、在日韓国・朝鮮人と同じ憂(う)き目を彼らに味わわせることは何としても避けたい、だから労働者導入には反対だ、そう判断するのが、人間としてごく普通の感情の動きであろう。ところが大沼氏はそうではないのである。

 座談会に同席したブリティッシュ・コロンビア大学の鶴田欣也氏が、「ただ大沼さんの話を伺っていて私が分からないのは、そういう問題(在日韓国・朝鮮人問題)に取り組まれながら、どうしてこの国を開き、同化の方向を望まれるのかということです」と疑問をぶつけられたのは、至極当然であった。私も同じ疑問を抱いていたので、「そうそう、普通なら逆になるはずなんだ」と、相槌を打っている。

 外国人受け入れの具体的是非は私にはもはやどうでもよい。ある説明のできない観念の妄執に取り憑かれた、大沼保昭という一人の人間――日本の近代文学が本来ならその観念の内部を腑分(ふわ)けし、構造究明をしておくべき型の人間なのに、残念ながらまだなされていない――に、私は尽きせぬ興味を覚えた。

 在日韓国・朝鮮人は文化と行動様式の面で日本人と近いだけに、かえって微妙な差が厄介な対立になる、と私は先に書いた。最も近い者同士の橋は最も懸け難い、という古人の言葉は、常識ある人間には自明の真実と思われようが、大沼氏はまったく逆に考える。日本人とそんなに変わらない人間に就職差別や婚姻の差別を強いる日本社会の道義責任を繰り返し激しく問責し、日本人に社会教育を施すことで、民族的体質を変えていかなければならない、とあくまで自分の考え方のみ潔癖かつ純粋という主張を展開する。

 その際韓国人社会の側にも若干問題があるのではないか、とはまったく考えない。悪いのはすべて日本人である。また就職差別や婚姻差別はだんだんに減っているではないか、という現実の変化も認めない。悪いのは日本人の不道徳である。私は生まれて初めて、想像はしていたもののまだ見たことはない異質の人格、硬直した単純観念への信奉者を目の前に見て、信じられない思いだった。

 氏は物腰の穏やかな紳士だが、そのことと頭脳の中のファナティズムとは別である。毎年5万なり10万なりの移民を実現せよ、と氏はいうが、氏のような人格が言論界に一定の発言権を持っている限り、日本の門戸はますます強固に鎖(とざ)さなければならないとの確信を私は強めた。

 なぜなら氏は、日本の社会に少数民族問題が一つでも多く殖(ふ)えることを今か今かと待っていて、在日フィリピン人問題、在日バングラデシュ人問題、在日パキスタン人問題、等・・・・・・・が新たに発生すると途端に元気づき、自分のファナティックな正義の旗を振り回す機会到来とばかりに、あちこちで大活躍をするに相違ないからである。

 在日韓国・朝鮮人問題の底深い困難を氏は知っており、西ドイツのトルコ人労働者の惨状も研究していて、その点での私の報告文を評価に値すると公言しながら、なおかつアジアからの移民導入に賛成であるというのなら、氏の主張が自己の単純正義感を満たすための、人類愛の仮面を被った倒錯心理だと規定されても、反論の余地はあるまい。

 座談会に関する限り、氏は自分が石川好氏風の乱暴な開国論者ではなく、入国管理法をどんなに厳しくしても外国人が流入する現実は残り、一定枠の合法化を認めないと労働法上の保護が働かないことを問題にしている。不法入国者の増加の既成事実に乗った、最近よく指摘される論点である。いかにも少数民族擁護派らしい議論といえるが、ここで日本の読者によく立ち止まって考えてもらいたい観点が一つある。

 外国人単純労働者に対し今正式に門戸を開くとどうかという国家百年の計に関わる高度に政治的な決断を要する問題と、現に流入した人間をどう扱うかという既成事実処理問題とは、問題の本質を異にするのである。前者は日本の国家的運命に関わる政治政策論であり、後者はあくまで道徳論ないし技術論である。

 政治と道徳・技術は別である。大沼氏はそこを混同している。われわれ言論人が今責任をもってこの件で広く討議を尽さなければならないのは、前者であって、後者ではない。少なくとも後者は単独に、切り離して、別個に討議さるべきである。

 念のため私は大沼氏の思想的原点ともいうべき著書『単一民族社会の神話を超えて』を拝読した。指紋押捺制度の撤廃等を主題にしている、この方面の重要文献であろうが、たった一つの正義の感情が全文を蔽(おお)っていて、単調で、専門家以外には、あるいは信条を同一にする人以外には、読むのに気骨が折れる本である。

 要点は、在日韓国・朝鮮人を日本社会に同化するのではなく、彼らの「朝鮮民族的なるもの」を承認し、育成し、なおかつ日本の国内で日本人と同等の権利資格を彼等に保証せよ、ということらしい。一種の「国内国家」是認論である。日本の歴史的罪過に問題が起因している以上、私はこの点に関する限り、大沼氏の主張の正当性を否定しない。だからといって、最近の新しい不法入国者にまで「国内国家」論を認めよ、というのは自虐的誤謬だということを付け加えて置く。

 それはそうとして、私は以下、氏がその人生で恐らく今まで出会ってもいなかったであろう氏への道徳批判を披瀝(ひれき)することとする。わが国の歴史に責任のある朝鮮人問題は、日本人の誰もが抗弁できない、有無を言わせぬ性格の問題である。

 朝鮮人の立場に立ってこれを論ずる人は、つねに安心して、「絶対善」の中に身を置くことが出来る。
自分の立脚点が脅かされることはないからだ。
 自分は永遠に安全地帯の中にいる。
 そして、他人の不足や欠陥をあれこれ批判する裁き手の快楽に安んじて身を委ねることが出来る。

 大沼氏の本は350余ページことごとくこの快楽に満ちている。読むに耐えないほど単調なのはそのゆえである。氏には自分が安心して正しいことを語っていることへの羞恥心がない。氏の正義感は幼児性の域を出ない。はっきり言って、在日朝鮮人の立場に立って、日本人を論理的に倒すのは、幼稚園の子供にも出来るのだ。そのことへの自己懐疑がない。従って、氏の立脚点は道徳以前である。氏は道徳的感情に浸(ひた)って論を張っているが、善悪に関する成熟した、繊細で微妙な感情が氏にはまったく育っていない。

2005年11月24日

猪口邦子批判(旧稿)(十)

大沼保昭氏という“不可思議な観念論者”

 私は『正論』『諸君!』『週刊朝日』「NHK座談会」その他で、過去一年ほど外国人労働者受け入れ是非の問題について発言した。そして、その間に、大沼保昭、石川好という二人の新しい言論人を識(し)り、両氏と論戦も交わした。私は周知の通り受け入れ反対派だが、今ここで労働者問題を縷々(るる)再説する積りはない。正直いって私は、労働者問題よりも、私が出会った二人の言論人の姿勢、態度、体質の方にずっと興味があるが、今回は東大法学部教授の大沼氏を一個の問題として取り上げる。

 最近『諸君!』(昭和64年2月号)の座談会「〈人種間摩擦〉の時代」で、私は初めて氏の面識を得た。それ以前に、『毎日新聞』(昭和62年1月23~24日号)紙上で、氏が日本の人的鎖国政策を道義的理由からと、異民族に日本人を徐々に慣れさせる実際的理由からと、主にこの二理由から批判している文章を読んでいた。

 氏は日本の人的鎖国が西欧諸国の失敗と比べれば「成功」であったことを認めた上で、「全人種的観点からみれば単なる利己的態度でしかない」と述べ、日本人の排外意識という「精神の病い」と結びついている、と断じている。そして、豊かな国日本で働き家族を養いたい欲求を持つアジア人が多数いる限り、法の力でそれをやみくもに阻止するのは正しくなく、彼らが祖国で得る月給の何倍をも送金できるシステムに、日本はもっと協力すべきだと語っている。

 また、法の保護を受けない不法労働者の存在は、「近隣アジア諸民族に対する日本人のいわれなき偏見・差別感を助長」していると批判する。南北の経済格差がある以上止めようにも止められない労働者の流入の現実を認め、今後日本が徐々に本格的な多民族社会に移行する準備のために、「年々5万なり10万なり一定の人々を近隣アジア諸国から受け入れよ」と提言している。

 本稿は労働者受け入れ是非をめぐる問題の論争を目的としていない。私は別の個所で、この問題をヒューマニズムの見地で論ずる右のような見解の間違い、アジアからの労働力移入がアジア諸国の利益にじつはならない複雑な経済事情に関する認識、北米でもECでも域外の労働者の受け入れを停止し始めた現代における「ヒトの開国」は世界の潮流からの逆行であるという判断、等々、きわめて合理的な反論を、これまで十分に展開して来た積りなので、今さらここで繰り返したくはない。

 私の他にも、次のような重要な慎重論・反対論がある。手塚和彰「ちょっと待て外国人労働者の導入」(『中央公論』昭和63年2月号)、小池和男「〈ヒトの開国〉は慎重に」(『Voice』昭和63年5月号)、小野五郎「途上国を害する労働市場の開放」(『知識』昭和63年11月号)、室谷克実「〈ヒトの開国〉は日本の堕落だ」(『Voice』昭和64年2月号)、東京商工会議所『欧州労働・福祉事情視察団報告』(昭和63年7月号)その他があり、大沼氏のような単なる道義的見地からの受け入れ推進論は、この一年間で、いわば完膚なきまでに否定され、その幻想性、空想性が明るみに出された。

 そこで、座談会で会った大沼氏に、私はほんの小手調べに、次のような質問をしてみた。外国人労働者を日本に入れ、彼らの送金による援助という考え方は取るべきでなく、援助は労働力があくまで現地で生きる形で行うべきで、例えばフィリピンから看護婦さんを入れよという主張があるが、当のフィリピンでは大きな公立病院にさえ満足な看護婦さんがいなくなっている。

 富める国が金力にまかせて熟練労働者や中級技術者を引き抜くのは、この国の社会に大変なダメージを与える。先進国の自分一代限りのエゴイズムのために他国の若者を利用し、両国の末代にまで重荷を背負わせるのはヒューマニズムに反する行為ではないか、と、まず初歩的質問をぶつけてみた。すると氏は、「それはその通りです」「私もそれは否定していない」と終始、私の言い分を認めるような発言をする。

 『毎日新聞』で送金による援助の方式を推進していた前言には頬被りである。(注)それはまあ咎(とが)めぬとして、いったん正式導入に踏み切れば、言語や宗教の相違から来る混乱、子弟の教育という各国悩みの難問、新しい差別の発生、国内に植民地を抱えるに等しい二重労働市場の出現、彼らは文化的ゲットーを作り、国内国家を主張し、日本に同化しない未曾有の扱い難さ――我が国がまだ直面していない、予想される困難の数々が話題になると、驚いたことに大沼氏は、将来そのようなことが起こる可能性をまったく否定せず、危険は十分承知している、と再三言うのである。

 在日韓国・朝鮮人の人権問題の専門家である大沼氏は、日本における人種差別の実態については、私たちよりも厳しい局面を知っていて、座談会でも幾つもの証言をした。

 (注)大沼氏は私に対する反論(『中央公論』平成元年5月号)を書き、冒頭でこの点を捉え、自分は『毎日新聞』その他いかなる機会にも送金による援助を好ましいと述べたことはなく、西尾は「文章の正確な理解力の期待される職にある方として、情けないとしかいいようがない議論」をした、と私をはでに非難した。

 しかし『毎日新聞』(前出)で氏は出稼ぎ労働の拡大を一貫して支援し、ことに23日付では、フィリピン人女性の「送金」の持つ重みについて力説し、法の力で日本がそれを阻止することの間違いを、氏の言葉によると「全人類的観点」から批判している。これだけ明らかな証拠を残しているのに、後日敢えて虚言を用いて私を非難する口実となしたことは理解に苦しむので、一言書き加えておく。

 私がまったく理解の及ばない、未知の不可思議な観念の持ち主を目の前に見て、ある種の不気味さをさえ感じたのはこの瞬間である。

2005年11月23日

猪口邦子批判(旧稿)(九)

 

ブルーム氏は現代の米国人をここに見るが、現代日本の行き詰まりもまたここに映し出されているといっていい。氏は知的嗜好をまったく持たない新しい型の若者の出現に危機感を抱いている。彼らは本を読まない。ウォークマンを耳にかけロック音楽に終始身を委ねる。狭い意味の自分にしか関心がない。セックス革命とともに性の神秘は失われ、愛の情熱も持ち得ない。ツァラトゥストラの「末人」の時代にふさわしい新しい大学文化の実態である。言うまでもなく、状況は驚くほど日本に似ている。

 日本でも偏見と差別が間断なく廃され、自由と平等が避けがたく進歩していくという神話が信じられている。自民族中心主義は何よりもいけないこととされ、外国人嫌悪や人種差別は道徳上の最大の悪である。もしそれを批判し、疑問を口外するようなら、ニーチェの言うように進んで精神病院にでも入るよりほかに行き場がない。

 しかし、無知や迷蒙(めいもう)が取り払われ、人間がみな怜悧になった分だけ、生きることの情熱は失われている。魂はある創造の緊張を持続し得なくなっている。人が何かを憧れたり、信じたりする前に、いち早く、それはさして意味がないのだという賢い知識を与えられてしまう。そうなるともう何かを起す気にもなれない。

 私は本稿で自分というものを持つことの必要性について書いた。それは個人についても、国家についても当て嵌まると述べた。しかし、現今の状況で、そんなにそれが困難かというわけには、いっさいの偏見や束縛から人が解放される――実際には未解放でも、意識だけが解放される場合も含めて――につれて、人間の魂が加熱するあの微睡(まどろ)み、「舞踏する星」を産む「混沌(カオス)」状態は消えてしまい、白々と開かれた明るい砂漠が広がって、人間の意力も気力も失せてしまうからである。

 だとすると、日本が国家として何をして良いのか分からない方向喪失、自己混迷の状態にあるというのも、日本の特殊性だけで説明できず、米国や欧州をも含む現代世界全体の宿命といえる一面があるであろう。

 私は日本が平和とか国際協調とか世界への貢献とか、そんな無内容な形式主義ばかりを振り廻すばからしさを責めたが、考えてみると、他面では国家に対する大変に酷な要求かもしれない。なぜなら、日本は自分を盲目にする偏見とか束縛とかが本当は欲しいのだからである。それによって初めて世界観的見方(ヴィジョン)が得られるからである。

 しかし平和とか自由とか平等とかの領域を広げていけばいくほど、つまり自分を明るくする路線を歩み続ける限り、目標は定め難く、創造的「混沌(カオス)」状態は遠のくばかりである。だから日本のやっていることは、元来が大変に矛盾している。自分というものを成り立たせることには、何らかの柵囲いが必要であるが、平和とか自由とか平等とかの国家理念はそれに役立たず、必然的に方向喪失、自己混迷の度合いを次第に高めて行くことになるほかないからである。そして最後には、無意味な虚無の中へ転落するばかりであろう。

 で、私はいま問いたい。日本だけでなく、世界全体に広がっているこの方向喪失の不安をみると、差別や偏見はあった方がいい、不平等や束縛は人間をもっと豊かにする、というためらいがちの疑問や希望を胸中に抱いている人は少なくないのではないか。ブルームが問題を提起した教育の現場などには、まさにこの問いを突きつけられている。

2005年11月21日

猪口邦子批判(旧稿)(八)

アラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』から

 話題の書『アメリカン・マインドの終焉』に、次の逸話が語られている。著者のアラン・ブルーム氏が学生時代の40年前、寮の彼の部屋に、教育のある南部の青年が滞在した。彼は知性的な説明で、黒人が劣っていること、黒人隔離政策には然るべき理由があること、それは南部の独特な生活法の一部であること等を生き生きと語った。

 彼はとても感じのいい、健康そうな若者だったが、北部人のブルーム氏は、ひどく彼に反感を覚えた。しかし後日、北部人なりの地域中心的な反感だったことに気づく。その後米国社会に怒濤のごとく襲いかかった等質化の波に洗われ、今では明らかに病理的な下層階級のタイプの人だけが、かの訪問客と同じ人種主義的見解を抱いているに過ぎなくなった。米国社会は偏見から解放されていった。しかし、同時に「南部文化は失われたのである」と彼は敢えてこの一行で逸話を結んでいる。

 ブルーム氏がまだ若い教師であった頃、ある心理学教授と教育をめぐって議論を戦わせたことがある。心理学教授は、学生の一切の偏見を取り除くのが自分の務めだ、と語ったが、いったい偏見を何と取り替える積りだろうかと、彼には不審の年が残った。偏見の反対概念が何かについて、心理学教授にそれほどの考えがあるとも思えない。

 教授は彼に、四歳のときサンタクロースはいないんだと厳かに教えてくれた齢上の少年を思い出させた。少年はただ知識をひけらかして彼への優越を証明したに過ぎない。しかしサンタクロースのような存在を信じたことから、子供が世界について学んだあらゆること、魂について学んだあらゆることは、知識を得たことで、一瞬にして失われる。知識はときによって、魂を誤って手術し、その力を損なうことにしか役立たない。教育もまた同じである。

 ブルーム氏は心理学教授に次のように言い返した。私は個人的に、学生に偏見を教えるように努めています。今日では無知な世界はもう残っていません。魂は単純化されてしまったのです。学生は何かを信じもしないうちから、すでに信念を疑うことを習得しています。ブルーム氏がそう述べたのは、世界が偏見からどんどん解放されて平板化し、何でも許し、何でも分かるようになる魂の貧しさについて、深い憂慮の念を抱いていたからである。

 「解放の身震いが体験できるためには、それ以前に本当に信じるという経験をしなくてはならない」
 「偏見、それも強い偏見はものごとの在り方についての見方(ヴィジョン)である」
 「誤りは勿論、われわれの敵であるが、それのみが真理を指し示す。それゆえ、誤りを丁重に扱わなくてはならない。はじめから偏見のまったくない精神は空虚である」

 ブルーム氏はこの本の中で米国思想界に決定的な影響を与えて来たのはドイツ哲学であると告げ、とりわけニーチェとハイデッガーに最高の位置を与えている。『ツァラトゥストラ』序説の五に描出された「最後の人間(デア・レッテ・メンシュ)」――「末人」とも訳される――は、今日の工業先進国の人間の姿を予言しているが、ブルームは同著の中で再三再四予言されたこの現代人の魂の衰弱状態、偏見や束縛から解放され、平等になって途方に暮れている「最後の人間」像に立ち戻って、そこから、そのつど叙述を掘り起こしている。

 で、われわれも『ツァラトゥストラ』序説の五を一寸(ちょっと)覗いてみるが、ニーチェは人間がもはや内部に混沌(カオス)をかかえなくなり、「舞踏する星」を産み出すことが出来なくなったと告げる。「哀しいかな!最も軽蔑すべき人間の時代がやって来る。すなわちもはや自分自身を軽蔑することもできない人間の時代が」

 彼らはもはや貧しくなることも、富むこともない。どちらも煩わし過ぎるのだ。誰ももう統治しようとしない。誰ももう服従しようとしない。どちらも煩わし過ぎるのだ。・・・・・・誰でもみ平等を欲し、誰でもみな平等である。それに同調できない者は、すすんで精神病院に入る。・・・・・・彼らは怜悧(れいり)であり、世に起った一切について知識を持っている。だから彼らの嘲笑の種子(たね)はつきない。彼らもやはり争いはする。しかしすぐに和解する――さもなければ、胃を損うことになるからだ。・・・・・・彼らは健康をなによりも重んじる。《われわれは幸福を発明した》――末人たちはそう言って、ぱちぱちと瞬(まばた)きする。――

2005年11月19日

猪口邦子批判(旧稿)(七)

 

今度参考までに氏の著書『ポスト覇権システムと日本の選択』も拝読した。特に大きな欠点や目くじらを立てるべき逸脱は認められない本だが、どこといって特色もなく、独創性に乏しい。どの論文も、モチーフはどこかで見たが読んだことのある不特定の誰かの意見の二番煎じである。

 例えば、日本から外国に届くのは物が圧倒的に多く、言葉が余りに少ない。日本は広報予算を増やし、外国人と接する日本人はあらゆる場面で論理の達人、理屈の名人になれ、と説いているが、文章の調子がどことなく自分を高みに置いたお説教調であるのが気になる。そういう口調になるわけは、誰でもが近頃気づいているこの日本人の欠点の認識に、単に口裏を合わせているだけだからで、日本人は何を外国に広報すべきか、日本に元来その資格、用意はあるか、ひょっとしてわれわれの言葉は何ひとつ相手に伝わらないのではないか、という恐怖にも似た感情への予感が欠けている。

 外国人と言葉で戦った人間は、この恐怖をみな体験している。要するにこの本は、自分の真の経験からは出ていない、物事の上っ面をかすめただけの演説集にすぎない。結語として、著者は日本という同質社会に抵抗する個性的生き方を説いているが、それなら著者自身が類型的なことを言わず、個性的でなくてはならないではないかと、苦笑を禁じ得なかった。

 とまれ、次の引用をお読み頂きたい。

 よりよい人間社会を目指す人類の歴史はいまもなお進行中であり、新たな文明的価値の創出と実現に積極的に参与していくときにこそ、日本は真の国際国家になるだろう。日本社会ははたして、普遍的な価値として人類社会全体に訴えるべき理念を自らの内部において培養してきただろうか。(中略)これは、日本の国際化における最も根源的な問題である。小国には理念は期待されない。しかし、人類社会に対して理念的貢献もなく、よりよい人間社会への範を示すこともできない大国は、世界において歓迎されざる存在になるだろう。

 日本社会が世界に対して問うべき規範的価値とはなにか、ということについての明快な答えをこの時点で出すことはできそうにない。しかし、冒頭の章にも触れたとおり、非暴力の理念はあるいは戦後日本社会が最も深い情熱をこめて追求しようとしてきたものかもしれない。西欧国家体系(ウエスタン・ステート・システム)の誕生以来、軍事力は国力の基幹であり、経済大国は軍事大国であることが歴史の定型であった。国内の源泉を経済に求め、軍事力には求めないことを国是としてきた日本は、その理念を遵守していく限りにおいて新しい国家のあり方を世界に問い続けることになるだろう。

 国際社会の福利のために積極的に貢献していくことも、国際国家としての当然の条件である。・・・・・・途上国への経済協力や災害地域の救済、あるいは技術移転や国際機関への協力など、人類社会が苦難を克服し、平和を達成していくためのさまざまな活動に対して、これからの日本は圧倒的な貢献をしていく勇気と誠意を持たなくてはならない。「世界のなかの日本」という漠然とした認識のみでなく、「世界に役立つ日本」という積極的で建設的な発想も必要になってくるだろう。

 以上にみたように、閉鎖型社会から国際化された社会への転換は、多大な努力と本格的な意識革命を要するものである。・・・・・・

 この内容空虚な大演説に、私は敢えてもう緻密に反論はしない。私のここまでの叙述で十分反論はなされていると思う。私は猪口氏が学生時代に文学をちゃんと読んでいないな、という印象を持った。が、いかにステレオタイプ化した措辞(そじ)、高校生の作文の域を出ない文章力でも、「非暴力」とか、「世界に役立つ日本」とかいうキーワードだけで、分かったような気になってしまう水準の読者が広範囲にいて、ジャーナリズムはその上に形成されている。私が憂慮しているのはこの点である。

 国際政治がお嬢様のディスコダンス場でも、若奥様のショッピングセンターでもないことが全然分かっていない大衆社会の知性上のある野蛮さが、大新聞からテレビまで含むマスメディアを捲(ま)き込んでいる。そして、日本を空虚な不安定の中へいつの間にか運んで行ってしまうのも、匿名社会に特有の、この野蛮さが放つ靄(もや)のような情緒思考である。私が心配しているのはそのことであって、特定の著者の誰彼ではない。

2005年11月17日

猪口邦子批判(旧稿)(六)

猪口氏の“内容空虚な大演説”

 私は昭和63年の秋、ポール・ケネディ『大国の興亡』についてある新聞から感想を書くように言われ、あの大著を読むと同時に、幾つかの書評にも目を通した。するとその中でおや、と首を傾げる書評が一つあった。『週刊朝日』(昭和63年9月23日号)の猪口邦子氏のそれである。

 氏は文章の末尾で、歴代の大国がナンバーツーに追い上げられて衰亡した中で、米国は「歴代の大国とは異なるある決定的な好条件に恵まれている」といい、その好条件とは、「軍事よりも経済が国力を規定するこの時代において、経済のナンバーツーが揺らぐ覇権国に全面的な協力を約束していること」である、というのである。

 「経済のナンバーツー」とはもとより日本だが、私はいったい何のことかと思った。日本が米国の覇権に挑戦する気力も用意もない脆弱(ぜいじゃく)な国家であることが米国にとり「決定的な好条件」だというのなら、話は良く分るが、どうもそういうことを言っているのではないようなのだ。ナンバーツーから仮借(かしゃく)ない挑戦を受けたハプスブルク家や大英帝国の場合と違って、米国は追い上げてくるナンバーツーが「最も献身的な友邦であるという数奇の構図を手にしている」という。

 すなわち「日本の親米主義の価値と歴史的意義」、いいかえれば米国の覇権を決して脅かさない日本の友情に、米国は幸運を見出すべきだというのである。ポール・ケネディも含めて、米国の論客がこのことに気がついていない、と猪口氏は残念がっている。

 右の文章は第一に、日本人としての自分の内部の悪の可能性に対する警戒心を欠いている。第二に、『大国の興亡』ブームの背後にある米国民の、日本に対する苛立(いらだ)ち、不快、悪意、それに加えて、軍事の代償として経済の犠牲を日本に強いて来ている現在の米国の政治的底意が、この書評ではまるきり読めていない。

 日本が払うべき経済の犠牲が今後ある限界を越えれば、親米主義などはたちどころに吹き飛んでしまうであろう。否、そういう兆候はすでにちらほら認められる。日本がいつまでも「最も献身的な友邦」でありつづけるなとどいうことは、誰にも断言できない。そのことを米国人は見抜いている。

 米国の識者は、猪口氏などよりはるかにリアルに日本人を観察している。自分の内部の悪が見えない氏の、薄っぺらな善意だけで米国人の未来を保証してあげようなどという感傷的でいい気な文章を、もし米国人が読んだら不愉快になりはせぬかと、気懸りでさえあったが、たかが書評のひとつくらいどうでもいい、と思って忘れかけていた。

 すると間もなく、ポール・ケネディが日本にやって来た。そして、雑誌『This Is』(昭和63年11月号)がこともあろうに猪口氏を対談の相手に選んだ。しかも、再び言うが、こともあろうに書評と同一内容の、米国に対する日本の「寛大」について、彼女はぺらぺらと喋(しゃべ)ってしまったのだ。私は日本人としてその個所を読むのが顔から火の出るほど羞(はずか)しかった。ケネディはお客さんだから言葉を抑えてはいるが、それでも感情が激して、かなりはっきりと語っている。

 すなわち、米国が英国から覇権を奪ったときには、米国は英国に経済的支援だけでなく、軍事的支援も与えた。「日本は米国の最も忠実な与(ママ)国」と貴女は言うが、「米国の認識はそんなものではありません」。「米国がリビアと対決している最中に、日本は一体何を与えてくれたか、米国民はいつもそのように考えているのです。――

 猪口氏がこれに対して、「日本は掃海艇をペルシア湾へ派遣するより、はるかに有意義な方法で米国と協力しようとしているのです」などと答えたものだから、ケネディ氏ももう我慢はできない。読者はケネディ氏の次の反論を読めば、米国滞在の長い猪口氏がいかに米国人の心を知らず、「国際化」を教導するこの女性がまったく「国際化」されていない事実を否応なく知るだろう。

  米国民は日本を最も忠実な同盟国だと思っている、と日本側が想定しているとしたら、きわめて重大な誤解だ、と言っているのです。英語でアライ(同盟国)といったら、軍事支援、軍事・戦略的な意味でリスクをも辞さぬことです。「日本は米国のツケを払っているようなものだ」とか、「日本のテコ入れがなかったら、米経済は没落するだろう」といったことを口にするのは、外交的にも逆効果だ。感謝どころか、反感を招くだけだ。

 米国民はこう反論するでしょう。――「日本人は金持ちになって、米国を金で助けているのだから、良く思われていいはずだ、と米側に説教している。だが、いったん戦争が起きたら、日本人はいったいどうするのだ」

 私はもともと言論人としての猪口邦子氏の仕事には関心がなかった。初めておかしいと気がついたのは、彼女が『朝日新聞』(昭和62年11月9日号)で、本当の国際化とは「社会の雑種化のこと」であり、「移民を平気で受け入れるとか異文化や未知なものを取り込むとか、勇気がいる」と当時の時点まで流行であった、俗受けする、恰好のいい発言をしていたときである。そのとき彼女が帰国子女であることも知った。自分の育った外国の基準で日本人をあれこれ叱る、ありふれた排外主義者と私には思えた。留学時代を語った文章を読んで、自分をさも偉いもののように考えているナルシシズムに哀れを覚えたこともある。

 米国通を自認しながら、ケネディとの対話に見たように、米国人の心が読めない――このことは、十代の前半から西ドイツで育って自分を確立しなかったためにドイツ文化が見えないあのインド人学生を思い出させる。彼はドイツに忠実で、ドイツを信仰(傍点)していた。しかしインド人としての自分というものがなかったから、ドイツを真に学習し、獲得することも出来なかったのではないかと思う。

 帰国子女は何ら誇るべき価値の標識ではない。場合によっては気の毒なくらいの疾患を背負い込む現代苦の一つである。猪口氏もまた自分の条件に謙虚でなくてはいけない。もともと移民国家である米国とは文明の前提を異にするわが国に「雑種化」を勧め、「移民を平気で受け入れる勇気」を説くほどに、慎重さを欠くのは、氏が日本人としての自分の目(傍点)を見ているのではなく、米国を信仰の対象にしてしまった何よりもの証拠であろう。対象を信仰してしまえば、対象は見えない。米国で国際政治を学びながら、国際政治に対する米国民の初歩的常識さえ彼女の念頭に浮かんでいなかった所以である。

2005年11月16日

猪口邦子批判(旧稿)(五)

大国にふさわしいエゴイズムの表わし方

 そもそも自分というものがなくては、他者もまたこちらを理解してはくれない。個人にしても、国家にしても、同様である。そう考えると、竹下首相(当時)が「世界に貢献する日本」などといい、何を貢献するのか分からぬままに、国民も漠然と「大国の責任」だの、「国際国家の確立」だのと唱え、いい気になって、世界に自分を打ち出した積りになっているのは、何という間の抜けた、おめでたい光景であろう。

 昭和63年の外交白書には、日本のODAの特徴が取り上げられている。米国は米国民主主義を、ソ連は国際共産主義を、欧州各国はそれぞれの文化を世界に普及する宣教意識で開発援助を行なっているのに対し、日本のODAは日本文化の普及のためではなく、あくまで相手国の立場に立って、各国の国益に適うような無私の精神を貫いている点が喜ばれ、歓迎されている、と自画自賛している。

 勿論日本文化の普及などという見え透いた自国宣伝――フランスに例の多い――などは、慎むにしくはない。ただし、わが国対外援助のそのような慎ましさが、真の自信から出ているのではなく、何を世界に貢献してよいのか本当はよく分からない方向喪失、内容不在、自己混迷の現われでなければ、まことに幸いである。

 序(つい)でに言えば、自国文化の普及をも抑制する東洋的羞恥感はいいとして、その揚句(あげく)、日本にもないオペラ劇場をエジプトに献上し、欧州文化の普及に日本人の血税が使われている珍無類の錯誤は、世界に何を貢献して良いのかさっぱり分からない外務当局の呆然自失をありありと映し出している象徴例である。

 自分の願望、欲望が見えてなければ、他者の願望も、欲望も、本当には分かるわけがない。となれば親切の押し売りを小奇麗な言葉、空疎な概念で飾るばかりに終わる。それは意識せずして恩を着せる行為、偽装された新しい帝国主義である。

 どんな国もエゴイズムを持つ。ナショナルな自己拡大衝動を持つ。大国だけでなく、小国には小国のエゴイズムがある。小国があらゆる国の平等、国際的民主主義、協調協和を唱えるのは、大国の支配を逃れたいとする小国のエゴイズムに外ならない。もし日本が、大国たらんと欲するなら、大国なりのエゴイズムに立脚した、小国とはまったく別種の世界経営のプログラムを示さなければならない。

 モース氏が言ったように、いつまでも小国の唱えるのと同じような内容の、あるいは無内容の形式主義を提唱しているなら、日本は世界各国から、偽装されたエゴイズムの真意を疑われ、薄気味悪く思われるのが落ちであろう。

 誤解のないように繰り返して置くが、私は軍事力を過大視しているのでも、平和維持の努力を軽視しているのでもない。平和維持の努力は外交上の最重要項目だとさえ言って置く。しかしそれだからこそ、平和は国家理念にはならないし、またなってはならないのである。日本は何を実現したいのかという政治的目標、世界に何を求めていくのかという政治的欲望、それと無関係なところに国家理念は成り立ちえず、しかもその点が不明瞭だから、日本は平和維持を真剣に考えている国だとさえ判断されてはいないのである。

 平和こそが国家理念だというようなことばかり言って、日本が現にやっていることはアグレッシブな経済拡大であるから、何年か後には平和を脅かす国に逆転するのではないかと疑われるのも無理はない。その疑いを解くには、平和とか国際協調とか世界への貢献とか、いつまでもそんな無内容なことばかりを言うのではなく、他国の理性が納得する、大国にふさわしいエゴイズムの方式を明確化することが、まずもって必要なのである。

 日本のエゴイズム発揮の合理的プログラムがある程度外から透けて見えて初めて、日本は一人前のプレイヤーとして諸国から遇され、その平和意図を安心して理解し、歓迎してもらえるようになるのであろう。

2005年11月14日

猪口邦子批判(旧稿)(四)

「誰も日本人の正体がつかめない」

 過去三ヶ月の間に、私は右のような、他者の存在というものがおよそ見えない日本及び日本人に対して外国人から寄せられた大変に的確で、歯に衣を着せない批評の言葉を二つ読んだ。『中央公論』昭和63年12月号の座談会「日米同盟は本当に必要か」における米議会図書館館長特別補佐官ロナルド・モース氏、及び『This Is』平成元年2月号の「ソ連のアジア政策を読む」のミュンヘン大学教授ヨアヒム・グラウビッツ氏、このご両名の発言である。

 前述の座談会同席者の岡崎久彦氏、田久保忠衛氏は、日本人の中では米国流の物の考え方が最もよく分かっている、米国の良き理解者である。その両氏がモース氏のさらけ出す本音の前に立ち往生している。岡崎氏は日米同盟の重要さを説き、そのための防衛力の増強が日本の民主的安定に寄与するといい、田久保氏も日本が軍事大国化する心配はないことを繰り返し強調している。

 それでもモース氏とは完全に食い違っている。氏も日本が昔のように軍国化するとは思っていないものの、日本が「何時までも態度をコミットしないから、将来はどうなるかわからないという感じを与える」という米側の不安感、不信感を表明している。態度をコミットするとは「日本人の世界観や権力行使の方法についての発言」をすることである。

 日本は非常な経済力、技術力をつけながら、「しかし、それは一体何のためなのか?それがはっきりわからない」。世界中が「日本人の発言を注意深く身構えて見守っている」のに、何時までたってもはっきりさせない。「誰も日本人の正体がつかめない」。もし日本が世界の大国になろうとするなら、権力行使の方式、すなわち一つの独特な統治のスタイルを示さなければならない。「民主的な平和を愛する国家」になる、などというのは何の声明にもならない。

 「それらはすべて戦術的なものです。アメリカ人だって、テクノロジー、経済援助、相互交流、平和維持には賛成です。世界全体がそうです。ここには日本独自のものは何もないではありませんか」

 「日本は、・・・・・・日本独自のものに基づいた独自の道を明確に打ち出すことが必要だと思うのです。・・・・・方向が明確ではないので、アメリカも日本とはっきりした関係をもてないのです。アメリカ人は依存関係を好まないし、それを大人同士の関係だとは思わない。アメリカ人はそうした関係に嫌気がさしています」

 「アメリカは1945年以後、ソ連に対して自分で国を守ってきました。日本は助けてくれませんでした。ですから、それ(日米同盟)は必然から生じた同盟ではないのです」

 「日本人がナショナリスティックでもかまわないんです。中国人だって韓国人だってアメリカ人だって、みんなナショナリスティックです。かれらは皆、傲慢です。それはそれでいいのです。しかし、韓国人はどうかというと、かれらは信じていることを発言します。中国人はどうかというと、かれらの立場は理解できます。・・・・・・日本人はどうかというと、はっきりしないのです」

 「中国は一人前のプレーヤーですが、日本はまだ半人前です」

 日本の防衛力の一掃の増強をもって応答している岡崎氏の意見に反対して、右のような見解が述べられているのである。だから軍事力の強化や整備それ自体がモース氏の主眼ではないことは明らかだ。私もまたこれからの世界では軍事力よりも経済力により大きな比重がかかると言われている趨勢(すいせい)の変化を、十分承知している。軍事力の急激な増強が不安定要因をなし、防衛の意図に逆行する場合があるという国際関係の微妙さについても、私はよく理解している。

 それにも拘らず、モース氏の発言が、私には新鮮で、幾度も目を開かされる思いがした。問題は軍事力ではない。軍事力も含めた政治的意志の有無が問われているのである。日本は経済大国を自称しているが、一体何のための経済大国なのか。何をしようと欲しているのか。無目的、無計画に肥大化していくだけなのか。モース氏は結局、日本人にはあの自分というものが欠けているのではないか、と問責しているのだといえる。

 現代の日本で政治権力の中枢が何処にあるのか、われわれ日本人にもさっぱり分からないのだから、外国から見ればなおのこと判然としないであろう。日本に何かを要求するにしても、誰に要求してよいのか、そこが摑(つか)めない。外からのそういう声はこれまでも何度も聞いた。

 日本はODA(政府開発援助費)を増額させていけば、防衛力強化の代替にもなり、国際的責任も果せると考えている。そのような一面が勿論皆無ではない。しかし、いざというときの権力行使への意志が、国際的に広く認知されていなければ、膨張しつづけるODAの大盤振舞いも画餅(がぺい)に帰すであろう。

 かりにフィリピンの米軍基地が脅威を受け、日本が逡巡(しゅんじゅん)している間に、中国がただ一艘の駆逐艦を派遣すれば、それだけで米世論はあっという間に中国を最大の同盟国と看做(みな)し、日本を見捨て、日本の対比援助の蓄積は空無に帰する、とは、これまでも、例えばペルシア湾事件のときなどの指摘されていた。問題の焦点がどこにあるかは、頭では日本人にも徐々に理解されてきてはいるのである。

 問題は軍事力の量的増加にあるのではない。日本は世界の中で何をしたいのか、あの自分というものの意志は何処にあるのか、それが問題なのであり、それさえ判然としていれば、軍事的抑制もまた容易になる。

 しかし、日本人の不明瞭さはペリーの黒船来航のときにすでに米側から指摘されていたし、日本は自分というもののこの意志を欠くばかりに、世界相手の無謀な戦争に走ったのだともいえる。モース氏もまた、日本は明治維新においても、第二次大戦においても、昨今の経済競争においてもアグレッシブである、と憂慮を表明している。アグレッシブとは「ある特定の事柄に精力を集中する」の意味だと注釈をつけてはいるが、勿論、原義は「侵略的」である。何処に行くのか行方も知れぬ巨船の漂流にも似た、日本人言う処の経済大国に疑問符が突きつけられているのだと理解していい。

 右に似た日本像をソ連の側から眺めて分析したのが、西ドイツ人グラウビッツ氏の論考である。最近ゴルバチョフは日本の重要性について急速に認識を改めて来た、と日本ではしきりに観測されているが、彼にとって太平洋の大国は依然としてソ、米、中であって、日本は勘定の中に入っていない。

 昨年10月のウラジオストック会議で、アジアの大国を意識したインド代表は、三大国の対話独占に異議を唱えたそうだが、こういう駆け引きからも日本は外されている。ソ連の対日接近のためらいが領土問題にあると日本人は思っているが、必ずしもそうではない。日本はソ連から見て「戦略的にアメリカのアジア政策の道具」であり、中国と違って、「東アジアの国際関係で独立したアクターではないとみなされている」と、グラウビッツ氏は分析している。

 加えて、中国が日本の増大する軍事力を懸念するのは、昔の悪夢の再来を恐れているからではなく、「中国が将来アジアの指導者の役割を果そうとしており、他の国(日本)とこの役割を分かち合おうとは思ってもいないからである」。

2005年11月12日

猪口邦子批判(旧稿)(三)

当節言論人の「自己」不在――猪口邦子氏と大沼保昭氏と

 私が60年代の中頃にミュンヘン大学に留学したとき、同じゼミに若いインド人学生がいた。10代の前半から西ドイツに暮らし、ドイツ的教育を受け、当然だが、話す・書く能力はドイツ人に遜色(そんしょく)がなかった。

 私はドイツ語を読むのはともかく、文法書から外国語を学び始めた日本の外国学者の典型というべきか、話す・書く能力において終始自信がない。ところが、間もなく、不思議なことに気がついた。私の拙(つたな)い言語の駆使力で伝える感想、つまり教授の授業内容への批評や教授の出した新刊書への寸感や助手の誰彼の評価、等々が、大体においてドイツ人の同僚学生を納得させ、共感をよぶのに比べて、件(くだん)のインド人学生の発言は何となく軽んぜられ、無視されるのである。彼が立派なドイツ語で、それなりに立派な内容を語っているのにどうしてか、と思った。

 彼は学問的能力において劣っていたわけではない。もし劣っていたら、ドクター志願者ばかりのこのゼミに入ることは出来なかった。間もなく気がついたのだが、そのインド人学生は、ドイツの学問と大学と学者を尊敬する余り、平均型もしくは優等生型ドイツ人学生の意見内容をほぼ口移しにおお鸚鵡返(おうむがえ)ししている趣きがあり、面白味もなんともない。

 雑多な個性を持つ学生たちの目から見ると、ドイツに忠実でドイツをいわば信仰(傍点)しているこのインド人学生は、個性を欠いた無思想の人間のように見えたのではないかと思う。そして彼ほどドイツ滞在を経験していない私の、従って日本での人間批評をそのままドイツ人教授に当て嵌(は)めた程度の悪口や皮肉が、ドイツ人学生たちからは、「そうだ」「その通りだ」「君の言う通りだ」といった共感と賛意を惹(ひ)き起したのではないかと思う。勿論私の意見に賛成しただけでなく、刺戟を受けて、反論した者も少なくなかった。

見失われた「自分というもの」

 精神形成にとり重要な十代を異国で過ごし、人間としての貴重な何かを見失うことの危険という教訓を、ここから引き出すことも出来ないわけではないだろう。しかし私が今言いたいのはそういう教育上の問題ではない。

 そもそも自分というものがなくては、他者に出会うということも起らないのだ。他者もまたこちらを理解してはくれない。ある人を理解するということは、その人と同じような考えを持ち、同じような意見を展開することではない。理解できないものを相手の中に見出し、理解してもらえないものを自分の中に信じる、そのような断念、もしくは危険を、自明のことのように引き受けていないような自己理解は、結局は他者に出会えず、他者を見失うだけであろう。それは個人と個人との関係においてだけでなく、国家と国家、民族と民族との関係においても共通して言えることではないかと私は思う。

 最近は長期の外国経験をする人も珍しくはなくなった。どういうわけだか、自分が慣れ親しんだ外国を基準に、日本の不足をあれこれ言う人、自分の知っている外国とそっくり同じような国に日本を仕立てようとして、嵩(かさ)にかかって日本人を叱る人、等、枚挙に遑(いとま)がない。加えて、日本の国内では、自民族中心主義を何か頭から悪いことのように言う声が圧倒している。

 外国人嫌悪や人種差別は、今日では道徳上の最高の欠陥と考えられている。なぜならそこから、迫害や圧制や戦争が生じたし、現に生じてもいるので、そういう傾向を自分から遠ざけ、自分の体内に宿っていないかのごとくに装うことが、道徳家たらんとする現代人のいわば遵守(じゅんしゅ)規定の第一項である。

 世界は多様で、その民族の文化も等価値であり、どんな小国をも偏見なしに評価するのが、人間としての最も正しい態度だとされる。価値のこの相対主義が、より善きものへの探求という動機を殺し、かつて日本に根強かった優れた外国文化への憧憬と情熱を消滅されつつあるというもう一つの弊害は、いつしか忘れられている。

 成程、自民族中心主義を相対化する知性は、ギリシアの昔から尊重されてきたことをわれわれは知っている。自分自身の善を善一般と同一視することを進んで疑う懐疑主義は、ギリシア的知性の最も美しいあり方であった。しかしギリシア人は、強く信じる自分を持っていたが故に、強く疑うことも出来たのである。

 歴史家ヘロドトスは、自民族の外にあるあらゆる文化の豊かな多様性を知っていた点で、確かに現代の日本人と同様だが、しかし多様であることに彼は冒険の魅力ある動機を見ていたわけだし、各民族文化の価値を吟味し、ギリシア的価値を一段と磨くことにこれを役立てたのである。それに反し、現代の日本人が各民族文化の多様性を口にするとき、最初から全体を概念化して考えているのであって、われわれは地球上のすべての文化を平等に尊重しなくてはならない、という一つの信条を表明しているにすぎないのである。

 世界の多様な文化との「協調」とか、その「理解」とか、あるいはそれに基づく「国際化」などは、耳に胼胝(たこ)が出来るほどさんざん聞かされてきたスローガンだが、現代の日本人が知っていることといえば、たかだか地球上には多くの文化が存在するという事実、われわれは皆仲良くしなければならないといった程度の甘ったるい