私の最初のドイツ留学は1965年の7月から67年の9月、30歳になったばかりの2年間だった。ドイツの大学は休みが多い。私は閑さえあれば、ヨーロッパ全土を歩き回っていて、夜はオペラや演劇、昼は美術館を見て歩く旅行三昧の歳月で、ヨーロッパ体験が目的だと粋がっていた。
以下の文は帰国してすぐに綴られた32歳の頃の体験記で、小林秀雄の影響下にあることを告白しているような文章だが、しかし若い頃外国に出なかった小林とは明らかに違うことも言っている。⑤の傍線部分の「この円周を打ち破る」経験ということばを今40年振りに読んで、私にだけ分る秘かな思いがあるのである。
私は「円周」の内側にお行儀よくおさまっている学者、知識人、専門家、文壇人のたぐいの価値観に否定的で、一生その手のタイプを破壊しつづけて来たように思い出される。この問題文の中でも最後に、パルテノンに手放しで感激する美術評論家の感傷を「猥褻」だと言って罵倒している個所がある。
入学試験の問題でよくこんな大胆な個所が選ばれたものだと感心する。しかも問7で「円周を打ち破る」意味を30字で書けと問うてさえいる。若い学生諸君に無理ではないのか。
「円周を打ち破る」は私の人生そのものであった。近刊の『江戸のダイナミズム』でも、江戸文化という最も完成度の高い円周の中で「円周を打ち破り」そこを超え出たひとびとにもっぱら焦点を当てている。
私の若い時代の文章が今頃になって、平成14年に出題された。私の人生を予言した一語を見落としていないのを知って感服もし、不安にもなり、こういう国語担当教官を擁した昭和女子大学とはげに不思議な大学であると思った。
昭和女子大学平成14年度 B日程試験(文学部・生活科学部)(一)次の文章を読んで、あとの問に答えなさい。
美術館という組織力は、「知識」を強いて、「感動」を奪うために存在するかのように、私には憂鬱だった。
というのは、ここでは、「美」があたかも不動の、絶対の顔つきをしているからである。
「美」もまた、人間の感受性という曖昧な武器に支えられて、辛うじて存在しつづけている不安定にして、流動的なものではないだろうか。恐ろしいような傑作が目白押しに並んで、たがいに効果が相殺されてしまうウフィチやプラドの内部をいくども行き来しているとき、私を襲ったのは、ただ、説明のしようもない孤独感だった。私が口もきけなくなるような「美」の放射能を浴びていたというのなら幸いである。そういう瞬間もあればこそ、美術館はくりかえし私にとって、旅の唯一の誘惑であった。
が、美的感動とは、じつに気まぐれで、相対的なものである。永年あこがれていた作品の前に立ったとき、偶然、頭痛でも起こしていたらもうお仕舞いである。その反対に、同じ美術館を二度訪れる幸運にめぐまれ、一年位の間に感動の質がまったく変っていることに気づいて、私は自分の感受性の頼りなさをかみしめた。だが、「美術館」の方は前に見たときと少しも変っていない。おそらく十年後にふたたび訪れても同じことだろう。
「保存」という近代的な意志にささえられて、「美」があたかも絶対的なものであるかのように、無数に蒐集され、陳列され、静止している美術館では、作品の美もまた後年の歴史が不断に[ A ]しているのだという事実を忘れさせやすい。一枚の絵はカンヴァスと絵具とから成り立つ物質でしかないのである。多くの日本人がこころみているヨーロッパ美術行脚も、イタリアから北上してフランドルへ行ったか、フランドルを見てからイタリアに南下したか、旅の行程に応じて幻影が織りなす感動の質も変ってこよう。だが、頼るべきものは、その感動の人間的あやふやさ以外にはないのであって、作品とは幻影であり、決して[ B ]ではないことを忘れてはなるまい。
私がフィレンツェを再訪した五ヶ月前にアルノ河が氾濫し、街のいたるところにまだ土砂の山が残っていた。ミケランジェロのダヴィデで知られるアカデーミアの奥の一室の、トスカナ派の作品は全滅であった。ガラス戸越しに、私は無造作に積み上げられた整理中のカンヴァスの山を見た。それはまるで大学の文化祭やデモの後の、プラカードを積み上げた自治会室のような有様だった。復旧には十年かかるでしょう、と案内人が言った。私はしかし、なんの不条理も感じなかった。芸術はすべていつかは亡びるべき運命にあるのである。一時的にでもそのことを忘れさせる巨大な西洋の美術館や博物館の方が、美の確実性に関する錯覚の上に成り立っている一個の[ C ]のように私には思えたのであった。
いったいヨーロッパ美術の「美」を知るなどということはどういうことなのだろうか?安易に語られ勝ちな西洋体験への反省を強いられるのも美術館のなかである。じっさいに数多くの実物に接したことが、西洋美術を知ったということになるのだろうか。あるいは逆に、一生を日本の外に出ないで、複製画ばかり眺めて暮らすことが、知らないということを意味するのだろうか。展覧会で見た一枚の本物のゴッホは、「『ゴッホの手紙』を書く動機となった私の持っている一枚の複製画の複製と見えた」という①小林秀雄氏の痛烈な逆説は、たとい一生に一度クレラミューラーを訪れる機会に恵まれたとしても、一生の大半を日本で暮らさなければならない日本人の、西洋文化への宿命的な決意を語ってやまないものがある。
翻訳を通じてドストエフスキーを論じ、レコードを頼りにワーグナーに感動してきたわれわれの教養の在り方は、実際、良し悪しの問題ではないのである。それ以外に仕方がなかったのは事実だとしても、そう居直るのではなく、②代用品を食って酔うことが出来たという事実の一回性を軽んじてしまえば、本物に出会ったとき、感動の純粋さを期待することさえも出来ないだろう。
私は数え切れぬほどの傑作の氾濫に数時間身をさらしたあとで、美術館を出るとき、いつも不図たまらない空しさを覚えるのが常だった。美術館の数をひとつずつ重ねてゆく度に、たしかに私の見方は変っていった。臆断は訂正された。思いがけない驚きにも出会った。好きであった作家が嫌いになり、今までよく知らなかった、未知の作家を発見したりした。
だが、私はヨーロッパ美術の「美」に本当に感動したのだろうか。生まれ故郷オランダの外に一度も出たことのないレンブラントは、イタリアに学んだどの同時代人よりもイタリア・ルネサンスの本質を理解していたと言われる。ヨーロッパ各国の美術館を短時間に次から次へ矢継早に見て廻った③「教養人」にすぎない私は、経験の量がふえるにつれて、しだいに自分でも何をしているのか解らなくなってきた。私は「感動」という言葉に過剰に警戒している自分自身にいくたびも気がついた。
しかし経験の量が豊富であることが理解を深めないなどと言っているのではない。森有正ではないが、「経験」ということばの意味が厄介なのもここにある。そもそも「自己」をもたないような人がいくら経験を積んでも、さもしい話題さがしの、薄っぺらな体験崇拝に終るだけであることは明瞭であるとしても、今度は逆に、「自己」などというものをおよそ容易に信じている人には、経験によってなにかが新しく開かれるということも起り得ない。
私が帰国して間もなく、東京でレンブラント展が開かれた。たまに複製ではなく、本物のレンブラントの肖像画の幾枚かが日本人の目にもふれたわけだが、しかし、そういう企て自体が、いかにも私には④複製画的にみえたのである。むろん日本に渡ってきたのはオリジナルである。レンブラントを代表する最高傑作が来ていないというようなことが問題なのではない。ミロのヴィーナスという最高の作品が上野で展示されて、大群衆をよんだが、それはコピーが来ても同じことで、いや、そういう企てが、美術全集のページをくって美的感性にひたすら研ぎすませてきた日本人の「自己」というものにいかにも見合った程度に抽象的だということを言いたいのである。
今では西洋の芸術に関し、われわれの中には西洋人以上に美食家である人が多い。閉じられた円周のなかで「自己」を信じることほど容易なことはない。ヨーロッパ美術行脚にもし意味があるなら、⑤この円周を打ち破る経験を意識的にくりかえすことにあろう。代用品ばかり食べてきた味覚は、本物に飢えているのでは必ずしもなく、むしろ空想上の本物に食傷して、空想と現実との区別が容易につかなくなってしまったのである。
永年の念願がかなってギリシャ旅行をしたある美術評論家が、アクロポリスのパルテノンを最初に見たときの、浮き立つような感動を綴った美文調の文章を書いていたことがある。西洋芸術に関するこの種の感傷語は日本ではいたるところに溢れているが、私はこの文章をよんだとき、ある言いようもない猥褻感をおぼえた。どうしてそんなに容易に感動できるのか、私にはさっぱり解らない。アテネ空港からまっすぐアクロポリスにやってきて、いきなり見上げた丘の上のパルテノンがどんなに荘厳で美しくみえたとしても、写真や文献でつみ重ねてきた専門家としての知識、言いかえれば、空想が豊富であっただけに、純粋な感動はそれだけ得にくくなっていると考えるのが自然ではないか。だが、西洋の芸術に関する限り、不思議なことに、知識をもっている日本人ほど感動と感傷を混同する。この人はおそらくパルテノンをまだ見ぬうちに、飛行機で羽田を飛び立ったときに、⑥すでに「感動」していたに違いないのである。
(西尾幹二『ヨーロッパ像の転換』)注 ウフィチ・・・・・・・・イタリア、フィレンツェのウフィチ美術館
プラド・・・・・・・・・・スペイン、マドリッドのプラド美術館
クレラミューラー・・オランダ、アムステルダムのクレラミューラー国立美術館>問1 空欄[ A ][ B ]に入る語として、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。
【1】 ア 証明 イ 創造 ウ 調整 エ 関与 オ 現象
【2】 ア 現実 イ 具象 ウ 事物 エ 実体 オ 本質問2 空欄[ C ]に入る漢字三字の語を本文中から選んで記しなさい。回答番号は【3】
問3 ①小林秀雄について、(a)どのような文学者だったのか、(b)小林作品はなにか、それぞれもっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は(a)【4】(b)【5】
【4】 ア 人道主義の立場から、宗教的色彩の濃い評論を発表した
イ 批評・評論のジャンルを確立し、古典の世界にも深く傾倒した
ウ 新心理主義文学を紹介し、みずからも実験的な作品を発表した
エ ドイツ文学の翻訳に力を注いだよか、歴史批評でも活躍した
オ 西欧文学との比較を通して、私小説、風俗小説を批判した
【5】 ア 純粋小説論 イ 歌よみに与ふる書 ウ 無常といふ事
エ 堕落論 オ 古寺巡礼問4 ②代用品を食って酔うことが出来たという事実の一回性を軽んじてしまえば、本物に出会ったとき、感動の純粋さを期待することさえも出来ないだろう とあるが、この理由としてもっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【6】
ア 代用品に感動した時に与えられた印象の強さを記憶していなければ、本物と接した折に、純粋な感動かの判断もできなくなるから
イ たとえ代用品とはいえ、一回でも感動してしまった事実を残念に思い、きびしい自省が加えられない限り、純粋な感動が得られるだけの能力すら持ち得ないから
ウ 代用品への心酔から始まった体験を見くびるような軽率さからは、本物と直面したとしても、純粋な感動を受容できるような繊細な感性が生み出されないから
エ 代用品に感動したことが確実に存在したと自覚されない限り、たとえ本物と出会ったとしても、純粋な感動を生み出そうとする姿勢も生まれないから
オ たとえ代用品に感動したとしても、一回限りの貴重な原体験であり、本物からの純粋な感動も、その充実感を深めることでしか形成されないから問5 ③「教養人」にすぎない私 とあるが、この表現にこめられた筆者の心情について、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【7】
ア 作品への印象を変えていく自己の拠り所の無さへの反省
イ 西洋美術の本質を一向に理解できない自己へのさげすみ
ウ 経験ばかりを重ねるだけの自己への哀れみ
エ 知識だけが豊富になってしまった自己への皮肉
オ 感動を覚えられない自己の鈍感さへの羞恥
問6 ④複製画的にみえた の比喩によって、筆者はどのようなことを指摘しようとしているのか、もっとも適切なものを次の中から選び、その記号をマークしなさい。解答番号は【8】ア 著名な作品とはいえ、レンブラントの一部しか公開しないこの企画は、断片的な知識だけを提供する点で、複製画のありかたに似ているということ
イ 日本人のレンブラント理解を打破するほどの衝撃力を持たず、表面的な理解しか与えない点で、複製画と同程度でしかないということ
ウ 深い理解よりも、教養的な理解を求めようとする日本人の要求に応え、一通りの知識を与えようとした点で、複製画のようなものだということ
エ 何枚かの本物を集めたこの企画は、レンブラント理解を固定化してしまい、複製画によって形成された、誤った理解を一層増幅させてしまうということ
オ 日本人の美的感性のレベルに対応したこの企画からは、オリジナルの持つ神秘性を脱落させた、複製画のような浅さしか感じられないということ問7 ⑤この円周を打ち破る とあるが、どのような意味なのか、三十字以内で説明しなさい。解答番号は【9】
問8 ⑥すでに「感動」していた とあるが、美術評論家のどのような状態が「感動」と表現されているのか、四十字以内で説明しなさい。解答番号は【10】
問9 本文の内容と一致するものには①を、一致しないものには②をマークしなさい。解答番号は【11】~【15】
【11】 オリジナルか複製かどうかの区別は、鑑賞者の美術体験の質を確定させる決定的な要素ではない
【12】 コピーを通してしか接触できなかった制約が、西洋美術への安直な体験を語らせる主因になっている
【13】 作品の美が先験的に存在せず、見る者の感受性によるものである以上、美術体験の共有は不可能である
【14】 美術館からその作品が本来成立した場に戻されない限り、作品の真の美を見極めることはできない
【15】 鑑賞者が西洋美術への自己の姿勢を問い直すことに応じて、作品の姿も変貌していく
Posted by Nishio at 2007年01月13日 08:46 | コメント (4) | トラックバック (0) | Clip!!







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