西尾幹二のインターネット日録

お知らせ

 未刊行の「江戸のダイナミズム」からの引用はここで終ります。

 「ハンス・ホルバインとわたしの四十年」はなおしばらく続ける予定ですが、丁度雑誌原稿の〆め切と重なり、私が今時間がとれないので、次回はゲスト・エッセイを紹介させていただきます。

 なお、コメント欄で「意見の小さい違いこそ決定的な違い」という私の語に対し、vagabondさんが「「小異を捨てて大同につく」ことの方が大切ではないかと問い質された問題に対し、少し時間をおきますが、後日、私からきちんと応答する予定です。

Posted by Nishio at 2006年08月19日 15:19 | コメント (5) | トラックバック (0) | Clip!!

この記事に対するコメント

私のような者にご配慮いただき恐縮です。

ただ、はじめに「小異を捨て大同につく」といいましたが、その後の投稿で
「意見の小さな違い」が「すべての」なのか「ある」
なのかが大切と書きました。

さらに「違いが決定的」と判断されたときでも、相手を罵倒したりしないことが大切だ、と思います。

小林よしのりがあなたを「親米ポチ」と揶揄したことに私は強い不快感を感じました。

Posted by: vagabond at 2006年08月19日 21:43

西尾幹二先生

日々ご苦労さまです。貴ブログと関連のない話題で恐縮ですがコメントを頂戴できれば幸いです。

8月13日(日)付けの「しんぶん赤旗」が ”東京都 更迭・浜渦氏を参与に石原側近政治の復活”として次のように報じています。
(引用開始)
 東京都の石原慎太郎知事が、強権的な都政運営に対する批判を浴び、昨年、更迭したばかりの腹心、浜渦(はまうず)武生・前副知事(58)を都参与に選任したことに、都庁内外から「側近政治を復活させるものだ」と、批判の声があがっています。 知事は七月二十一日の記者会見で、「(国に)都の意向を伝え、国側の本当の意向を探り、調整する能力のある人間はほかにいない」と浜渦氏を持ち上げ、参与への選任を明らかにしました。
これに対し都議会では、自民党など与党が事実上了承しました。自民党のベテラン都議は「昨年、知事サイドから参与任命の打診があった時は、反対し て見送らせた。今回は『とにかく辞令を出します』と強引だった。参与といっても常駐になってしまう。まずいよね」と、押し切られた経緯を振り返ります。(引用止め)

さっそく浜渦氏はオリンピック誘致でさかんに動き回り、東京都は6月30日に提出した開催概要計画書のいくつかの変更を打ち出しています。
これはもう一つの候補として名乗りを上げている福岡市を、石原知事の口撃含めルールを外れた不規則行為だと、慌てさせ怒らせています。
日本の都市のどこがオリンピック候補地になろうと日本政府として国内開催する気がないならどうでもいいのですが、私が懸念するのは石原氏が浜渦氏を再起用することで晩節を穢すことになるだろうことです。 昔石原氏は対談で小林秀雄氏から「政治家は自分のために死ねる者を何人集められるか次第だ」と言い渡されています。 石原氏には結局浜渦氏のような輩しか肝胆合い照らし死んでもついていく仲間がいないのでしょう。 実に不幸なことです。 かつて石原氏は三島由紀夫から「自分がいる党の政策と異なる主張があるなら外に飛び出して云い給え。 それが武士道である」と批判されたのに対しそんなこと云ってちゃ政治はできないと鼻で笑っていました。 三島は自分のために本当に命を差し出す仲間を何人も集めました。 石原氏は周囲にいかがわしい輩を配したりせず今までの政治家としての愛国的業績を汚すことなく自分の限界を見つめ晩年を穢さぬようにしてほしいものです。

Posted by: しなの六文銭 at 2006年08月22日 10:11

少し脱線するかもしれないですが、IT業界では「集団知」ということがよく議論されます。

The Wisdom of Crowds, (James Surowiecki)
(邦訳:みんなの意見は案外正しい)のコンセプトが、ネット世界では、キー概念になっています。
(Wikipedia辞書などを想定してください)

群衆の叡智が成立するための条件は、

(1) 意見が多様であること
(2) 各メンバーが独立していること
(3) decentralization中心を持たないこと
(4) 意見集約のための優れたシステム があること
(a good method for aggregating opinions)
だそうです。

そしてもう一つ流行しているのが、マキアヴェッリ語録です。

>人は、大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいが、個々のこととなると、意外と正確な判断をくだすものである。

>だから民衆も、巨視的な視野を要求される事柄の判断力では頼りに出来ないが、ミクロな事柄ならば、多くの場合正確な判断を下せるのだ。
(マキアヴェッリ語録 塩野七生訳)

西尾先生のご意見が楽しみです。

(私も講演会は都合により参加できませんでしたので言ってることが変だったらすみません。)

Posted by: Jenny at 2006年08月22日 16:36

じゃあ、私はこれを紹介します
「群衆の叡知」ではなく「叡智の群衆化」

Posted by: てっく at 2006年08月23日 08:21

都政の問題ですか。浜渦氏を参与にしても石原慎太郎東京都知事は別に晩節を汚すことにはなりませんよ。
既に石原慎太郎東京都知事は都庁官僚にとっては担ぎやすい神輿にしか過ぎません。浜渦氏を参与で月収30万円で雇うことに横山副知事と大塚副知事がゴーサインを出したのも、「まあそんくらいいかな。都知事の面子も立てないといけないしな。」といった感じでしょう。
浜渦氏についていく者など誰もいません。もしいたとすれば、強引な政策の失敗はすべて浜渦氏の責任にしようといった官僚集団の知恵です。

石原慎太郎ですら官僚集団にはかないっこないのです。

Posted by: 総合学としての文学 at 2006年08月29日 20:38

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