西尾幹二のインターネット日録

種子島・八木両氏の「捨て台詞」を追撃する    

 福地惇氏による「補論 松浦氏の「辞表」を斬る」を末尾に追加しました。(5月18日) 

 福地惇氏は高知大学名誉教授、元・文部省主任教科書調査官(歴史部門)で、現在は大正大学文学部教授、新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長である。

 福地氏といえば誰しも思い浮べるよく知られた事件がある。平成10年(2002年)12月に江沢民が来日したとき、共同通信が時機をうかがい、用意していたかのごときタイミングで、一人の教科書調査官が許されない発言をしているのを発見した、と騒ぎ立てた。雑誌『黙』の同年8、9月号の座談会「どういう日本を創ろうとしたのか 西郷隆盛と勝海舟」における福地氏の発言を温存して、にわかにこのとき問題として取り上げたのである。

 その発言の内容は近隣諸国条項が教科書を悪くしているということ、学習指導要領の内容はいまひとつ不十分であること、といった程度で、まことに穏便、常識の範囲内の控えめな批評のことばであったが、教科書調査官がこのような発言を果して口にしてよいのか、という文句のつけ方で共同通信社が火種子を提供した。江沢民来日の直前で文部省は神経質になっていた。天下の愚者、文部大臣有馬朗人――私の知る歴代文相の中でもおよそ考えられる最悪の世論へのゴマすり男、理科系に意外に多い世俗的出世主義者――が福地発言にわけもわからず半狂乱となり、江沢民に媚態を示さんがため福地氏をスケープゴートにし立てあげ、氏を閑職に配置換えとした。

 福地氏は節を枉げない首尾一貫性をこのときも、そして「つくる会」理事になった今も示しつづけている。専攻は明治政治史で、とりわけ明治維新の成立から藩閥政権の確立過程の研究が主テーマである。「つくる会」理事には古代史に高森氏、西洋史に九里氏がいるが、福地氏は唯一の日本近現代史の専門家である。


 福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長)
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種子島・八木両氏の「捨て台詞」を追撃する      平成18年5月5日       

                           福 地  惇

A 実に残念な最後の不信行為

 去る4月30日に開催された「新しい歴史教科書をつくる会」第89回理事会は、またまた執行部交代という異常な事態で終幕した。異常の上塗りに、責任者が留守中の事務局から「第172号・つくる会FAX通信」が全国に発信された。「会長・副会長辞任のお知らせ」(種子島経)、「退会の辞」(八木秀次)である。

 それは、種子島執行部および四理事の辞表が受理され、彼ら六人が会場を退席した直後に発信された。次なる議題、新執行部選出問題が協議されていた時であり、正に執行部空白の時間帯に発信されたのである。新執行部が、彼らの文書を理事会の決定事項を踏まえて流すのが筋である。彼らは手続きの筋を乱して「捨て台詞」を投げつけて退会した。

  「つくる会」の品格を貶めるこの実に残念な前会長・副会長の最後の仕打ちは、明らかな反社会的行為である。そればかりではなく、その文書の内容は、その不信行為に倍する卑劣な責任転嫁の自己弁護である。その余りも信義を蔑ろにした恥ずべき詭弁で人々を惑わそうとする歪んだ心根に対して、厳しい批判を試みざるを得ないのである。

B 種子島経「会長・副会長辞任のお知らせ」の論点

 FAX通信を勝手に利用して流された「お知らせ」の論点を摘記する。

① 2月理事会では、全理事が会長を支持する。副会長人選は会長に一任する、の二点が確認された。

② 3月理事会では、八木氏が副会長になり、「理事間の内紛は一切やめる」「今後は将来についての議論のみ行い、過去に遡っての糾弾など行わない」等が決議された。

③ 「ところが、この3月28日から10日も経たない内に、一部の理事が、会の活動とは関係ないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけ、会から追放すべき旨の提言を執拗に行なって参りました」。

④ 「これは私の選んだ副会長を信任せず、またぞろ内紛を起そう、というもので、以上のいきさつからしても到底承服できないところであり、私は峻拒いたしました」、「かようなルール違反、統制違反は、以前から『会』に見られ、昨年9月以来の混乱の一因をなしており、………これら理事を解任して私なりの統治を貫くことも考えました」。

⑤ しかし、体調等の理由から「私なりの責任がとれないのなら、と私は辞任を決意し、八木副会長に伝えました。彼は、在任中、とりわけ昨年9月以来、このような問題に悩まされ続けて来ただけに、『もう精神的に限界です。私も辞めます』と表明、揃って辞任となったわけであります」。

⑥ 「『つくる会』の理事諸侯(ママ)の一部に関してはマネージ不能であったことを遺憾とします。彼等は、ルールを守る、ボスの方針に従うなどの国際基準を全く無視しますので、マネージできないし、彼等との仕事は、賽の河原で石を積む子供たちのような空しさの繰り返しにしかならない」。

 以上が種子島経氏の辞任の弁の論点である。

C 八木秀次「退会の辞」の論点

① 「会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で、根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及した」。

② 反論・弁明しようとしたが、徒労に終わることを見越して諦めの境地に達した。

③ 「本会は発足以来定期的に内紛を繰り返して参りましたが、『相手代わって主代わらず』と言う諺があるように、今回は私などがたまたま『相手』とされたに過ぎません。『主』が代わらない限り本会の正常化は無理であり、また発展も未来もないものと判断し、やむなく退会を決断した」。

④ 「とき至り、再び私が必要とされるようになった暁には、日本の子供たちに輝く虹を見せるための活動の一端を担う所存です」。

 以上が八木秀次氏の退会の弁の論点である。

D 「つくる会騒動」の原因と経過の概要

 さて、今回の「つくる会騒動」は、昨年の採択戦終了後に幹部理事間に事務局長の交代問題が提起され、昨年9月17日に宮崎正治氏に対し辞任要求が出された時点を出発点にしている。騒動の原因は、思想や基本的運動方針に関わる問題ではなかったのである。

 宮崎氏に事務局長から降りてもらう問題で最初、八木会長(当時)は、西尾幹二名誉会長、藤岡信勝副会長、種子島理事(財務担当)、それに在京理事の多くと同意見だったのである。その事務局長処遇問題を「騒動」にしてしまった原因は、私見によれば五つある。

(1)宮崎氏が執行部の退任要請を最初は受け容れる姿勢を示したにも拘わらず、次第に残留への強硬な姿勢を取るようになった。(2)事務局長処遇問題と絡み合って「コンピューター問題」なるものが湧き上がって事態をより複雑にした。(3)態度を硬化させてゆく宮崎氏に対する執行部(会長、副会長五名で構成、会長の要請に応じた名誉会長が加わることもあった)の姿勢が乱れた。(4)何と言っても、会運営の最高責任者である会長八木秀次氏の無責任な態度変更が混乱を深めた。(5)八木氏は、今回の混乱に関して自分は悪くない、悪いのは自分を会長として自由に行動させない或る人々であると言うような意味での変節を遂げて突っ走った。

 これら五つの要因が複雑に絡み合って、事態を混迷させた、と言うのが私の見解である。そして、(4)(5)が最も重大な原因だが、この間に八木会長はどのように「つくる会」を運営したのだろうか。

 先ず、11月18日に臨時理事会が開かれ、宮崎事務局長処遇問題は紛糾し継続審議事項になった。12月1日に予定された理事会は理由説明なしに無期延期となった。そして、12月15日付の「(八木)会長声明」の「率直に言えば私の意志とは別にことが始まり」云々は、実に異様であった。八木会長自身は、宮崎問題、コンピューター問題に直接関係していないと表明したのである。かくして、宮崎問題は、解決の目途すら付かず愈々混迷を深めて、12月1日に予定されていた理事会すら開催できなかった。一般の理事に何故理事会が開けないのか事情説明も一切なかったのである。

 このような時期に「私は何も悪いことをしていなので事務局長を辞めない」という趣旨の所謂「宮崎弁明書」が全理事に郵送された。次いで「事務局長人事をめぐる執行部対応への抗議及び経緯説明等の善処を求める声明」(12月12日付、内田智、勝岡寛次、新田均、松浦光修4理連名)が出た。これは「弁明書」と平仄を合わせた宮崎擁護論だった。この四理事はこの後に一貫して宮崎擁護で強力な論陣を張り、ある種の運動を展開したので、「四人組」との渾名が付いた。八木、宮崎両氏が「四人組」と連携を深めるのは、次に述べる「支那漫遊事件」前後のように私には見えた。

 さて、理事の多くが、前途に大きな不安感を深めていた正にその時に、支那漫遊である。16日から19日までの4日間、八木会長は事務局員らを同道して支那漫遊と洒落込んだ。これは以前から計画されていたそうだが、会の混乱正常化に全力投球すべきその時期に事務職員とともに支那漫遊を試みるとは見上げた度胸である。しかも、漫遊者の中に渦中の人宮崎事務局長がいたのだから、これは大した蛮勇だと言う外はない。

 ところで、彼らは「反日施設見学」を目的にしたプライベートな外遊だと言っている。しかし、雑誌『正論』18年3、4月号に「つくる会会長、中国『反日の本丸』に乗り込む」と題して、中国社会科学院所長らと「つくる会の歴史教科書」を巡り議論したことが判明した。意見交換会があるとは執行部の誰にも知らされず、従って下相談もなく漫遊したと聞く。これは「飛んで火に入る夏の虫」に近い軽率で危険な外遊だったと非難されても致し方ない、と私は思う。

 漏れ聞くところによると、12月25日には西尾名誉会長も参加して執行部懇談会が開かれ、責任回避の「会長声明」とコンピューター問題に関する執行部見解等を巡って激しい意見の応酬があったようである。会終了後、福田逸副会長が外遊に出る前に宮崎同道のことを何故打ち明けてくれなかったのかと問うと、八木氏は、言い難くかったと答えたという。福田氏は、これは副会長に対する不信任を意味すると痛感したと述懐している。

 年が明けて二ヶ月ぶりに開催された1月16日理事会でも宮崎事務局長処遇問題はまたもや決着の目途すらつかず、激論の末に閉会になった。八木会長の無定見な会運営姿勢が、西尾幹二氏の名誉会長の称号返上表明(17日)の原因になったのだ。同日、遠藤浩一、福田逸、工藤美代子の三副会長は辞表を提出した。藤岡副会長は一旦辞意を固めたが、関係者の説得もあり、会務のこれ以上の混乱を恐れて、副会長に留まった。

 西尾氏の称号返上表明に対する慰留なしの八木氏の迅速で余りにも素気ない対応は、非人情・非常識と言うべき態度であった。その頃から「創業者の障害」なる発言が出ていた。同時に、三副会長に対する不誠実で無責任な対応も異様であった。副会長の辞表提出は誰が見ても八木会長不信任の意思表明である。だが、これを何事でもないかのように、正に三人の副会長を小馬鹿にしたような冷淡な八木氏の態度は並大抵のものではなかった。

 このような責任感の欠如と指導力不足に対する強い批判が理事会内部に沸き上がったのは当然の流れであった。西尾氏が藤岡氏に会長になって頑張れとの意味を含んだ激励のEメールを発したのは2月3日である。後で説明するが二ヵ月後の3月理事会後に「西尾・藤岡往復私信」が八木・藤岡宥和工作や西尾氏への脅迫文書として活用されるのである。

 2月27日理事会で、これまでの混乱の責任を取らされる形で、八木会長と藤岡副会長は同時に解任された。そして新会長に種子島経氏が選出されたのである。この時、宮崎事務局長も解任されたが、任期最後の日の置き土産として、28日夕刻、理事会決定事項を「つくる会FAX通信」として発信したのであった。種子島新会長への挑戦であったと見てよいだろう。だが、種子島氏は宮崎氏に普通の退職手続きを取らせて穏便に対処した。

 3月1日の産経新聞は、八木解任劇を報じて、「西尾院政か」「中国訪問を理由に解任」という何か為にする書き振りで、新会長種子島氏に対する陰湿な貶め記事を掲載した。この記事は、産経新聞「つくる会担当記者」渡辺浩氏の執筆であった。同記者は、「八木―宮崎」派と昵懇の仲であることは後に判明するのである。

E 種子島経会長の登場と言動の大変化

 種子島経氏は、八木氏の指導力不足や責任感欠如から生じた会運営の渋滞や混乱を憂慮した理事たちに推されて会長に就任した。不信行為を重ねて来た「八木―宮崎」派を懲らしめるために就任した。種子島氏は、「つくる会」と言う貴重な存在を解体させてはならない、これまでに蓄積されてしまった「負の要因」を除去して、再建しなくてはならない、との決意で会務に取り組まれた。これは、誰もが支持するところであった。

 だが、種子島氏の会務への基本的な取組姿勢には、同氏を支持した多くの理事たちを納得させないのみか、疑義を醸し出すものが多くなった。3月半ば頃からである。種子島氏の言動は、急速に八木氏擁護に傾き、八木氏は(イ)人気が高い、(ロ)「フジ産経グループ」の強い支持を得ている、との判断から、会建て直しの方向性を大きく変更しはじめたのである。私の見解では、(イ)も(ロ)も八木氏及び彼の支持者が誇大宣伝を重ねて作り出した幻想に過ぎない。会長はこの幻想に幻惑されたのだろうか、最初の施政方針と3月半ば以降の会務運営姿勢とには大きな懸隔が生じたように見えるのである。 

 3月1日に藤岡理事とともに「会長補佐」に任命された私は、3月28日理事会まで、会の建て直しへ向けて微力を尽くした積りである。例えば、重点地域の支持者に「会長・副会長解任」事情を説明して廻り、特に3月11、12両日、東京三田で開催された評議会・支部長会合同会議等でこの度の問題点を説明し、様々な提言を承る等がそれである。しかるに、会長を支えて会の態勢建て直し工作を展開中、八木・宮崎氏らと「四人組」が提携して会の主導権掌握を目指したと思われる陰険な謀略工作が続発したのである。

 これは私の推測だが、藤岡会長補佐の身辺に関わる疑惑情報散布(3月初旬)も、「あなたと健康社(3月9日付)」「株式会社フローラ(3月11日付)」の寄付金返還要求も、特定の地方支部から本部への「八木復帰コール」「二月理事会以前への原状復帰要望」等々のFAX攻勢も、彼らの策謀あるいは教唆によるものであろう。また、我々が、東京、大阪、福岡と地方有力支持者への事情説明に出向いている時期に、「石井公一郎氏が八木を支持して第二つくる会を立ち上げる決意をした」と言うガセネタ情報を流れた。また、伊藤隆理事が藤岡氏非難を書き込んだ「辞表」(3月9日付)を提出した。八木氏らが伊藤理事に懇請して辞表を書いてもらったのだという情報も流れた。真偽のほどは不明だが、辞表提出の時期が理事会ではなく、この時点であることから、まんざらの噂話ではなさそうだ。 

 要するに、これらは何れも、11、12両日の評議会・全国支部長合同会議を標的にした会の正常化を念願する諸理事(八木たちの反対派)に対する攪乱・分断工作である。2月理事会終了直後から始まったこれら陰湿な蠢動は、種子島会長の運営方針に反逆する行為であると理解するのが普通であろう。正常化を念願する諸理事は、種子島さんを支援した理事であることをお忘れになられては困るのである。

F 3月28日理事会とその直後の異変

 種子島氏が「辞任のお知らせ」で「マネージ不能」「国際基準を全く無視」する「一部理事」とは小生のことであろう。誠に心外の極みである。

 種子島氏辞任の弁の②「理事間の内紛は一切やめる」「今後は将来についての議論のみ行い、過去に遡っての糾弾など行わない」等は、異常事態が全く発生しないという前提条件の下で初めて成り立つ。だが、実状は先に述べたように、言ってしまえば水面下における打ち続く謀略工作によって理事会構成員全体が不気味に揺り動かさせられていたのだから、事態は最悪の方向に動いていた。しかもそれら状況悪化の運動は種子島氏が信頼して任命したと言う副会長ら連累によって起されていたのだから、何をか言わんやである。

 また、八木氏の「退会の辞」の①「7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で、根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及した」は、余りにも見え透いた詭弁であり、遁辞である。「一部の理事が会の外部と連動し」とか「根拠もなく憶測を重ね」とは、一体何を指すのか。不信行為を重ねていたのは自分たちではないか。その厚顔無恥な不誠実さには呆れて言葉も出ない。しかも、ここで又もや「私の与り知らない問題」が出て来た。ただ仰天するのみである。もう少し理解しやすいように話しを進めよう。

 3月初旬から始まった「警察公安情報」をチラつかせた藤岡氏への陰湿な人身攻撃がある。これは3月理事会を目前にした20日頃からさらに数箇所にばら撒かれた。これが理事会の議題にされれば、理事会分解の最悪事態も予想された。そこで、私は会長に進言して、噂の張本人である藤岡理事に直接ことの真相を糺した。そこで、これが理事会攪乱のための謀略文書であるとの感触を得たのである。3月25日、理事会の3日前であった。

 3月28日理事会で八木氏は反省と謝罪を述べた。藤岡氏も述べた。付言すれば、八木氏に「反省と謝罪の弁無く、本理事会成立は在り得ない、副会長復帰も有り得ない」と申し伝えたのは小生である。確かに、八木氏は「反省と謝罪の弁」を理事会冒頭に述べた。藤岡氏も述べた。それは、昨年9月から半年以上に亙り打ち続いた一連の理事会の混乱に終止符を打つための儀式でもあったが、本心から反省してもらいたかったのである。そして、正に種子島会長の運営方針「理事会一丸の取組」を確認し、担当理事制、隔週の執行部=担当理事合同会議を重ねながら会の正常化を目指そうと言う趣旨の具体案で合意した。

 ところが驚くなかれ、理事会終了直後に理事会に対する裏切り行為が飛び出したのである。「八木批判派」を攪乱し分断するためだと考える外にない偏向情報を理事会内の何者かが産経新聞渡辺記者に素早く提供したのである。この理事会決議事項を歪曲・脚色した産経新聞記者の背後に八木=宮崎が存在すると思われる。理事会で合意された「一丸の取組」精神は、一夜も経たずに踏み躙られた。3月29日の産経偏向記事=渡辺記者曲筆事件は、「つくる会FAX通信174号」を参照されたい。

 まだまだ疑惑話はあるが、以上に依って八木前副会長および連累が「つくる会」を混乱させる陰険な背信・不信行為をし続けていた事実の概略を示せたと思う。彼らの行為は、3月理事会で確認した「内紛を打ち止めにし」「理事会一丸の取り組み」という確認事項に真っ向から違背・背反する。これらの行為は、会則第20条の懲罰に該当するのである。

 なお、西尾幹二元会長は、自らが生み育てた「つくる会」の内紛を痛く憂慮し、事態の不明朗さを怒り、有名な「インターネット日録」で様々な形での真相究明の言論戦を展開された。それは、臭いものには蓋の事なかれ主義への警鐘乱打であり、不可解で不明朗な今回の騒動の内実を白日の下に曝け出す上に大きな威力を発揮したと高く評価したい。

G どちらの言い分が真面(マトモ)であるか                      

 さて、種子島氏は辞任の弁②で、「3月28日から10日も経たない内に、一部の理事が、会の活動とは関係ないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけ、会から追放すべき旨の提言を執拗に行なって参りました」。そして④では、「これは私の選んだ副会長を信任せず、またぞろ内紛を起そう、というもので、以上のいきさつからしても到底承服できないところであり、私は峻拒いたしました」、「かようなルール違反、統制違反は、以前から『会』に見られ、昨年9月以来の混乱の一因をなしており、………これら理事を解任して私なりの統治を貫くことも考えました」とイケ図々しくも自己弁護・責任転嫁の詭弁を弄した。何とも醜怪至極である。

 「10日も立たない内」どころか一晩も経たない内であった。「一部の理事が会の活動とは関係ない問題」ではなく、理事の一部の謀略工作で内紛は深刻化したのだ。不明朗な実態の真相を明らかにすることは会長の責務であると進言したのは私である。だが、「会から追放すべし」などは一言も発したことはない(参考資料)。何と頓珍漢な現状認識振りであることか。しかも、言うに事欠くと言おうか、「またぞろ内紛を起そう」した怪しからん輩は、「国際基準」とやらを無視する福地や藤岡であると言う。私たちが何時、どのようにして内紛を起そうとしたか、証拠を示して欲しい。3月半ば以降、種子島氏はその陰謀団の一味に加担したわけだから、当然の言い掛かりなのかとも思うが、悪意抜きに勘繰れば、これほど苦しい理不尽な責任転嫁の言い掛かりを我々にぶつけざるを得ない事情でも抱えているのだろうかと思いたくもなる。実に悪質な誹謗中傷だと言う外ないのである。

 ところで、縦令、百歩譲って種子島氏の理屈を聞くとしても、これは世間を納得させるものではあるまい。会社を一丸にして纏めようとするある会社の社長が、人気者で信頼できると思った部下を副社長に任命した。ところがその副社長は実は以前から自分を批判する勢力を撲滅せんとの謀略行為を重ねていて、副社長に任命されたその晩に一層不埒な反対派分断策謀を実行して、社長の全社一丸の願を踏み躙った。それを察知した新副社長批判派の重役が社長に社の命運に関わる重大事態だから真相を正せと進言した。それに対して、社長は、自分の人物鑑識眼のなさ、情勢認識の不明を棚上げにして、諫言した重役に対し、お前は俺の選んだ副社長を悪者に仕立てて、会社を潰そうとするのかと怒って解任しようとまで思い込んだ。広い世の中だから、臭いモノには蓋をして世間を欺く、そんな社長が結構あちこちにおり、そんな会社が一時は繁栄しているかも知れない。

 だが、是は是、非は非であり、子供の教育に関わる本会は単なる営利追求の企業体の論理と同じで良い筈はない。企業体でも、種子島マネージメント論が通用するか否かは、誰が考えても分明だ。臭いものには蓋の会社は早晩潰れる。またそうでなくてはなるまい。

 八木氏の言い分は、論点①「会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で、根拠もなく憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及した」と言っている。理由も無く何も悪い事をしていない自分を虐めようとする悪者がいた。自分は丸で一方的な被害者だと言わんばかりの台詞である。だが、八木氏が普通に真面目に会務に携わっていれば、7月に会長に復帰できた可能性は高かったのである。彼あるいはその一派が、理事会合意の精神を踏み躙る謀略的行動に出ていなかったならば、我々は彼らを非難し攻撃しようなどとはツユ思わなかっただろうし、従って「八木派排撃行動」には先ず出なかったであろうからである。

 ところが、全て尻が割れた話となった。西尾幹二氏の「日録」やFAX通信が挙証したように、一連の「怪情報」は八木およびその近縁から発せられた。これを産経新聞渡辺記者が証言した。西尾氏―藤岡氏を離間し、藤岡氏を八木に屈服させる手段として活用した「西尾―藤岡往復私信」を「脅迫文書」として匿名で発信したのは八木である。そのことは、理事会の席上で事務局の鈴木尚之氏が特に発言を求めて厳しく指弾した。本来ならば「つくる会会則第20条」の除名処分に相当するが深追いは止した。八木氏らは一言の弁明もできずにそそくさと六名揃って辞表を出して退席したのである。

 「つくる会」の運動目標は、世界の歴史を広く公平に理解し、以て日本歴史の一貫性とその豊かさ美しさを子供達に伝えることにある。この国を自然な形で肩肘張らずにこよなく敬愛できる国民に育ててゆく、という高貴な目標を持つ教育正常化運動である、と私は思っている。多くの国民もまたそのような思いで本会に大きな期待を懸けてくれている。 

 その会の会長、副会長や理事が、犯罪者紛いの粉飾経営、偽装経営をしていては、誠に世間に申訳が立たない。八木氏は、シャーシャーとして論点④に「とき至り、再び私が必要とされるようになった暁には、日本の子供たちに輝く虹を見せるための活動の一端を担う所存です」と明言している。陰謀工作や詭弁の数々、そして無定見と無責任等々、自分が犯した罪や不明な至らなさを未だに自覚できないのであろうか。恥を知れ、恥をと言いたい。教育界の指導者たるもの、先ず己の精神・姿勢を正さずして、どうして子供を正しい道に導くことができようか。猛省を促したい。

 私見であるが、子供たちに「輝く虹を見せる」とか「夢を与える」とか言う、通俗的な言い草は止めようではないか。「義を見てせざるは勇無きなり」である。子供たちに、国民として社会人として何処に立っても何時でも、信義を守って正しく美しく振舞うための勇気を与えようではないか。そのためには、祖国の歴史、先祖の遺業に誇りを持ち、何が義であり正であり信であり美であるかを学ばせることが大切である。それを土台にして勇気を持って社会に飛び出せる子供たちを育てることである。歴史や公民の教科書が重要な所以はそこにあると思うのである。

 こんなに醜い争い事は、本当に二度と再び繰り返したくないが、現実はそう簡単ではなさそうだ。皆々、戒心すべしである。                (了)  

 

「種子島・八木両氏の『捨て台詞』を追撃する」(続編)

補論 松浦氏の「辞表」を斬る     福 地  惇

A 世間を瞞着する「辞表」
 4月30日の「つくる会第89回理事会」で昨年9月以来続いていた騒動に一応のケリが付いた。種子島会長、八木副会長、以下四名の理事が一斉に辞職したからである。種子島・八木両氏は、「つくる会FAX通信」を私用して理事会開催中に全国に「辞表」を配信した。このこと自体が会の統制違反である。その上に、この文章は世人を瞞着しようとする悪質なものだった。

 ところで、私が思うには、連袂辞職した六人の理事は、これまで数ヶ月に亙り、ある種の謀略工作を重ねて、その証拠が段々と明らかになって来たので、怖くなって一斉に会を逃げ去ったのだ。そこで、必死になって責任転嫁の詭弁を弄して、世間を更に欺こう、瞞着しようともがいているのだ。「盗人にも三分の理あり」である。彼らの理屈は、今回「つくる会騒動」の本質をはぐらかしている。

B 八木氏に託された松浦氏の「辞表」(4月30日付)
 さて、「四人組」の一人である前理事松浦光修氏は、4月理事会を欠席したが、八木氏に「辞表」を託した。彼等は辞職する覚悟でこの理事会に臨んだ訳である。

 さて、その「辞表」は、彼らの独善性の体質、世人を瞞着することを恥じない体質を端無くも曝け出した文章である。

 世間に公表を憚られる程の恥知らずな文章なのだが、彼の同志の新田氏は「私たちが辞任しなければならなかった理由を極めて的確に表現した名文だと思う」と持ち上げて自分のブログに全文を掲載した。彼らが自信を持って、「これぞ我等が辞職理由」だと公表した訳であるから、私は今や何の憚るところもなく「松浦辞表文」の論点を掲げて、逐次厳しく批判したいと思う。

C 松浦氏の「辞表」の論点
D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性(交互に表示)

C 松浦氏の「辞表」の論点
① 「つくる会」の理念は正しいが、「理事会の実態は会の理念とは隔絶」している。その原因は「『創業者』が会を私物化し、合理的な根拠もないまま、私情にまかせ、無慈悲にも汚名を着せ、次々と事務局長を追放し、それに多数の理事が無批判に追随するという、全体主義的で陰湿、かつ冷酷な慣行を継続させてきた」ことだ。

D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
 ①は、彼が地方から見たというよりも、彼の東京あるいは近傍の同志から執拗に聞かされたことを鵜呑みに理解しているかのようである。典型的な「事実認識の偏頗性」が認められる。
もし、宮崎事務局長問題に関しては、宮崎氏が執行部諸氏の信義に反する「のらくらした態度」に問題があったのであり、当時の名誉会長や八木会長以下4副会長がそれに振り回されたのが事実だ。「多数の理事が無批判に追随」したというのも偏向情報を頭から信じ込んで、自分の論理に都合よい部分だけを拝借して作文されたと読める。

 この論点①の結論は「つくる会」の現状は全体主義の「北朝鮮=金王朝」の紛いの無慈悲な「私情」が罷り通る「冷酷・陰湿」な体制である、と最大限の悪罵を吐いている。仰天せざるを得ない。少し考えても見よ。この会は言うまでもなく営利追求団体ではなく、支持者会員の浄財によって運営される文化団体である。ここに集う理事たちは、どなたも各界で活躍中の多忙な方々、しかも、皆一家言を持つ自由主義者である。それが、奉仕活動として多大の時間と労力を会務に提供し、つくる会の大義を世間に押し広めようと努力されている無私の境地の方々である。どのような独裁者がいて、この会を「私情」にまかせて「全体主義的」に運営していると言うのか。やろうとしても出来るはずもないことである。だから、松浦氏の罵倒は、理事諸氏に対する大変重大な侮辱である。馬鹿も休み休みに言え。

C 松浦氏の「辞表」の論点
② 「総じて理事会は地方の実状を何も知らず、余暇をもてあまし、誇大妄想、被害妄想気味のエキセントリックな一部老人たちによる精神的支配が続いているのが実態」「悲しいほど大義のない欺瞞に満ちたもの」。

D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
 ②は、「大義のない欺瞞」といとも簡単に非難している。「辞表」だから簡潔に表現したと反論するだろうが、それでは改めてキチンと具体的事実を示すことができるのか。①と甲乙付け難い甚だしく無様な思い込みによる卑怯な文章だ。思い込みと独断による悪罵の吐き散らしは、この辞表文全体の特色である。新田氏は「名文」だと誉めそやすが、迚も褒めることはできない悪文である。

C 松浦氏の「辞表」の論点
③ 「同憂の理事たちと、本会を日本人らしい道義ある会に再生すべく、この半年………微力を尽くして参りました。幸い現副会長の八木秀次氏や現会長の種子島経氏は、日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識をお持ちの方々であると感じられましたので、つい最近まで、まだ私は、その点に会の再生への一縷の希望をたくしていた」。

D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
 ③は、種子島前会長は、八木会長時代には、宮崎処遇問題でも八木会長の会運営姿勢に関しても、批判的な理事諸氏の中でも最も強烈な批判を続けた理事だった。そして、八木氏の会運営能力の欠如を批判した理事達に推されて会長に就任した。その事実関係を松浦氏はご存知なのだろうか、甚だ疑問である。

 会長になって、支援する理事に押されて宮崎事務局長解任は達成した。しかし、その直後から、「人事は一任されている」「八木氏の人気とフジ産経グループの八木支持は堅い」を最大の理由として、彼を支持した理事達を尻目に八木氏復権に全力投入するに至った御仁である。種子島氏に復権の圧力や、そのための情報操作の謀略を駆使していたのは、八木氏や新田氏、あるいはそれに追随した松浦氏ではなかったのか。貴方達がどの面下げて、「日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識をお持ちの方々」だと自画自賛しうるのか理解に苦しむ次第である。

C 松浦氏の「辞表」の論点
④ 「しかし、去る4月13日、たぶん西尾幹二氏に使嗾されてのことと思われますが、藤岡信勝氏と両氏に追随する福地惇氏が、せっかく会の再生に乗り出した八木秀次氏と種子島経氏を呼び出し、脅迫的な態度で辞任を迫ると言う、まるで背後から切り付けるかのような信じがたい行動に、またも出ました」。

D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
 ④ 折角「再生に乗り出したのは」、3月11、12両日開催の評議員・支部長の合同会議の結果を受けて、さまざまな積極的提言を容れた3月27日理事会の決定事項である。松浦氏は「再生」の為の大事な何れの会合にも欠席していた筈だ。また、八木氏は合同会議に欠席している。

 八木氏は何時どの様にして「再生に乗り出した」のか具体的事例を示してほしい。ただ一人勝手に種子島氏が「人気者」の八木会長復帰に躍起になったのであり、八木氏はその裏で反対派切り崩しの「謀略工作」に勤しんでいたのである。

 3月28日理事会終了直後から、産経新聞の「偏向記事事件」が始まっていた。この事件に深く関与していたのは八木・新田・宮崎そして産経新聞記者の渡辺浩であることは、張本人の一人渡辺記者が関係者数人に自白したことで既に満天下に明らかになっている。 

 「再生」どころか、「会の混乱」を倍加させることにしか役立たない不埒な事件に直接関与していた人々を松浦氏は「日本人らしい善良な純粋な社会常識を持つ」人々だと言う。悪い冗談にもならないではないか。最初の思い込みを懐疑しようともせず、只管偏向した情報だけを信じて、自分は恰も正義の見方であるかのように勘違いしてこのような「辞表」を書く。「社会常識を持つ人」とはとても言えない。

 偏向し歪曲された情報を基にして憶測を重ねた末の誹謗中傷は、論点④に集約されている。私は、「西尾幹二氏に使嗾された」のでもなく、西尾氏と藤岡信勝氏との「両氏に追随」したのでもない。これこそが、何か目的をもって操作された偏向情報を鵜呑みに信じ込んでいる証拠である。

 「産経偏向記事事件」や例の「警察・公安情報 藤岡教授の日共遍歴」や「西尾=藤岡往復私信」の脅迫文というような数種類のオゾマシイ謀略文書を匿名で彼方此方に発信した者が理事会内部にいる。それも種子島会長の足元にいる可能性が高いと判断し、会長の責任で不祥事の真相を究明すべしと私は判断して会長に直談判したのである。それは、3月理事会の一週間後のことであった。種子島氏に提示した要求事項と問答録がある。それを参考資料として末尾に掲げよう。

 会の混乱をこれ以上深めることはしたくない、との理由で会長は、私の要求を「峻拒」した。「臭い物には蓋をしてその場を凌ごう」という姿勢がありありであった。一刻も早く会長職を八木氏に受け渡したいとの思いが会長の判断力を萎えさせてしまったのか。会長の態度がその様なものだったから、その後も「偏向報道」「怪文書」問題は一向に解明される気配を見せない。そして、4月12、13日に至った。12日は藤岡理事が主として該問題を八木氏、種子島氏に問い質した。そして、13日はその問題について、会長と副会長の最終回答を得るための会談であったので、事務局を代表して鈴木尚之氏、理事として私も同席した。会合に際して種子島・八木両氏は、劈頭より問答無用とばかりに、即刻に連袂辞職すると用意して持ってきた辞表を出し、「やってられない」との捨て台詞を残して話しらしい話しもずに早々に退散したのである。 

 斬りつけたと言いたいならば言うが良い。私は真正面から大上段に斬り付けたのであり、「背後から」云々と言われるような卑怯なやり方は断じてしていない。しかも、「辞表を迫った」のではなく、種子島・八木両氏は「辞表」を携えて会合に望み、問答無用で立ち去ったのである。事実誤認の大言壮語は断じて許すことが出来ない。 

C 松浦氏の「辞表」の論点
⑤ 「この半年に限っても、私が彼らのその種の所行を聞くのは、いったい何度目のことでしょう。これを聞いて私は、彼らに反省を促すことなど不可能であり、そうである以上、もはら彼らと戦いをともにすることはできない、と諦観した」。

D 松浦氏の事実認識の偏頗性と立論の独善性
 ⑤ 会運営に大きな疑義が生じた時、理事には執行部にその解決方を進言する責務と言おうか権限がある。宮崎事務局長処遇問題やコンピュータ問題が紛糾した時「四人組」は盛んにこの権限を行使して会務を必要以上に混乱させたのではないか。その「四人組」の一人が松浦氏である。

 ところが、「反社会的陰謀行為」が理事の一部によって展開されている。その問題に対して私が理事の権限を正々堂々と行使したことを、松浦氏は、不正確な歪曲情報のみを信用して、追随した福地が丸で信じられない悪事をなしたかの如く表現した。そして、単なる邪推で西尾・藤岡両氏に対してまで誹謗中傷を拡大して述べる有様である。そして悪人に「反省」を促しても詮方ないから自分は辞職するのだと、良い子ぶった理由を述べた。自らは「大義」を目指す正義の味方であるといわんばかりである。尋常ならざる独善性の自己欺瞞と言わざるを得ない。
 

 
E 真に「つくる会」を正常化するための必要条件
 この「辞表」の最大の難点は、産経新聞の歪曲記事問題も某氏に対する卑怯極まりない『公安情報』や「西尾=藤岡往復私信」を使っての情報操作や脅迫文配布の幾つかの重大事実も一向に気にしていない、というよりも無視している点である。

 以上要するに、「つくる会」を真に正常化しようと行動した者たちに対して、善悪を転倒して、こいつらが悪人だと詭弁を最大限に弄し、自らの卑劣な謀略行動には何の反省もないということは最大の問題点だ。心ある人々は断じてこのような欺瞞的な人々に対して「日本人らしい道義ある人」「日本人らしい善良さ、純粋さ、また社会常識の持ち主」とは言わないのである。俗な言い方を使えば「盗人猛々しい」と言うのである。種子島・八木両氏の「辞表」も同断であることは言うを俟たない。

 本会会則第20条の規律条項に曰く、「会員にこの会の活動を混乱させ、あるいは会員としての品位を欠く行為をなし、その他この会の会員としてふさわしくないと認められるものがある場合は、理事会の決議により、その会員を除名その他の処分に付することができる」と。前会長・前副会長および前理事新田・松浦両氏らは、一連の不祥事の原因を創り続け、なおも独善的自己弁明、責任転嫁に勤しむ。この者たちは会員としての品位を著し欠くものと私は思う。依って次の理事会において私はこれら諸氏の除名処分を提議するであろう。これほどの騒動を経て「つくる会」を正常化するためも大前提はこれだと考えるからである。                             以上


(参考資料1)
種子島経会長殿への意見具申    
      平成18年4月7日
1 種子島会長は、「八木―宮崎」一派の一連の不信行為・責任回避行為・攪乱行為を非難する理事たちに推されて会長に就任した。「八木―宮崎」の不信行為等は、昨年の半ばから今日に至る迄、実は連綿として継続しており、その犯行の程度は益々悪質化している。

2 種子島会長は、「つくる会」と言う貴重な存在を解体させてはならない、何としてもこれまで蓄積した「負の要因」を除去して、立て直さなくてはならないとの決意で会務に取り組まれた。これは、誰もが支持する処である。

3 だが、会務への基本的な取組姿勢には、貴方を支持した多くの理事達を納得させないのみか、大きな疑義を醸し出すものが多い。

4 その第一は、八木氏に対する高過ぎる評価である。(イ)八木は人気が高い、(ロ)八木は、「産経グループ」の強い支持を得ている、との判断から、そう評価したものと思うが、どうであろうか。我々の考えでは(イ)も(ロ)も八木及び彼の支持者が誇大宣伝で作り出した幻想に過ぎない、と思うが如何であろうか。 

 産経新聞社渡辺浩記者の理事会決議事項歪曲報道の背後に八木ー宮崎が存在すると思われるし、また、以下に列挙する背信・不信行為の数々は「つくる会」及びその多くの支持者に対する、背任・裏切りの一種の犯罪行為と言う可きものと思うが、会長としては如何なるお考えでありましょうか。

5 「八木―宮崎」派の一連の犯罪紛いの不正行為は、「1月16日理事会」以降に限って見ても、許し難く多いのが歴然たる事実である。以下時系列に従い、目ぼしい事例を列挙する。その前に、12月15日付の「(八木)会長声明」は、「率直に言えば私の意志とは別にことが始まり」云々は、実に異様であった。
(イ)西尾幹二氏の名誉会長辞意表明(理事会翌日の1月17日)への、余りにも迅速で冷淡で素気ない対応(1月20日)。
(ロ)三副会長辞任に対する不誠実で無責任な対応。
(ハ)2月27日理事会の夜の「FAX通信」差替え発信事件。会長は当初、宮崎および関係したと推測される事務局員数名に対しては厳罰を以て臨むとされ、「事務員ヒヤリング」までしたが、急速に態度を軟化された。
(ニ)理事会翌日の産経新聞の理事会ニュースに、「西尾院政か」「中国訪問を理由に解任」という歪曲と、新会長種子島氏に対する陰湿な貶め記事の掲載に繋がる。この記事は例の渡辺浩記者の執筆であった。同記者は、八木―宮崎と昵懇の仲であることは会長もご承知の通り。
(ホ)三月初旬から始まったと思われる「警察公安情報」による藤岡氏への陰湿な人身攻撃、これは三月理事会を目前にした20日頃から「警察公安」情報としてFAXで数箇所にばら撒かれた。
(ヘ)これは私の推測だが、「あなたと健康社(3月9日付)」「株式会社フローラ(3月11日付)」の寄付金返還の脅迫状も、略々間違いなく彼らの教唆によるものであろう。彼らの拠点地方支部から本部への「八木復帰コール」「二月理事会以前への現状復帰要望」等々のFAX攻勢もそうである。また、我々が、東京、大阪、福岡と地方有力支持者への事情説明に出向いている時期に、「石井公一郎氏が八木を支持して第二つくる会を立ち上げる決意をした」(ガセネタ)、と伊藤隆理事に懇請して藤岡氏非難を書き込んだ「辞表」(ヤラセ)を書かせた。これは3月9日付であり、何れも11、12両日開催予定の評議員・全国支部長会議を標的にした会を真の意味で正常に復したいと念願する諸理事(八木たちの反対派)攪乱と追い落とし工作である。正常化を念願する諸理事は、種子島さんを支援した理事であることをお忘れになられては困るのである。
(ト)3月28日理事会=八木は反省と謝罪を述べた。藤岡氏も述べた。付言すれば、会長もご存知の通り、八木に「謝罪の弁無く、本理事会成立は在り得ない」と申し伝えたのは小生である。
(チ)しかるに、理事会終了後、直ちに我々を(当然種子島会長も含まれる、というよりも会長に対する)裏切り行為に出た。歪曲情報を産経新聞渡辺記者に提供した(推測だが限りなく真実である)。
(リ)3月29日の産経偽装記事事件。⇒渡辺記者歪曲記事事件。 
(ヌ)所謂「警察公安情報」と言う個人に対する根拠薄弱なFAX讒謗情報の散布(噂として3月初頭から流されFAXは3月23日。
(ル)元名誉会長および高池理事、小生に対する謀略FAX情報散布(3月31日)。これは、西尾氏に対する脅迫状でもあるし、当日昼間に小生が直接電話で八木氏にその不信行為に対する厳重抗議をしたことに対する、明白な報復行為である。    以下省略        

6 以上の諸事例で、八木秀次副会長が会を混乱させる陰謀工作による背信・不信行為をし続けた事実は示せたと思う。それゆえに、八木氏は、その職務に不適格であることは判然したと思うが、種子島会長は、それでも彼を信頼して、七月総会までに、同氏を会長に復帰させるお膳立てを作り続けられるお考えで居られるか、否か。

7 私の結論としては、以上の背信・不信行為の数々は、三月理事会で確認した「内紛をこれで打ち止めにする」との基本方針に真っ向から違背・背反すると断言する。依って、会則第20条の懲罰に該当すると判断する。付いては、八木氏を副会長に任命した会長の任免責任において、今回の産経新聞歪曲記事事件を中心とする背信陰謀諸事件の真相究明の為に、「八木聴聞会」を開催することを強く要望するものである。

 ただし、会長お一人にそれをお任せするのは、或いは荷が重過ぎるのではと忖度し、適任の理事数名を同聴聞会に陪席させることも、ここに提言致す次第であります。 以上                        
(文責:理事・福地惇)

Posted by Nishio at 2006年05月16日 22:47 | コメント (48) | トラックバック (2) | Clip!!

この記事に対するコメント

 福地先生の文章拝見しました。随分長かったけれども推測のお話がほとんどでしたね。
 「あなたと健康社」「株式会社フロブ」の寄付金返還要求や地方支部から本部への「八木復帰コール」が「彼らの策動もしくは教唆だ」とされる根拠も全く書かれていませんね。
 伊藤隆理事が藤岡氏非難を書き込んだ「辞表」(3月9日付)を提出した件についても、八木氏らが伊藤理事にお願いして辞表を書いてもらったという話の根拠も全く書かれていませんね。
 想像とか推測で、「不信行為」と決め付けておられますよね。
 そもそも宮崎事務局長の解任の理由は何だったのですか?
 コンピュータ問題で損失を出したからですか?それならば、このコンピュータ問題に関する報告が間違いであったことがわかった後に、宮崎事務局長の「弁明書」や理事らによる「善処を求める声明」が出るのも当然だと思うのですが、その辺りはどうなのでしょうか?

Posted by: 地方会員C at 2006年05月17日 01:48

理科系に以外と多い世俗的出世主義者とはなんたる誤解
西尾幹二の理科系に対する誤解にあきれきる。
もうちょっと勉強して理科系はなんたるか!!

Posted by: JOHAN at 2006年05月17日 13:49

私は西尾先生を大変尊敬しています。今回の内紛に関しても先生を支持します。しかし,やはり「理科系に以外と多い世俗的出世主義者」という発言はは理科系の一人として気になります。世俗的出世主義者は文科系にもたくさんいるし,本当に理科系に多いと言い切れるでしょうか。以前,先生の著書「歴史と科学」を読んで,失礼ながら科学についてよくわかっていらっしゃらないな,と思いました。さすがに立花隆ほど図々しく科学を論じていませんが。

Posted by: 隠れつくる会ファン at 2006年05月17日 16:49

ちょっぴり縁遠い話しからさせていただきます。
私は三度の飯よりサッカーが好きでありまして、たいした知識はありませんがとにかく試合を見るのが大好きです。
近くW杯も始まりますが、それに絡めてボツボツと語らせてください。
W杯というのは国別対抗試合であることは皆さんもご存知かと思います。
各選手は大概どこかのクラブチームに所属し、基本的な収入は所属するクラブとの契約にゆだねられます。中には特殊な強国もありまして、スウェーデンは代表選手が殆どアマなんです。勿論何名かはプロもいますが、組織を支えているのはアマチュアなんです。
そんな国が過去どんな成績をおさめているかと申しますと、準優勝が一回。三位が二回。四位が一回。ベスト8が二回。つまり過去17回の大会でベスト8以上が6回もあるんです。
この観点から見ますと、スウェーデンという国の存在は、サッカーの世界では見逃せない何かを感じさせます。

さていきなりサッカーの話題から始まりましたが、何を語りたいかと申しますと、クラブチームに所属するにはとにかく「個」をいかに表現できるかが問われます。ところがいざ試合が始まりますと、チームへの忠誠心が大事になりまして、その意識は国別代表よりも実は大切なんです。
一方国別代表になりますと、チーム内の連携が一般的に問われていますが、私は正直それだけでは結果を望めないのではないかと思うんです。それは何故かと言いますと、元々環境が違う者通しが寄せ集まったものが国別代表ですから、短い時間内でチームの纏まりを要求するのは難しいのです。ならばどんな戦法やメンタリティーが要求されるかと申しますと、自分をしっかりアピールできる選手の集まりが理想なんですね。つまり、欲しいタイミングや動いて欲しい方向性をちゃんと言い合えるチームが理想なんです。
このような理想にはなかなか近づけないのが現実ですが、それを意識できるかできないかはとても大事で、結果的にはアピールする度合いが強いチームほど成績を残せています。
別にスウェーデンという国を特別視するのが目的ではないんです。
どんな素人の集まりであっても、個人の要求を明確にできる環境がつまりは組織の健全な在り方なのではないかと思うのです。
スウェーデンがアマの集まりでも良い成績を収めて来た背景には、「個」の自由な要求が確立保証され、しかも目指す方向性を迷わない同族意識がアマ同志という環境が支えてきた。
いざ国別対抗試合になると「個」を意識し合えるそうした順応性には、何か感じ取るべき要素があるのではないでしょうか。
つくる会にもそのような土台が大切で、「個」の保証が前提にあって初めて組織の在り方が理想とされるのではないでしょうか。
またその認識が何かどこかで捻れてしまい、産まなくても良い結果を招いたのが今回の会の顛末ではないでしょうか。ほんらい何かに縛られない組織ならば、さらけ出す事には本来覚悟ができていなければなりません。ところがどうにかして取り繕うという意識ばかりが先行しますとこのような方向に行ってしまうのが世の常ではないでしょうか。この際私が強く感じますのは、つくる会には何か自由が存在していなかったのではないかであります。
本当の苦労を避けて来た。その代償がここにきて現れ出した。本来は皆有志の集まりでした。しかし、時を経るに従い本当に大切なものが邪魔くさくなった。
「皆葉っぱばっかり取ってちゃだめだよ、実を取らなきゃ」と誰もが思い始めた。つまりそれが焦りに変わった。
ところがそれが大きな副作用を生んだのではないでしょうか。
育てなきゃならない実まで摘み始めた罪がここに顕れたのではないでしょうか。つくる会は有益な意見の積み重ねが破壊してしまった。それは会が会員を拘束することでは回避できない。結局、つくる会という集まりでの「個」の真剣勝負が大事だったのだろうと思うわけです。
「そこまで厳しくしなきゃならないのかい?それじゃあ自由な意見なんか始めから出ないじゃないか・・・」という意見もあるかもしれません。
しかし、もう一度感じてください。私は別に縛り上げるような意識を要求していません。つまり、自身を拘束する手段は集まる以前にあれば良いわけです。
つくる会が仮に反日近隣諸国の方の会員を無下に拒んでいるはずはないわけですから、どんな経歴だろうがかまわないわけです。(間違いないですよね?この認識)でありますから、つくる会はどんな組織にも受け口を示し、その歩みの中で認識を確認し合う方法で互いの信頼を生んできたのではないでしょうか。
それを何か間違った認識と束縛を勝手に作り上げた細胞が増殖したのだろうと思うわけです。

Posted by: あきんど@携帯 at 2006年05月17日 18:47

>「『義を見てせざるは勇無きなり』である。子供たちに、国民として社会人として何処に立っても何時でも、信義を守って正しく美しく振舞うための勇気を与えようではないか。」

昔よく子供の頃、両親からこのことばを聞かされた記憶がありましたが、すっかり私自身は忘れておりました。
ひさしぶりに聞くととても新鮮です。現代の日本社会に今一番必要な事ではないかとハタと思いました。
組織における不正や不祥事に対して、誰もが保身を考えて、自分から言わねばならぬことも言う勇気もなくなっている。子供達のいじめにもしかり。
日本の数多くの社会悪が肥大化した利権構造を正せない原因がここら辺にある気が致します。

福地先生ご指摘の「子供達に『輝く虹を見せる」とか『夢を与える』とか言う、通俗的な言い草は止めようではないか。」は、全く同感です。
最近の教育の行き過ぎた個人主義の尊重は、無責任な自由、平等意識を助長し、子供達に
生きる事の安易さを印象づけているのではないでしょうか。
困難な現実の環境から本来の生き生きとした夢や希望というものが、生まれるのではないでしょうか。

西尾先生の冒頭の紹介文と福地先生のエッセイの「義を見てせざるは勇なきなり」を併せて拝読いたしまして、福地先生も、つくる会の騒動に身を呈して蛮勇を奮われたのだと、ご推察いたしました。

Posted by: レベッカ at 2006年05月17日 22:12

このコメント欄に書いて良いものか迷いましたが・・・。

西尾先生の日録は、私にとっては、社会人大学に席を置いているようで、家にいながら勉強ができとてもありがたい存在です。
いつもワクワクしながら読ませて頂いております。

昨日16日の東埼玉人様のコメントは、とても勉強になりました。ありがたく読ませて頂きました。
西尾先生を全面的に信頼し期待する理由として下記の4点を挙げられました。
①特に「小泉郵政」以来小泉批判を徹底している。
②経済を論じない保守を批判している(月刊WILL)
③「日本人は天皇制度とともに、それを超えたもう一つの柱を必要としている」(三島由紀夫憂国忌シンポジュウム)
④天皇の男系維持は国民の「信仰」の問題という主張(皇室典範改悪反対の集会での発言、「諸君」など)

上記の4点のうち、私には③が良く分かりません。西尾先生の「憂国忌シンポジュウム(七)」を繰り返し読みましたが・・・。私には難しいです。
天皇制と別に並存してもう一つ、大切なもの(柱)が必要であると。過去においては、中国の儒教に求め、ヨーロッパのキリスト教、近代文明に求めたと。ということは他者の存在があって初めて天皇制が見えてくる(意識する、自覚する)ということなのでしょうか? 

その意味でもう一つ別の大切なもの(柱)が必要になるという話なのでしょうか? 
天皇制と儒教。天皇制とキリスト教・近代文明。
そして今は、天皇制と何? 現在は何もないのでしょうか? それは、その時代その時代を生きる時に大切なもの、必要な社会の基盤のようなもの、夢中になるもの、と言う意味でしょうか? 

私は相対的なものがなくても(私の意識の中を探してみましたが何であるのかわかりません)天皇制はとても大切であり、今を生きている私たちの浅知恵でもって天皇制を弄り回してはいけないという思いを持っています。 お世継ぎがいなくなることは、千代に八千代に続かなくなることです。これはもう何とかしなくてはなりません。西尾先生が大工さんにお話になったように、系図を見れば一目瞭然。男系を守る必要があります。旧皇族の復帰しかないのではないでしょうか。(話が横へ行きましたが・・・)

この③がよく分かりません。なぜ別にもう一つの柱が必要なのか分かりません。 図々しいのですが、誰か教えてくださらないでしょうか? 只で教えを請うのはとても心苦しいのですが・・・西尾先生の周りに集う、先生を敬愛する仲間へのサービスとお考えになり(仲間が賢くなることはいいことだと)、お願い致します。

西尾先生が私にも「・・・深謝します」とお言葉をくださり、ファンレターへのお返事を頂いたようで嬉しさの余り、主人に早速見せました。主人は、「おぉ、よかったね! 文章に気合が入っているからだよ。何よりも「西尾幹二」を勉強しようという気持ちが伝わるんだよ」と共に喜んでくれました。


Posted by: その女ソルベ at 2006年05月17日 22:38

>福地先生
ご投稿、ありがとうございました。

時系列にきちんと整理され、とても分かりやすかったと思いました。

もうひとふんばりで、総会ですね。

たとえ、一回り「つくる会」の会員が減ったとしても、また頑張れる、そんな気がしています。残られた理事の諸先生、新しく入られた諸先生方と共に今後もご尽力いただきますよう、お願いいたします。

Posted by: 長谷川 at 2006年05月17日 22:40

 西尾先生には、拙い私の投稿に対して過分なお言葉を寄せて頂き、真に忝なく、恐縮致しております。

 さて、さきに言い残したことを追加すべきでなのすが、ブログというものに対する書き込み、小生には思いの外に難儀なものでした故、この度は、この投稿の直前のお二方が、「理科系に多い出世主義者云々」について言われているので、それに対してだけ述べたい。

 先生の文章をよく読んで下さい。
 「理科系に意外に多い世俗的出世主義者」という修飾文は、この前にある「私の知る歴代文相の中でもおよそ考えられる最悪の世論へのゴマすすり男」という文章と並列して、ハイフンの前の「文部大臣有馬朗人」に係っています。
 つまり、この文には、「理科系に出世主義者が多い」という意味は全く含まれていません。
 むしろ、一般に「理科系には出世主義種が少ない」という前提が含意されています。それが「意外に」という修飾語で表されています。
 くどく言うならば、理科系の人間には滅多に出世主義者はいないのだが、この有馬という文部大臣に限っては、まれに見る俗物、こういったニュアンスをご理解下さい。

 ディスプレイ上の文章は、活字よりも読み取りが困難なもの、それだけに、文意の誤解に基づくすれ違いの議論が目立つので念のため。 

Posted by: 東埼玉人 at 2006年05月17日 22:59

>日本人は天皇制度とともに、それを超えたもう一つの柱を必要としている。

この件については三島由紀夫と福田恒存が対談しています(文春文庫「若きサムライ達のために」に収録)。三島由紀夫は天皇を絶対的なる存在と考えていることに対して、福田恒存は、人間である天皇を絶対的な存在と考えるのは限界があり、絶対とは、現実の世界(相対社会)にあらざるものものであるからこそ絶対であると、三島由紀夫の論をいなしています。

福田恒存の絶対の概念は、キリスト教の神の概念と類似しています。しかし、福田恒存は、無免許カトリシャンと自称しながらついにキリスト教信者になることはありませんでした。では、福田恒存のいう絶対の概念とは何か?私の考え方では、我々は大いなる何かによって生かされている存在なのであるといういわば宿命のようなものと考えます。ただし、このように考えたとしても日本特有の絶対の概念とは言い難いです。こと福田恒存の絶対の概念は唯一絶対神を持たない日本人が近代人であるために必要なフィクション(ただし完全な思想的道具ではなく生きて行く過程においてはっと邂逅するもの)という方が的を射ているように感じます。

ただし、西尾先生が同じような考え方を持っているか否かは私にはわかりません。

多くの日本人にとっては一部の人を除いては天皇は神・聖なるものに近い存在であり緩やかな信仰の対象といえるかもしれませんが絶対的なるものではないでしょう。日本の神々の中でも特に大切な神というような認識ではないかと思います。したがって、天皇制は既に相対化された存在です。ただ、こうした多神教、相対主義的な考え方は、日本人の強さでもあるし弱さでもあると思います。

私は、現代の、政治・経済・文化交流・人的交流といった、かつての軍事制圧を中心とした帝国主義時代と異なる複雑かつ多様な現代の国際関係の中においては、日本人としてのアイデンティティー、自分自身のアイデンティティーがいつのまにやら喪失してしまう結果を引き起こしかねない弱さの方が露呈されていると感じています。

個人の人生論としては絶対を希求する姿勢は一つの在り方ではあります。しかし、日本人論、日本論としては、もう少し考える必要がある。日本人にとって、天皇制以外に柱となるものは何なのか?

そして、それは、思想家が自覚的に作り出し提示するものか、それとも、日本の歴史の中から発見されるものなのか?今のところ私にはなんとも言えません。

Posted by: 総合学としての文学 at 2006年05月17日 23:20

「理科系に意外と多い出世主義者」とは、理科系の人は世俗に超然とした、自然法則の真理や緻密な技術の細部に打ち込む人、という前提で、文科系に世俗主義者が多い、という、これまた偏見といわれそうな事情を前提としていて、だから「意外と」と書いているのではないですか。なにか勘違いしているなあ。「法科系に意外と多い出世主義者」とは書きませんよ。

Posted by: 西尾幹二 at 2006年05月17日 23:21

>理科系に意外に多い世俗的出世主義者

これに反応している人がいますが、西尾先生も学問の世界に身を置いて色々な人を見て来ているでしょうから、こういう感想を持っているんじゃないでしょうか。「意外に」というのがポイントで、一般的な理系のイメージ「出世よりも自分の研究や仕事に関心がある」を前提としての話でしょう。理系には研究成果で名を上げたいという人は多いと思いますが、世俗的出世主義というのは所謂「肩書」にしがみつく人のことでしょうかね。

Posted by: ジョニー at 2006年05月18日 02:21

理科系〜についてですが、先生のコメントを読まずに投稿してしまいました。私の反論は必要なかったですね。

Posted by: ジョニー at 2006年05月18日 02:24

私も西尾先生の「憂国忌シンポジュウム」を読みましたが、天皇制とそれを超えるもう一つの柱を考えるというのは現代日本においては、非常に難しいですね。長谷川三千子氏は「からごころ」で国家滅亡の危機、つまり先の大戦末期に日本人は日本人の本来の姿に直面したというようなことを論じていたと思いますが、軍事制圧のように明らかに誰の目にもわかる国家滅亡の危機というのは将来はまず無いだろうと私は思います。

国際経済交流、人的交流、政治交渉。こういった多様な分野における駆け引きの中で、平和裏に日本人は、国家滅亡の危機、日本人としてのアイデンティティーの危機を感じることなく、日本国と日本人を消滅させてしまうような気がします。威力に対しては対抗するが笑顔に対してはそのまま相手の悪意を感じることなくそのままいいなりになってしまう日本人気質は現代の国際社会を生き抜くにおいては明らかにマイナスでしょう。

だからこそ思想家なりの日本を日本人を発見する営みが必要であると思うのですが、これも非常に難しいと思います。

Posted by: 総合学としての文学 at 2006年05月18日 07:27

その女 ソルベさん一つの意見として

この数週間休出が続いたので、久しぶりに家からインターネットで遊んでいます。

あくまでも私の意見を申し上げます。

天皇制と儒教、天皇制とキリスト教 複数の軸が必要だという話ですね。
私はこのサイトで西尾幹二先生の儒教に対する否定的と取れる論説(実際には私の誤解かもしれませんが)を読んで、それならばそれに代替しうるものはあるのだろうか、代替手段も提示してくれないと私ら小人としてはどうしようもないがなと思ったことがあります。おそらく天皇制と儒教とお書きなのは日本の歴史の中で天皇制と儒教的なものが果たした役割を背景にしているのだろうなと想像していますけど。

まるで左翼が書く論説のようですが、私は日本が持っていた文化と異質な欧米文化の洗礼を受けて、欧米の真似をしようとして(またそうでないと日本は植民地化されていた可能性が否定できないわけですが)、「からごころ」、本来の意味は儒教の異質な考え方なでしょうけど、大東亜戦争の場合「アメリカの鏡、日本」で書かれたような欧米型からごころをやってそのえげつなさで日本は負けた、そしてますます欧米化が遅れているという考え方のもとに保守も含めて一気に走っているという認識をしています。

別に比較文化論をするつもりはありませんが、欧米文化と日本文化の考え方を並べたことがあります。

1.「人間は本質善を持っている」に対する「人間は原罪を背負っている」
2.「言あげしない習慣の社会」に対する「契約書がないと成立しない社会」
3.「和をもって貴しとする社会」に対する「争いの勝利者をもって貴しとする社会」
4.「情感で動く社会」に対する「闘争の道具としての論理で動く社会」
5.「相互にもたれあい社会」に対する「弱肉強食の社会」
6.「平等によって社会を安定させた社会」に対する「非平等によって社会を安定させた社会」
7.「人間は誰でも裸になれば同じだ」に対する「欧米人は優秀である」

まだあると思いますが、明らかに思考パターンが違うわけです。で日本は欧米型の「からごころ」を持った社会になろうとしているわけです。それに対する反論の一つが「国家の品格」という本なのでしょう。

考えてみればわかりますが、仏教という印度で発生し中国経由で異文化が聖徳太子の時代に導入され、それに対する反乱があったようです。これはそれ以前に何か、おそらくすべての自然現象に対する畏怖を背景にした軸があったのでしょう。そして結果的に自然信仰がなくなったわけでなく仏教寺院には神社があるのが当たり前のようになってきました。日本の仏教が大きく変質したのはもう一時代あって、戦乱を背景にしたまるでこれが仏教なのと思えるような新興宗教、すなわち鎌倉仏教といわれたものがあるわけです。

この古代の仏教導入とほぼ同時に儒教も導入されました。始めは貴族などエリートの教養であったものが、時代を経るに従った新興勢力である武士の教養になり、すでに鎌倉時代では源氏の鎌倉武士が儒教の言葉や比喩を使って天皇に背くのが妥当かどうかの議論さえ行われています。

これが江戸時代では大きな商家の旦那の教養になり、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の四書、「易経」「詩経」「書経」「礼記(らいき)」「春秋」の五経が武士の教養だけでなく広く一般知識人にまで広がりました。

日本文化が本質が習合文化ならいいのですが、そうじゃなく欧米文化になるとして四苦八苦しているようにも思えます。日本人平和主義者が欧米で育った論理という論争の道具を使う矛盾に気付いていないのですから(嘆息)。

さて本題に戻りまして、儒教の普及のわかりやすい例は「教育勅語」でしょう。ここで使われている言葉や考え方はおそらくすでに江戸時代の知識人には当然のこととして受け入れられていた内容だろうと思いますが、その言葉を見ても「徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」という言葉の「徳」という字を見ても儒教からの援用であるのはわかります。

教育勅語は杉浦重剛という儒者の家系で英国へ農業科学研鑽で留学した昭和天皇の倫理担当の書かれたものを読んでも(例えば教育勅語 昭和天皇の教科書 杉浦重剛 勉誠出版)、明治維新後のやみくもな西洋文化への礼賛により、日本古来の文化・思想、精神的支柱が軽視されることを危惧してかかれたものだそうですが。それほど儒教が理解は朝鮮や中国とは違うでしょうが、身についたものであったのでしょう。

儒教をどのように受け取るかですが、私はブレーキであったろうと考えています。高速道路を運転するのでもハンドルだけじゃまずいでしょ、ブレーキがないとまずかろうと思うわけです。キリスト教のブレーキの典型は十戒でありましょう。十戒では何々をしてはいけませんというパターン、逆にいうとこれ以外はやってもいいということになるのかな、に対して人間はどうあるべきかを書いてあるのが儒教なんだろうと思っています。型を重視する文化が日本にありますから、禁止型(欧州に発する近代法はすべてそうなのでしょ。行為を規制するもので、人間の考えることを規制するという考え方ではないですから)より、内心を規制しますから法的な効果は桁違いにあるでしょう。

Posted by: 機械計算課長こと松井康雄 at 2006年05月18日 10:22

ある時期からつくる会が一部の人にとって、保守論壇の登竜門になってしまったことが問題の根源のように思います。
 つくる会の教科書の採択率をあげるには、官製談合に似た教科書採択の構造をうちやぶることが必要です。
 そのためには、何より教育委員会が地域住民の意思を反映したものになる必要があり、現に小学生の親でもある私自身に何ができるのかを今考えています。
 そういった実務的なことを議論できる場はどこにあるのでしょうか。

Posted by: たかし at 2006年05月18日 15:12

たかし様

 教育委員会は残念ながら地域住民の意思ではなく、地域学校官僚、指導主事とか教育行政官たちの意思を反映したものでありつずけ、それを壊すことも、超えることもできないできました。

 文部科学省にもそこに力はまったく及びません。つくる会が立ち往生している原因はこれです。

 地域住民が騒ぎ立ててくださる以外に突破口はありそうもありません。

 「保守論壇の登竜門」はなるほどと思いましたが、なかば信じられません。

Posted by: 西尾幹二 at 2006年05月19日 00:01

 「理科系云々」について、小生が半端な書き込みをしたばかりに、先生に余分なお手数をかけさせてしまったようです。反省しおります。

 さて、小生の投稿に対して、
 ③ 天皇制度を超えたもう一つの柱
 という問題についての反応が強いようです。しかし、この問題が解決するならば(あくまでも「解決」に至りうる問題としてのことですが)、すべてが解決ということであり、この問題こそ西尾先生に期待するわけですが、勿論先生お一人の問題ではなく、一世代内に決着が付くような問題とも思えません。従って小生如きが出る幕ではないのですが、ただ問題状況(何故このような問題が提起されなければならないのか)、についての若干の諸賢と、問題のイメージだけを述べたい。

 この問題が提起される理由は、〈1〉天皇制度を、国際的にその普遍性と独自性をあきらかにする必要性、〈2〉敗戦後、天皇制度の意義は極端に貶められ、その状況の中で、天皇制度を真に日本人のアイデンティティの根源として回復できるのか、という問題である。言うまでもなく、この2点は結びついており、後者の方が決定的な問題であるが、しかし、前者を無視しては後者の解決もおぼつかない。

〈1〉国際的な普遍性と独自性。
 明治憲法は、大日本帝国を立憲君主国として定立したと考えられる。憲法学の主流は天皇「機関説」を容認し、最近の研究では、明治天皇、昭和天皇は、当時の英国王エドワード7世・ジョージ5世より立憲的であったとさえ言われている。つまり、天皇は「君主」として西洋的概念に収められた。
 ただし、国民の多数がそのような立憲君主観を享有していたとは言えない。佐藤愛子「血脈」によれば、佐藤紅録が、バジョットの「英国憲政論」を読んで、「君臨すれども統治せず」という王室の在り方を理解できないと日記に記しているという。バジョットを教養書として読む人においてそうである。まして一般庶民においてをや、というわけである。
 戦後の象徴天皇制度においては、天皇の「君主」としての意味が極端に弱められまたは否定されてきた。それは、天皇制度の戦前との連続性を切断することと並行して進められた。従って、今日、天皇制度の歴史と伝統との接続を回復する重要契機は、天皇の君主としての自律性を認めることにある。つまり、戦後における天皇制度の再構築を、伊藤博文・井上毅の時点から再出発しなければならない。
 総合学としての文学氏の言われるとおり、憲法解釈に関わる憲法学者で、天皇制度が男系を否定することは歴史と伝統からの離脱であることを主張しているのは小嶋和司しか居られないようである。憲法解釈全般を歴史と伝統の上に構築している訳ではないが、保守派の憲法学者からもっと注目され、掘り起こされるべきではないか。小生が小嶋和司を知ったのは、例の有識者会議副座長の園田逸男氏の「皇室法概論」を通じてである。
 話がやや脇道にそれたが、近代の天皇制度は、立憲君主制という「国際標準」に立ち返ることが、先ず必要であると考える。それは、国際社会に説明し主張する、というよりも、象徴概念の曖昧さをついて、天皇制度を解体に導こうとする天皇制度否定論者達に対して、「象徴」とは、歴史と伝統に裏付けられた国家統治における「権威」(権力と権威、の権威)の在り方であることを、日本人自身が確認することである。それを欠いては、文化的、宗教的中心としての意義も明確にならないと思う。

〈2〉天皇制度と日本人のアイデンティティ再構築
 天皇制度(皇室)が日本人のアイデンティティの中心であることは自体は明らか、という前提で話を進める。
 そうすると、戦後教育で育った世代の大部分は自らのアイデンティティを欠いていることになる。神話は勿論、神話に登場する神々の名前さえほとんど知らない。当然天皇制度の神話による由来も知り得ない。もっぱら階級闘争史観に基づいて、天皇は支配の道具と教えられてきた。
 小生のような元左翼の者も全く同様である。(ただ、戦時中の1年半を旧国民学校で送っており、また、古い書物も残っていたから、若い人に比べれば神話の知識もあったが。)やがて保守派に転じてから天皇制度は必要であることを認めるようになった。新田均氏は、天皇制度を機能的にその必要を認めることを非難して居られたが、小生の当初の理解はそのようなものであったことは認めざるを得ない。しかしながら、西尾先生に対しても同様の非難をしているのは、まさに釈迦に説法というほかはない。
 明治時代は、ようやく弥生式土器が発見されたばかりで、当時の知見では、天皇制度を神話から説明することに、さほど抵抗感はなかったであろう。そして、神話がそのまま史実として理解されていたわけでもないだろう。書紀の編者も神代と歴史時代を峻別しているし、歴史時代の神話的物語(例えば倭建の物語)は、物語として意識されたであろう。しかし、考古学的知見が拡大した戦後においては、たとえ左翼的偏向がなかったとしても、戦前の歴史教育の維持はできなかったことは明らかである。
 いずれにしても、天壌無窮の神勅の有り難さを説いたところで理解されない。では、考古学的知見は、天皇制度の意義・価値を否定するであろうか。いや、そんなことで否定されるものなら、今更こんなことを論ずることもないのである。
 今日、縄文1万年の歴史が日本文明の基礎になっていると信じている人は多い。小生は随分前からそう思っていたが、その考え方を決定的にしてくれたのが、西尾先生の「国民の歴史」であった。縄文を沈黙の歴史と捉えたその考え方は、それまでのもやもやしていた疑問をすべて吹き飛ばして下さった。
 だが、多くの左翼、特に反日史観に立つものは、これを素直に認めることができないのである。副島隆彦氏は、例の旧石器時代の捏造発覚時に、「属国論を越えて」という本で、「国民の歴史」が十数万年の旧石器時代の存在を記述しているから西尾幹二はこれで終わりだ、と断言し、ニーチェの専門家だそうだが本当か?、とまで叫んだのである。十数万年の旧石器時代の存在は学界が定説としていたからそれに言及したまでであって、西尾史観の根幹に何ら影響するものではないのに、無知と愚かさとは恐ろしいものである。こんな事を持ち出したのは、このブログの新田均氏の文章の最後を読んで、これを思い出したからである。
 閑話休題。縄文一万年の歴史は、日本人の「自然崇拝」宗教の基本を形作った。保坂幸博氏は「日本の自然崇拝、西洋のアミにズム」という本で、この日本人の自然崇拝宗教を、西洋人の一神教を最高位において宗教を階層化し、その最低位に位置づけられているアミニズムと捉えてはいけない、と強調している。これが、今日の多数説かどうかは知らないが、小生は尤もな説であり、日本人のアイデンティティを基礎づける出発点であると考える。
 縄文時代の共同体は、三内丸山遺跡に見るように、物質的生活において相当な水準に達していたことは明らかであるが、同時に、高い精神的紐帯で結ばれていたと推定することが可能である。(精神的紐帯とは、科学的実証によって明らかにできるものではないから、この推定を認めるかどうかは各人の判断を待つしかないが、小生は間違いないと思う。)
 また、吉田敦彦氏の本で、例えばドイツあたりのキリスト教徒がマリア像に家族の安穏を祈る習俗を集めて、キリスト教とは現世利益を求めるものだ、という結論を出すのは可笑しい、といった趣旨のことを述べているのを読んだことがあるが、これは神話理解をそのようにしてはいけないということであり、また、その本が手元にないので、この例えの引用が合っているかどうか自信はないが、しかし、日本人の「自然崇拝」に対しても十分当てはまることであろう。
 上述の特性を持った共同体が、日本列島の地理的特性と相俟って日本における国家形成過程に直接影響したであろう。通常、もっぱら戦争、征服、略奪を通じて形成される国家と王権が、日本ではより秩序だった、穏健な過程をたどったことは、これまた多くの人が推定するところであろ。
 そのようにして形成された日本の国家と王権=天皇制度が今日まで存続しているのである。
 七世紀末から八世紀初頭にかけて記紀が編纂され、神話による天皇制度の権威づけが行われた。ここで、敢えて「権威づけ」といったが、ここで強調したいことは次の二点である。第一に、この「権威づけ」は、権威に欠けるところがあったからその対策としてなされたものではなく、十分に存在する権威の正統性を明らかにするためのものであったこと。第二に、その正統性の根拠は、宮廷官僚が造作するようなものではなく、古来、国家と王権形成に過程で伝承されてきた神話を取捨整理するものであったことである。
 そして、記紀において、特に正史たる「日本書紀」においては、もっぱら王権の正統性を明らかにする神話要素が採用され、それと関連性の薄い神話は採用されなかった。それは、記紀がフォークロア集ではないから当然のことである。
 しかし、それにもかかわらず、記紀神話が、もっぱら王権の支配のための神話としてのみ伝承されたのではなく、縄文以来の広く共同体発展の過程で形成伝承されてきた神話の一部であると考えられる。その証拠は、天地分離・神々の登場の素朴さもそうであるが、何よりも古事記に詳しい、伊耶那美命(イザマミのみこと)と黄泉の国の物語などは、吉田敦彦氏は、その物語の中から、ハイヌウェレ型という穀物栽培発生の神話を抽出していることなどである。
 そのようにして編成された記紀神話は、永らく天皇制度の由来と正統性を証明してきただけでなく、日本人の受け継いできた神話の重要部分を後世まで伝承することとなった。その結果、天皇制度の継続は、日本人の古来の宗教意識・信仰の継続と分かち難く結びつく事となった。
 それが、外来文化を日本化する根底の力となり、宗教的には、神仏習合の形となった。
 以上により、日本人の精神と天皇制度の価値は明らかであろう。問題は、1.そのような価値規範が存在する、あるいは存在しうる歴史的・社会的・環境的な諸条件を明らかにすること、2.そのような条件を維持する方法と、その実践的規範を明らかにすること、である。天皇制度を超える柱、とは、結局そのような客観認識と実践規範の体系の継承と実践に他ならないのではなかろうか。

Posted by: 東埼玉人 at 2006年05月19日 02:04

 松浦光修さんは、辞表の終わりを、和歌で締め括っています。

  私に とらはる人の 公を 語る醜さ われは与せじ (松浦光修 作)

 近年論争に和歌を持ち込むのは斬新です。昔は本居宣長と上田秋声の論争にありました。然し遺憾乍ら松浦さんの歌はひどい。ブログは違うが、見かねて忠告したい。こんな歌を詠んではいけません。語調が悪く、女々しく、気持ちが澄んでいない。和歌は失意も悔恨も素直に歌わなければならないものです。和歌に親しんだ昔の人は、巧拙を一目で見抜いたから、勝負は簡単だった。今はそうは行かないので、松浦さんの歌と、上手くはないが下の歌とを比べて欲しい。

  胸ふたぐ 悔悟に目覚め 歩む野の 桜は散りし しののめ暗し

  愚かしき 我がたくらみの 行く末ぞ 一人旅いで 志摩に籠らめ

Posted by: 痩骨 at 2006年05月19日 03:11

総合学としての文学様 機会計算課長こと松井康雄様

私の我が儘な問いにお答えいただき、篤くお礼申します。

文学様の「国際交流、人的交流、政治経済交渉、こういった多様な分野における駆け引きの中で、平和裏に日本人は国家滅亡の危機、日本人としてのアイディンティティーの危機を感じることなく、日本国と日本人を消滅させてしまうような気がします。」には、私もそう思いますが、時々はオプティミストになります。なかなかやるなぁ~というような日本人も回りに見ます。日本国を消滅させないためにも「もう一つの柱」が必要なのでしょうか。

計算課長様の「比較文化論①~⑦」は大変面白く読みました。特に③「和を持って尊しとする社会」に対する「争いの勝利者をもって尊しとする社会」⑥「平等によって社会を安定させた社会」に対して「非平等によって社会を安定させた社会」⑦「人間は誰でも裸になれば同じだ」に対する「欧米人は優秀である」は、実感として日々感じているだけに笑ってしまいました。しかし、⑦は、少しづつですが変ってきているように感じます。

【 日本人は天皇制度とともに、それを超えたもう一つの柱を必要にしている 】
何故必要なのか? それは何か? をずっと考えておりました。
国際社会を渡り歩く時に日本人として負けない為? 
我家の本棚の前で、背伸びをした時に目に留ったのが「江戸のダイナミズム」、西尾先生が連載されておられた「諸君」でした。

《 2003 4月号 本居宣長の「日本人の魂のおおらかさ」》

【 古代日本からずっと伝わっている日本人の心・・個々人を背後から支えている何か・・日本人は「何か鷹揚とした世界宇宙の中に生きている」日本人のおおらかさ、言葉をもたない柔軟さ、道といわなくてもちゃんと太古から具わっている道、宇宙の中の鷹揚とした生き方、自然に開かれ、自分の個我を小さく感じる崇敬と謙虚の念ーーこういったものを、野蛮な外の世界のさまざまなイデオロギーから、彼は守ろうとしたにすぎません。宣長の思想は最初から最後まで守勢的であり、防衛的です。さて、しかしさらに考えると、戦う意志を捨てて戦うというこうしたあり方は一つの矛盾であり、論理破綻ではないでしょうか。・・宣長の自己表現の激越さは、この矛盾、論理破綻そのものの自覚に由来するように思えます。そして現代の日本人が実は世界人であろうとして直面しているさまざまな問題もここに関係していることをわれわれは直視しなくてはなりません。宣長の矛盾、論理破綻の自覚の共有は、我々現代日本人の課題でもあるのです。】

ここに書かれています事柄が、必要としている「もう一つの柱」なのではないかと思いました。しかし、これをどのような言葉で表すのか? 右左縦横色んな考えを持つ日本人を一つにまとめる為の言葉(アイディンティティー)は如何に? なんか気の遠くなるような話と思ってしまいます。 我に問う、必要かと。うん、必要である。であるなら、行動せよ!
西尾先生は行動してこられた哲学者です。 
どうぞ私たちに「道」を示してください。 ご一緒に戦います。

私は仏人の友、息子の友に「日本的なもの、日本人の精神とは」とかいうものを、仏人の弱いところ、食いしん坊からアタックしました。和食の味(特に寿司)と美しさ(我家は主人がお皿の盛り付けが上手)でこちらの陣地に。日本人と付き合った仏人だったら「日本人は、嘘をつかない(支払いはきちんとする)・清潔・仕事は精巧にこなす・親切・騙しやすい・etc...」を知っています。「欧人は優秀」と思いたがっているのが大多数としても、最近は「これをさせれば日本人は優秀である。 なんだかは分からないが日本人はきちんとしている。優秀である」と考える仏人も増えてきたように思います。

こちらが謙遜したり、分からない(本当に良く分からないので)というと、「本当は、何かいいことを隠し持っていて、見せないのでしょう?」とか「あぁ、秘密主義?」と言う言葉が返ってくる。「日本人が劣っている訳なんかないでしょう!」といった勢いなのである。 だから、今がチャンス?かも。 西尾先生が学生の頃、学生運動を見て「しゃらくさい!」と思われたとか。この「しゃらくさい!」の勢いでもって欧人に、計算課長様の①~⑦にある日本的な事柄を優位的に話してやる。(戦略です) そして、一歩引いた人たちを逃さず、田中英道先生の北斎の話をする。もうこっちのものです。

パリから70キロ離れたところに印象派の画家クロード・モネの家があります。世界中から沢山の観光客が訪れます。勿論日本人も。家の中の壁という壁には日本の浮世絵が隙間なく飾られています。印象派の画家たちは浮世絵が大好きというより、影響を受けたかった(何かを学びたかった)のでしょう。外国人の観光客は腰を抜かしそうになります。その数の多さに。私は一緒に行く日本人の友に、自分のことのように誇って語ります。いいことはもっと堂々と、誇ってもいいと思います。息子が高校生のとき京都へ出かけ、清水寺を訪れた時のこと、「ヴェルサイユ宮殿より、すげぇや!」と下に回って見上げた時の言葉でした。木造であんな大きなものが残っていることにびっくりしたようです。仏で育った息子にしたら、「日本にも凄いものがあらーな!」と胸を張りたかったようです。

ながながと書いてしまいましたが、実は昨日から反省をしておりました。西尾先生の日録のブログを、私の個人的な知的欲求の満足のために、使いましたことを。「敬愛無罪」は甘えだと思いました。どうかお許しください。


Posted by: その女 ソルベ at 2006年05月19日 03:30

長谷川様

福地先生の【 補論 松浦氏の「辞表」を斬る 】を拝読し、こんなにはっきりとご自分の意見を述べられるお方が「つくる会」の理事として残っておられることを知り、「つくる会」は大丈夫であると確信いたしました。

先ほど送りました私のコメントは、どうか載せないで下さい。
西尾先生、福地先生のお気持ちに沿わない、ふさわしくない内容であると感じました。どうぞよろしくお願いいたします。

総合学としての文学様と機会計算課長松井康雄様には、この後のコメントでお礼を伝えたく思っております。

Posted by: その女 ソルベ at 2006年05月19日 07:03

総合学としての文学様 機会計算課長こと松井康雄様

私の我が儘な質問に早速お答えくださり、篤くお礼申し上げます。

日本人は良いところを沢山持つ民族なのに、国際的な場になると、自ら光を出せないまま、21世紀を迎えました。西尾先生のお言葉「日本人は天皇制度とともに、それを超えたもう一つの柱を必要としている」について、日本人としてのアイディンティティーが自覚できるような「柱」をもてる日が一日も早く来るよう、私も勉強を続けて行きたく思っております。 ありがとうございました。

Posted by: その女 ソルベ at 2006年05月19日 07:30

>教育委員会は残念ながら地域住民の意思ではなく、地域学校官僚、指導主事とか教育行政官たちの意思を反映したものでありつずけ、それを壊すことも、超えることもできないできました。

>文部科学省にもそこに力はまったく及びません。つくる会が立ち往生している原因はこれです。

西尾先生、そもそも教育委員会をターゲットにしてしまったことが失敗だった、というのが運動の現場にいたものとしての痛恨の反省だったのです。その方針を打ち出した本部にこのことをわかって欲しいというのが、これまで私がうるさく言いつづけてきたことでした。もっとも私には後戻りする力はもう残ってはいませんが。

Posted by: めい at 2006年05月19日 08:17

>その女 ソルベさま

掲載を見合わせるのは勿体無いと感じましたが・・・・

Posted by: 長谷川 at 2006年05月19日 09:18

そんな柱なんて要らない
で、朱子学も儒学もいらない

そういう私は変ですか?

親中派についての考察

インテグリティ
持ってる人はどこにいる

Posted by: てっく at 2006年05月19日 10:35

西尾先生によれば、理科系に意外に多い世俗的出世主義者、法科系に多い世俗的出世主義者とのことです。法科系(特に憲法学)に世俗的出世主義者が多いのは、出世したいという人間の素直な欲求の発露だけではないと思います。

法律の条文はすべてを明記しているわけではありません。法律を理解するには解釈が必要です。解釈を構築し世間に流布し裁判所にその解釈を採用してもらい、自らの私見である解釈を法律の条文の中に完全に組み込ませて法律化させること。それが法学系学者の仕事です。しかし、いかにすぐれた解釈学を構築したとしても、東京大学法学部発のものでなければ裁判所に採用されることはほとんどありません。かつては京都大学法学部が巨大なアンチとしての機能を果たしていましたが如何せん中央権力と離れているため今ではアンチたりえません。したがって、現在のほとんどの京都大学法学部卒の若い研究者達は、師匠は京大エース級学者であるが、学説自体は東京大学法学部のエース級学者の学説を土台にするという、法学の東京大学法学部一極化集中の流れが加速しています。

東京大学法学部教授に一歩でも近づくこと、東京大学法学部発の学説を理解してそれにそった論文を書くこと、東京大学法学部発の学説のアンチ説の状況を的確に把握してアンチ論文を書くこと。とにかくすべてが東京大学法学部を中心に回っている、それが日本法学の実態です(しかも更に悪いことにアンチ説の元は、その法律をとりまく立法事実を我が国の国民気質なり文化を探求することにはありません。アメリカ、ドイツのまだ我が国で知られていない急進的な判例や学説を輸入することです。こうなればまだ東京大学法学部発の学説の方がマシだということになります。)。

かのような状況では法学系学者諸氏は、どのような立場に依拠するにせよ、東京大学法学部を常に意識し続ける世俗的出世主義者にならざるを得ません。

これが一学界の中の縄張り争いですめばいいのですが、こと法学については、国政のあり方、国民の一般生活に深く関っています。法学の東京大学法学部への一極集中化は、東京大学法学部教授という一私人の見解が、国政上の紛争から一般人の生活上の争いまですべてを決してしまうことを意味します。法解釈の多様性を認めない限り、法の支配、法治国家の実現は、怪しげな少数エリートによる独裁しか生み出しません。

そこで憲法論です。「日本国憲法」は、「憲法制定権力者」である「主権」の存する「国民」が制定した「国民」の「人権」と「民主政」を守るための「最高法規」であり、その法源は「人権思想」と「民主主義思想」しかありえず、それ以外の法源を用いることは「最高法規」に抵触し許されないという考え方が法学界の中での通説です。そして、この通説は、学校教育や一般書までをも通じて一般人の精神構造の中に深くしみついているというのが私の感想です。

しかし、「日本国憲法」をどのように解釈するかは、個々人の自由です。もともと故宮沢俊義東京大学法学部教授という一私人の見解だったのが、いつのまにやら未来を含めた国民全体を支配する構造を生み出してしまっているだけです。

今こそ「日本国憲法」の解体と再構成の作業が必要です。それをしない限り皇室典範改訂論議も憲法改正論議も上滑りなものとなってしまいろくな決着は図れないでしょう。

Posted by: 総合学としての文学 at 2006年05月19日 12:04

福地先生

 「卒然と虹や夢を語るのではなく、子供達に、日本の国民として現下の社会人として、何時如何なる時でも信義を守り正しく美しく振る舞う勇気を与えよう。そのために、祖国の歴史、先人・父祖達の勲と偉業を学ばせ、育てよう。歴史と公民の教科書が重要である所以である」と結ばれた実直なお言葉の中に、先生の御見識、御誠実、そして、深い憂国の想いと吾が国を受け継ぐ子孫達への篤い愛情を感得し、満腔の敬意を表し上げます。カタルシスを経た「つくる会」において、このような指導者の下で、一会員として応分の働きをさせていただくことを、些かの矜持とともに、清しく嬉しく存じます。
 最後に一言、志操を尊ぶ士は、戦うべき時には凛然として戦わなければなりませんが、勝ちは七、八分にとどめるのが善いものと思われます。敗れた者の退路を断つのは禁物です。時を経れば人は必ず変わるものであると信じます。

たかし様

 つくる会の本部は「佳い教科書をつくること」、支部は「その教科書を採択させること」が最大の役割であると考えます。そして、私自身は、自分が住む地域(市)において、会員や協賛者の皆様と連携し、市の教育委員会にこの教科書を採択していただくために努力することが第一の役目であると心得て、十年一日の活動を続けております。
 私が住むのは都下の小さな市で、数年前、保守が漸く市政を取り戻し、長かった左翼市政の残滓を洗い流しつつある状況で、左翼勢力に牛耳られた教育委員会や教育行政当局をこれから改革しなけばならない厳しい現状にあります。そのような中で、教育長を除く2名の教育委員の味方を得ることを目標に、先ず、その任命権をもつ市長、市議、そして、それらの方々に影響力をもつ教育関係者、地域指導者等との信頼関係・人間官営を築くべく、努力を傾注致しました。そして、ほど三年間で、地元選出の保守系都議、幾人かの市議、一部の校長、青年会議所の幹部等と云った方々と信頼関係を築き、また、地元選出の国会議員、市長、一部を除く市議、教育関係者、防衛協会長等の皆様方と人間関係を結ぶことができました。しかし、道半ばどころか先はまだまだ長いものと覚悟しております。とにもかくにも根気良く「数を重ねる」ことであると思っております。
 また、貴兄のようなお方を会員・協賛者としてお迎えし、地域の会合で御相談したり、支部に御案内して御活躍いただくのも、地域の世話人としての私の役目であると思っております。
 御参考までに

Posted by: 布袋和尚 at 2006年05月19日 12:45

長谷川様

間違えて 違う日の コメント欄に 送信してしまいました。
こっちに 送るつもりでした。(涙)
素人なもので 笑ってください。  大石 朋子

Posted by: 亀戸天神 at 2006年05月19日 13:54

日録の皆様 はじめまして

福地先生 ありがとうございます。
つくる会の事の始まりから 色々な資料を 自分なりに並べて纏めてきましたが 
福地先生の文章のお陰で 私の膨大な量のノートは 奥のほうに片付けます。
一つずつ照らし合わせて 全くその通りだと 思いました。ありがとうございました。

日録のコメント欄には 素晴らしい文章を寄せていらっしゃる方々が 沢山いらっしゃいます。
一方 書いては消し 書いては消すうちに 時が流れて 出遅れる私のようなものもいますし 
表に出ずに 心で応援している方も た~くさん いらっしゃいます。 

西尾先生 元気で 頑張って下さい!
いつも いつも 応援しています!


Posted by: 亀戸天神(管理人代理投稿) at 2006年05月19日 14:11

>布袋和尚さま
おっしゃる内容とても理解できます。

ただ、まだ完全な勝ちではなく、あちら(新田・宮崎・松浦)側は自分たちの勝利を高らかにうたっておりますので、まだ気が緩められないところだとおもいます。

私が思いますのは、「つくる会」が内紛続きだと、俵義文などが「論座」で大喜びしているようですが、このように一つの大儀――日本にきちんとした歴史教科書を作らなくてはならない――について、真剣にやりあい、どちらもがその大儀は自分たちのものと言って争っている状態は、ある意味本当は、うらやましく思うべきことではないかと思うのです。

それだけ、こちらの陣営に人が集まってきていることの証なのではないでしょうか。

以前、西尾先生がおっしゃったことですが、最も活発な場所は分裂していく・・・・と。

植物の根の先っぽは、細胞分裂を繰り返し生長していくように、分裂しながら伸びていきます。一方、自虐史観教科書擁護の俵氏はたった一人でその代表を永く務めています。もう、代わりがいないのだと思います。萎縮していくしかないのです。

>亀戸天神さま
勝手にこちらに移動させていただきました。

Posted by: 長谷川 at 2006年05月19日 15:26

福地先生
掲載された解説は私がこれまで関係者の取材で得てきた事実を裏付けるもので、(産経の渡辺記者のことも本人から聞きました。)ますます確信を持ちました。
ありがとうございます。
一つだけコメントを加えさせていただきますと、
「八木氏の支那詣で」を「新体制つくる会」は明確に批判し、一切の関係を絶つべきです。
そのためには、下記のとおり、東京支部掲示板に掲載しましたが、次回理事会で