Voice平成16年8月号に私は「小泉純一郎“坊ちゃんの冷血”――ある臨床心理士との対話」を書いた。この文は拙著に収めるとき、その章の題名を「他人の運命にも国家にも無関心なあぶない宰相」とした。いよいよそのあぶなさが露骨に表立ってきた。
丁度一年前にかいた上記Voice論文が今日を予言しているので、あらためて読者に読んでいただきたく抄録する。「郵政さわぎ」がなぜ「国家に無関心なあぶなさ」になるのかは、少し時間をいたゞいて論述する。
小泉首相は最初に自身が打ち出した一つのアイデアに、いつまでもこだわる性向がある。現実が変っても修正しない。人の意見を聴いて変えることを知らない。勿論、意志の強い指導者を自己演出しているので、頼もしいと思わせる一定の効果はあった。一年ごとに代わるこれまでの弱々しい首相に欲求不満を抱いていた国民のストレス解消に最初は役立った。Posted by Nishio at 2005年08月15日 13:40 | コメント (3) | トラックバック (0) | Clip!!けれども、長くつづくとそれにしても妙だな、と思わせる。郵政事業の民営化――これが国民生活を良くするのにどういう効果があるのか説明されないうちに、首相の頭にこびりついた妄執のごとくに最高政策として掲げられたままである。勿論、郵貯の膨大な資金の流れが財政投融資となり、政府予算の裏予算として使われていることに問題があることはわれわれも知っているが、それならこれをオープンにし、民営化することのメリットとデメリットをご自身で国民にも分るように説明し、どこぞの委員会に丸投げするのではなく、自ら勉強し、民営化の具体的な手続きの方向を本気で、冷静に、数字をあげて理詰めで提言していく誠実さとひたむきさが求められる。小泉首相には今ほどそれが期待されているときはない。
首相になってから道路関係四公団、住宅金融公庫、石油公団の廃止民営化、特殊法人の改革を唱えつづけてきたが、掛け声ばかりで目立つ成果が上っていないことは、今ではすでに首相の責任問題になり始めていると私は判断している。地方分権論も同じように道半ばにも至っていない。首相公選論や首都移転論はすでに完全にむなしくなったが、郵政をはじめ小泉内閣の主要な改革案件が次々と同じように軒なみむなしくなるにも時間の問題であろう。
それは政策自体に間違いがあるからでは必ずしもなく、政策提案者の精神に現実とのずれがあり、政治家も官僚も白昼夢を見ているようで、積極的に動く気になれないからである。
どんな人にも心理的偏向がある。性格の傾きがある。病理学的観察の対象から完全に免れる人はいない。
小泉氏の場合には、観念への固着傾向が認められることはすでに述べた通りである。言葉に人情や人間味が乏しく、表現不足もたしかに目立つ。通例、固着傾向はさまざまな異様さをその人に与え、他者との良い人間関係の醸成を妨げるケースが多いのである。また、現実に触れて、体験を積んでいく過程で得られる「学習」の成果が少ないということもいわれている。
総合的で、柔軟な思考態勢がとりにくい。自分に余りにとらわれているので、相手のことを想像できない。共感性が欠けている。情操レベルでの不全につながり易い。他者への同情、憐憫、共感に乏しく、どんな環境にも屈することのない孤立を続けることができる反面、後ろめたさや悔いの感情を持つことがあまりない。
一般的傾向を言っているだけで、首相にそのまま当て嵌まると言っているわけではないが、彼が所属していた「清和会」の元番記者の次の証言などは、成程と思わせるものがある。
「小泉が本当に信用している政治家はいない。昔から他人に腹を割らないから、人も寄りつかない。赤坂プリンスホテルにある福田派の事務所で政治家連中がみんなラーメンなど中華を食べているときでも、一人離れた場所でナポリタンを黙って食っているのが小泉だった。ある代議士は『小泉の側近は小泉自身だろう』と突き放して言うほどだ」(松田賢弥『無情の宰相 小泉純一郎』講談社刊)
彼は北朝鮮に関心などまったくなかったようである。コメ支援を率先して唱えている加藤紘一を見て、「加藤さんもよくやるよ」と冷ややかに見ていたのが小泉氏だったと聞く。その彼が北朝鮮へ行ったのは最大の政治ショーになるからと勧めてくれる姉の信子の指示があったからだそうだが、二度目の訪朝では拉致被害者家族の顔も声も訴えの内容もよく知られていて、いかな小泉氏といえども、家族の期待がどこにあるかは分っていたはずである。私が今回非常に強く感じたのは小泉氏の冷酷さ、他人の運命への無関心である。
横田滋・早紀江さん一家が孫のヘギョンちゃんの日本招待の計画があると聴いて、これを辞退する書簡を首相に届けた。孫に会いたい気持は勿論ある。しかし今それを認めたら、娘に会えなくなる。老夫婦の自分を殺すこの切ないまでの訴えは首相の許に届いていたはずである。
首相は金正日に向かって「横田めぐみさんは生きている。95年にあなたの子供の家庭教師をしていることがわかっている」とただちに切り出す言葉の用意をしておくべきだった。横田早紀江さんは次のように言っている。
「拉致被害者に関する多くの具体的なデータがあるんですから、総理には絶対にそれを出していただきたかった。『私たちは命懸けで戦っているんです。ぜひ総理の口から具体的に〈これは、こうおかしいじゃないか〉と怒ってきてください』とも細田さんたちにお伝えしました。『この外交で毅然とした態度で接していただくようでないと、小泉総理の人間性が問われると思いますよ』と、そこまで思い切ったことをいったんです。にもかかわらずそのようにしていただけなくて、とても悲しい気分になります」(『Voice』平成16年7月号)
私はここから二つの理由を考えている。その後朝鮮総聯――破防法対象団体ともいうべき――への首相の友好的接近をみて、なんらかの形で彼は個人的に弱点を握られていて、総聯を通じて金正日から脅迫されているのではないかという推理が成り立つ。
もう一つは、彼は自分の内面に余りにとらわれているので、相手のことを想像できない人格であること、共感性に欠けているというあの問題である。他者への同情、憐憫、共感が性格的に初めから乏しい。
小泉氏に感じるのは悪党の冷酷さではなく、情感を持たない機械みたいな人間の無反応、分り易くいえば“坊ちゃんの冷血さ”である。







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