明けましておめでとうございます。
今年はいままで問題となってきたさまざまな分野で、左右が激突し、雌雄を決する年、というよりまだ生き残って悪だくみをつづけているマルクス主義の残党の息の根を止め、天地晴朗の日を迎えることができるか否かの年となりそうである。
私は教科書採択の成否を言っているだけではない。それもその中の一つ、紛れもなく最も重要な、象徴的な一つであるが、他のさまざまな分野で扉を開けようとして、どうしても開けきれないで立ち尽くしている今の日本の歪んだ精神状況のことを言っているのである。
拉致問題で日本の民衆はようやく目をさまし、国家の重要性に気がつきだしているといわれている。それはある程度そうであろう。けれども、どこまでも「ある程度」であって、いまだに何も変わっていないどころか、後退している光景さえみられる。
李登輝が突如やって来た。けれども雪の京都を散策し、日本文化について語る彼を見たいと思っても、テレビは空港入国のほんの数景をちらっと出しただけで、なにかに遠慮している。中国の新華社の記者がぴったり張りついていて、しかもそれを日本の警察が、多分外務省の意向に添うてであろうが、むしろ守っているというのである。中国の秘密警察つきの年末のあわただしい日本再訪であった。
昨年末に細田官房長官は政府官邸に「従軍慰安婦」と称する二人の外国人女性の正式訪問を受け、戦時中の日本軍部の犯した過ちに謝罪し、反省の弁を述べた。心あるひとは「あれ、おかしいんじゃないの」と思ったことであろう。
「娼妓」は存在したが「従軍慰安婦」は存在せず、国家関与の強制行為、強制連行はなかったことは石原元官房副長官の証言によってはっきりと立証されたはずだった。間違いの元をなした謝罪談話の主の河野元官房長官でさえ、自分の談話が証拠に裏付けられていなかったこと、曖昧な憶測であったことを認めたはずだった。あれほど大騒ぎして、国家的恥辱をやっとの思いで言論界あげて克服したのは5年ほど前の出来事であった。
わが政府首脳はあっさりこれを覆した。あまり深い考えもなく、まるで誰かにひっかけられたかのように、官邸に「従軍慰安婦」と称する女性を招き入れて謝罪した。これは彼の場合、国家行為となるのである。
なにか何処かがおかしい。いよいよ新しい扉を開こうとすると、この国民はすくんだように後じさりする。そして歌い古した昔の歌をまた歌おうとする。
中山文部科学大臣がある会合で教科書から「従軍慰安婦」の記述が減少したことを評価した。韓国がただちに妄言だと騒ぎ立てた。なんとわが政府首脳は韓国サイドに立ったのである。文科大臣は政治的願望を述べたのではなく、論証された歴史事実に忠実な評価を語ったにすぎない。
なぜ前へ進めず、いよいよになると後ずさりするのだろうか。北朝鮮を再訪した小泉首相の行動に私は不審なものを予感した。金正日との間に「空白の十分間」の密談があったという予測を立てる人がいて、私はその可能性はあると考え、このサイトで論陣を張った。
周知の通り、北朝鮮の遺骨返還はばかばかしい猿芝居に終わり、度重なる愚弄に、日本の国内ではもう話し合いの余地はないとの当然な声が高まった。経済制裁は野党を含む万人の声になった。しかるにひとり首相のみ抵抗する奇妙な図。川口元外相をアメリカに急派し、経済制裁はしないでくれ、と単独行動に出て、ブッシュ大統領をまであきれさせた。
「空白の十分間」にやはり何かあったと考える方が妥当ではないか。この首相にして、あの官房長官あり。政府に統一意志はなく、北朝鮮は経済制裁に備えて闇金融ルートをすでに開いているらしく、いよいよ制裁となってももうきき目はないという話だ。
Posted by Nishio at 2005年01月01日 10:59 | コメント (4) | トラックバック (0) | Clip!!






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