思想の読み方はどうあるべきか、書かれてある思想をできるだけ自分の血肉とし、実践内容とすべきか、それとも距離をもって読み、実践は程度問題とすべきか、というような二者択一のテーマを掲げて、幾人かの方々のご意見を紹介した。
本当のところ私にも分らないのである。私自身が他の思想を読む立場になると、迷いのさ中に置かれる。前者は厳密には実現不可能だし、後者は距離のとり方がむつかしい。
友人の粕谷君から「以下はきのう(7月10日付)の貴兄の日録を流した先の女性からのコメントです」と但し書きのついた某女の短文が送られてきた。どういう方か分らないし、彼から紹介も受けていない。旧知の人らしい。
関連テーマなので考えるよすがになると思いあえて掲げさせていたゞく。
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きょうの「西尾日録から」は私にとって誠に重要な内容を含んでいました。実は私も西尾さんの「男子、・・・・」を読んだとき、西尾さんの凄さに重ねて驚く反面「もし西尾さんのような人ばかりになったら「世の中が息苦しくなるのではないか」と何となくそう考えいるところがありました。
しかし今日の「西尾日録から」を読んで、何となく考えていたそのことが間違っていると分かりました。西尾さんが書いておられるように、思想の読み方を知らなかったのです。これまでも私は『「思想」とはどのような事を指すのだろう』と漠然と考えてはいましたが、はっきり分からなくてずっと気になっている問題でした。
「人間に生き方を問う本は 同一の実践を求めているのではなく、ある決意を求めている」と西尾さんは書かれています。それを感じ取るのが思想の読み方だということが解りました。
これもまた「目か鱗・・・」で私の大きい収穫でした。こんな事があるので粕谷さんから送って頂く様々なメールは私の活性剤です。
「西尾日録」に関わる反響から広がる今日のような問題で多くの読者の目が開かれることと思います。
今日はいい日でした。有難うございました。
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さて、もとよりこのように理解していたゞいて有難いのだが、私の本の中のどんな言葉も心に響かなくっていい、と言っているわけではない。
読んでいて心にときおり抵抗が生じ、危険な内容を孕んでいる本だなァとほんの少しでもドキッと感じていたゞけたら、むしろその方が有難いのである。
Posted by Nishio at 2004年07月16日 09:15 | コメント (1) | トラックバック (0) | Clip!!






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