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長谷川真美
中締めのお言葉をもうひと方、田中英道先生お願い申し上げます。
支倉常長―武士、ローマを行進す
田中 英道 (2007/05)
ミネルヴァ書房
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田中英道氏のご挨拶
今、北斎とセザンヌを引用してくださって大変光栄に思っております。広い範囲で、いいものをいいという、率直な批評家の姿をいつも拝見してですね、先生は日本のある意味でのするどい部分を持っておられると、私はこういう風に思っているわけです。一つだけ言わせていただくと、先ほど、仏像なんか、これは見せているだけですなんておっしゃっていましたが、私に言わせれば、これは日本人が文字を使わない民族であると、長い間そうだったわけですが、それに比べて形を作ってきた民族だったということなんですね。
ですから、縄文から弥生を含めてですね、古墳から、私はこれから天平時代のダイナミズムを書こうと思っているわけなんですけれど(拍手)、もうその辺からすでにすごい日本の文化がある。それは形があるからなんですね。西尾先生はそれをちゃんと、察知しておられておりまして、『国民の歴史』で、ずらりと素晴らしい彫刻の顔をお見せになったわけです。
そして、仙台までわざわざいらしていただいて、写真を一緒に見た記憶もありますし、奈良や京都を一緒に歩いた記憶があります。最近では、私がちょっと倒れたときに、さっとお見舞いに来てくださって、その優しさが、怖い感じを持っている西尾先生ですが、日本人の非常に優しい面をお持ちである。それが日本人の思想のある種の根拠だろうと私は思っています。
それから最後にですね、私は季刊芸術で、江藤淳と一緒にやったことがあるのです。江藤淳は自殺したんですが、文芸評論というもののきつさというものはですね、文芸評論では食っていけないという、その中で孤軍奮闘されているわけです。今回の本がある種の学者的なといいますか、広い視野がもう一回深くなったという感じで、これなら江藤さんみたいに自殺しなくてもいいなと思って、ほっとしているところです。
どうもありがとうございました。
田中先生ありがとうございました。
これをもちまして西尾幹二さん『江戸のダイナミズム』出版記念会を滞りなく終了します。御協力有り難うございました。
お帰りの際に書籍をお持ち帰りいただきます。なお、大変恐縮でございますが、ご夫婦でお見えの方は一冊で御願いもうしあげます。また既にお持ちの皆さまは同じ本ですのでご遠慮いただけるとありがたく、御願い申し上げます。
また会場に飾られた生花をご希望の方には、これから小さな花束をおつくりしますので、しばらくお待ち下さい。記念に生花をお持ち帰り下さい。
本日はご参集、まことに有り難う御座いました。
(歓送の音楽)
今回、「江戸のダイナミズム」出版記念会のほんのひとときの出来事を、文字に起こし、画像を添付し、そこに居なかった人にもわかりやすいように掲載してきたつもりだ。事実としては、4月4日、場所は市谷グランドヒルホテルの三階瑠璃の間、6時半から約2時間半の出版記念会である。それが21回という回数のエントリーになり、一ヶ月半も要してしまった。一つの出来事を再現することはこんなにも大変なことなのかと、しみじみと思っている。
歴史の事実もそれを体験した人の位置から語れば、人間の数だけ異なった角度からの情景が描かれるのだろう。今回のことと照らし合わせて、一人一人の視点とは、それが確かに第一級の資料価値はあるけれど、実は狭く、局所的なものでもあることを痛感した。
こうして全体像を掲載してみると、私があの場で見、聞いたことが、私自身にとっては100パーセントであっても、実は全体のほんの数パーセントの内容でしかないことがよくわかる。大勢の名だたる先生方のご挨拶も、聞き取れなかった言葉がほとんどで、内容をちっとも理解していなかったこともわかった。
また、西尾先生の画像説明のときは、所用で席を外していたから、申し訳ないが私は全然聞いていなかった。テープを起こしながら、画像をじっくりと見ながら味わうことが出来たので、あの辺りの作業はとても楽しかった。
こういった出版記念会は、ほとんどのマスコミは報じないらしい。例外的に今回の会のことが月刊誌THEMISの5月号に載っていた。月も過ぎたので、全文紹介させていただく。
『江戸のダイナミズム』西尾幹二氏の大著は?西尾幹二氏の新著『江戸のダイナミズム』出版記念会が4月4日、東京・市ヶ谷にあるグランドヒル市ヶ谷で行なわれた。
参加者は400人ほどで、会場は満員。井尻千男氏、工藤美代子氏、田久保忠衛氏、宮崎正弘氏ら各界の言論人らが集まった。
西尾氏は挨拶に立って「私はいままで出版記念パーティーなどやるべき立場ではないと考えて固辞してきた。しかし、ある人に『先生、受けてください。先生は明日お亡くなりになっても不思議ではない年齢です』といわれ、考えを変えました。」とユーモラスに語った。
『江戸のダイナミズム』は古代と近代の架け橋としての江戸の重大性を書いた異色の日本文明論。地球上で歴史認識が誕生したのは地中海とシナと日本の三つだけだと断じ、ニーチェと本居宣長を比較分析する手法は西尾氏ならでは。
西尾氏は「思想史には関心はない。偉大な思想家のみ関心がある」といって次回はもっとスケールの大きな作品を手懸けるつもりだ。
今回で出版記念会の報告は終わりとする。次回から先生の許可を得たので、会場の入り口で全員に配られた小冊子の中身を紹介するエントリーを上げさせていただく。
(文・長谷川)
おわり
長谷川真美
(上映がおわって)西尾先生ありがとうございました。皆さんの御協力により、大変盛会となりました。本日の参加者は380名を越えたと思います。有り難うございました。
本日、埼玉大学の長谷川三千子先生は別のシンポジウムに出ておられるので残念ながらご欠席となりましたが、月刊誌『Voice』五月号、つまり4月10日発売号で、長谷川先生と西尾先生とが、『江戸のダイナミズム』をめぐる徹底討議を行っていますので、一週間後に雑誌がでたら、ご注目下さい。月刊誌『Voice』でございます。
さて、あっという間に時間が流れてしまいました。
ここでお二人から中締めのご挨拶を一言ずつ頂きます。拓殖大学日本文化研究所所長、評論家の井尻千男(いじり・かずお)先生、東北大学名誉教授、田中英道先生、ご登壇よろしくお願い申し上げます。
井尻先生と西尾先生は古い友人でもあり、「文学と政治」という、かつて時代を画(かく)したテーマを、ともに語り合える数少ない友人のおひとりだそうです。
それでは井尻先生、御願いします。
男たちの数寄の魂
井尻 千男 (2007/04)
清流出版
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井尻千男氏のご挨拶
ご紹介いただきました拓殖大学の井尻でございます。あっというまに中締めの挨拶ということでございますが、この会場に西尾先生とお付き合いの古かった方は当然、学生時代からの友人も沢山きていらっしゃると思います。私はジャーナリストとしてかなり早く、西尾先生のヨーロッパ像の転換でしたかね、その頃、椎名町の木造アパートに新婚所帯を持っておられた西尾先生、その頃からおそらく40年くらいになりましょうか、ずっと西尾先生の仕事を下の方から眺めていた人間にすぎません。
しかし、私なりにこのニーチェの研究家である西尾先生が、いつどういう形で、日本の方に回帰してくるのかということに関心がありました。ニーチェ伝上下二巻の大著を出した、これでニーチェを卒業して、これからが西尾先生の日本回帰といったら単純すぎますが、ヨーロッパと日本を繋ぐ、あるいは今度のように、シナ文化を三つの拠点から眺めた大きな仕事、その中心がまさに文献学です。ニーチェが非常にこだわっていた、古代ギリシャのディオニソス、そういう形で西尾先生が日本回帰といいますか、回帰というよりも、もっともっと大きな比較の中で、日本文化が如何に突出していたかということを示してくださいました。
あの大変大事な年表と、人の文献考証学の始まった年代の比較なぞ、表を見ただけでも、ぞくぞくするようなものでした。そういうことで、私は西尾幹二先生を中心にしながら、新しい日本学、新日本学が今、勃興しつつある、そんな風に思っております。私自身も裏方として、この新日本学の勃興に、少々でも関われることが出来れば幸いと思っております。そういう意味で、西尾先生の永年の業績に感謝すると共に、これからの日本学の一大拠点を作ることで、西尾先生のこれからの人生を送っていただきたいという私のお願いで、中締めの言葉とさせていただきます。
どうも今日はありがとうございました。西尾先生、本当におめでとうございます。
みなさん、ありがとうございました。井尻先生、ありがとうございました。
つづく
平成14年(2002年)8月から平成16年11月までの過去録はこちら
長谷川真美
西尾幹二氏による画像説明(4)〔18〕
次は清朝考証学者の三人をご紹介いたします。最初は「こうそうぎ」、この「ぎ」という字は、果してパソコンで出てくるかどうかというのが、本日の画像をこしらえて下さったスタッフの最大の問題で、やってみたら、出てきたぞ~と、みなさん大変な苦労をしてこの画像を作っているんですよ。で、この「ぎ」は出たんです。実はこの「こうそうぎ」は、明の滅亡に対して援軍を求めて来日、将軍家光は兵3万の出動を計画をした。本当なんですよ。鎖国していたなんて、大嘘です。日本軍が堂々とあそこで中国に上陸して、清を滅ぼす可能性があったのですが、ところが、南明の軍隊が日本の襲来を恐れたとか、いろんなことがあって、そのうち明軍が亡びてしまって、結局大陸進出はなしに終ったということであります。こういうこと、知られていないですね。
〔19〕
「こえんぶ」という清朝考証学者でありますが、二頭の馬と二頭のろばに書物を満載して、生涯放浪の旅を続けた。放浪の旅を続けて、どうして偉大な著作ができたのか。非常に不思議でありますけれど、本当にそうなんですね。この「こえんぶ」という人は、本当に悲劇的な運命をたどった人で、そして、すこぶる片意地で誇り高い歴代伝説上の人物で、おもしろい、おもしろい、伝記を書いたら本当におもしろい人物ですが、次にいきましょう。
〔20〕
清朝考証学者「たいしん」。「たいしん」は体制漢学を支えた文字の学者、哲学者、天文学者。左は弟子の「だんぎょくさい」に送った手紙ということでありますが、戴震と段玉裁という名前を覚えておいてください。どちらも漢字の大家でございまして、戴震は先ほど話題に出たヴィラモービッツ・メレンドルフに匹敵するような、漢学アカデミックの学者でありまして、しかし、今日の漢字の世界を切り拓いたのは、この人です。
〔21〕
さて、これは田中英道先生からお教えいただいているテーマでございまして、セザンヌは全部北斎を真似したというお話。北斎のモチーフを盗んだ、富岳三十六景が北斎ですが、セザンヌの連作も36枚であったと。これは田中先生が発見してですね、フランスの雑誌に堂々と発表して、向うは沈黙を守っているそうでございます。何かあるんですね。きっと。
〔22〕
セザンヌが模倣した北斎のモチーフ。わぁ~これじゃあ間違いないね。セザンヌがまねしたんですよ。逆じゃないですからね。こういうものがあるということを覚えておいてください。
〔23〕
これが先ほど、吉田先生が出されたドイツのウルリッヒ・フォン・ヴィラモービッツ・メレンドルフというドイツ近代文献学の完成者で、ニーチェの『悲劇の誕生』を学問の邪道といって指弾し、ニーチェをついに学会から追い出した男です。後にベルリン大学教授、きっといやらしい男だったにちがいない。かのテオドール・モムゼンという有名なローマ史を書いた歴史家がおりますが、そのひとの娘婿です。要するに権力者ですね。僕はこういうのを文学官僚と言っている(笑)。おわります。
図表出展〔1〕〔3〕 林己奈夫 「中国古代の神がみ」 吉川弘文館
〔2〕 平川南・他篇「文学と古代日本」第2巻 吉川弘文館
〔4〕 L・D・レイノルズ、N・G・ウィルソン 「古典の継承者たち」 国文社
〔5〕〔6〕〔7〕 世界文学選集1「ホメーロス オデッセイア」 河出書房新社
〔8〕 平川南編 「古代日本の文学世界」 大修館書店
〔9〕 安本美典 「日本神話120の謎」 勉誠出版
〔10〕〔11〕〔12〕 ジャン・イヴ・アンプレール 「甦るアレクサンドリア」 河出書房新社
〔13〕 宮内庁 (「江戸のダイナミズム」395p.)
〔14〕 お茶の水図書館蔵 (「江戸のダイナミズム」395p.)
〔15〕 〔8〕に同じ
〔16〕 「東大寺 法華堂と戒段院の塑像」 奈良の寺16 岩波書店
〔17〕 興福寺 国宝館
〔18〕 「黄宗羲」 人類の知的遺産33 講談社
〔19〕 「顧炎武集」 中国文明選7 朝日新聞社
〔20〕 「戴震集」 中国文明選8 朝日新聞社
〔21〕〔22〕 HIDEMICHI TANAKA Cézanne and Japonisme,artibus et historide no.44,2001
〔23〕 西尾幹二 「ニーチェ」第二部 中央公論社つづく
平成14年(2002年)8月から平成16年11月までの過去録はこちら
長谷川真美
西尾幹二氏による画像説明(3)〔13〕
皆さんに万葉集の話をするのは、私みたいな外国文学屋が言うのも変な話なんですけれども、万葉集というのは言うまでもなく、万葉仮名で書かれている。万葉仮名というのは、全部漢字でございます。従って、一番左に書いてあるのは万葉仮名なんですね。したがって万葉仮名で書かれた漢字ばっかりの本があったはずですよね。しかし、それは消滅して存在しません。
それじゃあその次に、951年に村上天皇が宣旨を下して、訓み下すようにという命令を下したものがあるのですが、それを「古点」。点というのは訓点を打つということです。こういうことをやるのをそういう。一番古いのを「古点」、古い点というのですが、その「古点」というのも歴史上知られているようだけど、存在しません。何が存在するのかというと、古点本を移した次の写本にした「次点」、次の点という、次の訓点が唯一これが残っている最古のもので、これがわずか巻4の一部が残っているだけなのですよ。これが最古のものです。
そして、万葉仮名を真ん中で平仮名にして、要するに訓点を打っているわけです。しかし、これも本当にわずかな中のわずかが残っているだけだと今もうしあげました。はい次
〔14〕
そうしてここに書いてあるように、これは鎌倉後期の書写、全巻を完備する最古の写本です。全巻を完備した最古の写本は「新点」といって、ご覧のように、カタカナでルビがふってあるのです。カタカナでルビがふってあるのが、鎌倉時代の「新点」というのです。こうして三段の変化を経ていますが、これは全部写本です。全部写本で、原典というのは、ギリシャの古典と同様に、一つとして残っていない。
ギリシャもそうですよ、。ギリシャ・ローマの古典というのは、全部中世の写本なんですからね。如何に途中で間違いが発生しているか。われわれは如何にあやふやなものをたよりにして、過去の歴史と闘っているか、そういうことなんです、歴史というのは。どうぞ
〔15〕
これは藤原定家が書いたものですが、ご覧のように漢字がちらほら見えます。このように漢字がちらほら見えるのは、読みやすくするためなんです。つまり、もともと平仮名で書くんだけれども、漢字をちらほら、わずかばかり入れてる。ところが、現在の日本語は、漢字と仮名の混在率は最高度に多くて45パーセントなんです。漢語が45パーセント。これは古代に行くほど少なくて、定家の時代は10パーセントから15パーセントとか、そのぐらいなんです。それがだんだんだんだん増えて、江戸時代では30パーセントや、35パーセントくらいになって、現代は45パーセントが漢語なんですね。
ということは、仮名の果した役割がどんどん小さくなってる。それと比例して、仮名遣いの問題がはげしく発生してくるわけです。それが私の本の一つのテーマでもありますね。はいどうぞ
〔16〕
これは有名な東大寺の戒壇院の邪鬼の像なんですが、神様の話が私の本で問題になっているのですが、カミという言葉は、ゴッドではありません。しかし神でもないんです。カミが神だと思ったら間違いですよ。神は中国語ですから。従ってカミという発音上のものが、カミだったわけですが、カミが何であるかはさっぱりわからないわけですよ。現代の国語学者、有名な国語学者の大野晋さんが新潮文庫に日本のカミの本というのを出しています。丁寧にしらべ、いろいろやっているいい本ですけれど、それでもカミが何だったかわからないんじゃないかと思っているのですが、カミはわからないけれど、鬼はわかっているのです。鬼の出典はわかっているんです。鬼は全部外来のものなんです。そして、鬼はこれは東大寺の戒壇院の鬼であります。四天王に踏み潰されている鬼。はいどうぞ
〔17〕
鬼はしかし、そういう憎憎しいものだけではなくて、ユーモラスなものもあった。これは興福寺のユーモラスなほうの鬼です。はいどうぞ
つづく
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