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2006年08月06日

ハンス・ホルバインとわたしの四十年(五)

 エラスムスとルターの論争は西洋精神史における最も深刻、かつ最も影響の大きい思想のドラマの一つである。追及するのを忘れてしまった私がいけない。まだ人生に時間は残っているので追いかけるかもしれないが、私の関心はご承知の通りその後ニーチェに向かった。

 ニーチェは24歳でバーゼル大学の教授になり、ブルクハルトに出会い、ワーグナー夫妻と交流し――バーゼルから夫妻の住む同じスイスのルツェルン近郊トリプシェンへ行くのは難しくない――、そして『悲劇の誕生』をバーゼルで書いた。

 私は29-30歳で『悲劇の誕生』を翻訳した。以来、この天才に呪縛されたのは紛れもない。ある人から「先生の『国民の歴史』は『悲劇の誕生』の影響を受けていますね。」と言われて、考えてもいないことだったのでハッと驚いた。「そうだったのか。ウーン、そうなのかもしれない」と思った。表立ってニーチェの名はほとんど出てこない本なのだが・・・・・・。

 ニーチェは文献学者だった。しかし文献学を破壊する文献学者だった。すべての歴史は文献学に行き着く。しかし文献学にとどまる限り、歴史たり得ない。

 仏陀にせよ、イエスにせよ、孔子にせよ、いくら文献を追求してもその実像は把えられない。仏陀のことばなどはごく一部の経典に記されたのは仏滅から500年も経った後である。すべては口から口へ伝承されたにすぎない。

 『論語』が孔子の実像を伝えているという保証はない。あれは聖人のばらばらの発言集である。門人たちの覚え書きである。『聖書』も使徒たちの編集と改修の手を免れていない。

 歴史とは何か? 
 歴史とは神話である。歴史と神話との境界線は定かではない。

 近い歴史を考えるわれわれでさえ「神話的」思考をしている。イラク戦争の原因について、われわれはすでに薄明の中にあり、トロイ戦争の時代の人よりもっと神話的かもしれない。

 それでも人は言葉を求める。言葉による説明や解釈なしでは人間は生きていけないからだ。たちまち不安になる。歴史の成立は矛盾を孕んでいる。

 ハンス・ホルバインの「死せるキリスト」を前に私は、恐らくネットの読者の皆さまも、言葉を失った。言葉の無力を感じた。それでも言葉を求めたであろう。私の言葉を大急ぎで読んで、納得したり、納得しなかったりしたであろう。あるいは自分の言葉をまさぐり、唱えては、心の奥深くにしまいこんだであろう。

 歴史とはそういうものではないか。言葉は無力でもやはり必要なのである。文献学がなくてはどんな学芸も、どんな哲学も、どんな叡智も成り立たない。文献学は自覚のやり直しの場といってもいい。それを別のことばでいえば「歴史意識」ということになる。

 この地球上で歴史意識が存在した場所は地中海域と中国と日本列島の三個所しかない。文献学が誕生し、展開したのもこの三個所である。

つづく

2006年08月04日

ハンス・ホルバインとわたしの四十年(四)

 ほゞ40年前の文章を本の中から取り出してこうして一区切りごとに丁寧に読むと、まるで自分の文章でないような気がしてくる。

 「ひとびとはあらずもがなの無用の言論に取り巻かれて、自分を瞞すために思想をあみ出し、不安から目をそらすために理論をこねあげる」といった一文などは紛れも無く私の文章で、振り返ってみると私は四十年にわたり「あらずもがなの無用の言論」をずっと相手に「黙れ」「沈黙せよ」と叫び続けてきたようにも思える。

 キリストの遺骸の絵について私はいま語るべき新たな言葉もない。たゞインターネットで大きな画像を読者にお届けできる時代になったことが不思議でならない。

 私の本にはこの絵の挿絵は載っていない。また仮りに載っていても小さなモノクロ写真ではイメージを喚起できまい。もっぱら私は文章だけで衝撃を伝えようとしていた。文字は無力である。あらためてそう思う。

 私は格別にホルバインの研究をしてきたわけではなく、彼について知る処は少ない。たゞ私の処女作がこの絵を取り上げ、さらに私がいま出版を前に原稿の整理に入っている『江戸のダイナミズム』がロッテルダムのエラスムスを取り上げていて、ホルバインはエラスムスと縁が深いのである。

 スイスのバーゼルからの友の手紙で本稿は始まった。バーゼルは19世紀の精神史でいうとブルクハルトとニーチェの名がまず出てくるが、ルネサンス期の16世紀の精神史でいうと人文主義者ロッテルダムのエラスムスの名が大きいのである。エラスムスはこの町で幾つもの重要な事跡を残している。逗留した家も残っている。

 『痴愚神礼讃』を書いている。聖書のギリシア語原典の復元を試みている。意志の自由をめぐってルターと論争している。『痴愚神礼讃』の挿絵を描いたのがホルバインであった。また、彼は一枚のよく知られたエラスムスの肖像画――後でこれはお見せする――を残している。

 『痴愚神礼讃』は軽妙洒脱な本である。人間を生殖へと追い立てていく「痴愚神」、人間を戦争に駆り立てる「痴愚神」――いわば人間の狂乱と無思慮に対する痛烈な風刺の書といってよいだろう。どことなくからかい口調であれこれ人間の愚行について例をあげてさんざん言いたい放題。自由に語りかけるおどけた調子もあれば、危険思想ととられかねない激しさを秘めた苛烈な言葉も垣間みられる。若いころ私はすべての人間をバカ呼ばわりするエラスムスのものの言いように多少とも反感を覚え、この人の立脚点は何処にあるのかと怪しんだものだった。

 これに比べルターの『奴隷意志論』は厳粛そのものに見えた。人間の意志には自由はない。神の全能と全知に対し、人の意志の不自由を対比させ、人は罪のうちにあるがゆえに、善を行うことにおいてまったく無能力である。これを救うのはたゞ神の恩寵の独占的な働きのほかにはない。・・・・・・・・

 ルターとエラスムスとの自由意志をめぐる論争は学生時代に私がある友人とたびたび交わした論点の一つであった。互いにまだ知識もなく、わけもなく真摯に考えるべき人生の最大の難問の一つと思えていて、熱心に論じ合ったものだった。その友人はルターの研究家になった。ハイデルベルクに留学した。私はいつの間にかルターも、エラスムスも忘れてしまった。


つづく

2006年08月01日

ハンス・ホルバインとわたしの四十年(三)

 この絵にはデューラーやグリューネヴァルトの描いたイエス像にみられる憂悶の表情や精神の翳りもない。

 むろん後年の画家たちが好んで崇高化した神秘主義的なイエス美化の片鱗さえない。ここにあるのは「物」である。三日後にこれが復活するなどとは到底おもえない。

 後年ドストエフスキーはこの絵を見るためにわざわざバーゼルに立ち寄った。そしてこの絵の前に立ったとき、彼はあやうく持病の癇癪の発作を起こしそうになったと言われる。それほど凄まじい絵である。

 彼は『白痴』の中でムイシュキン公爵にこう言わせている。

 「あの絵を!いや、あの絵を見ているとなかには信仰をなくしてしまう人もいるかもしれない!」

 信仰の生きていた時代こそ、信仰の危機も生きていた時代である。近代人はイエス・キリストを「物体」として描くことさえも出来ないのだ。ドストエフスキーの言いたかったことはそのことにほかなるまい。

 言うまでもなく、「物体」という観念が勝手にひとり歩きしはじめ、物を蔽い、目を曇らすからである。

 現代は生の不安を蔽い隠すあらゆる遁辞に満ち、外的現象に救いを求める人に満ちあふれているではないか、彼はそうも言いたかったのかもしれない。

 それでいて、悲劇の規模は中世末期の混乱の時代の比ではない。悲劇の分量の大きさに比例して、それを糊塗する自己回避の言論の規模も大きくなるのが現代の特徴である。

 ひとびとはあらずもがなの無用の言論に取り巻かれて、自分を瞞すために思想をあみ出し、不安から目をそらすために理論をこねあげる。こうしてことごとく悲劇の因果関係が説明され、自分の視野に閉じこめることで悲劇を遠斥けたと信じたがるが、そのこと自体が悲劇にもっとも近い地点に自分を立たせているのだということには気がつかない。

つづく

2006年07月31日

ハンス・ホルバインとわたしの四十年(二)

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(クリックすると拡大します)

 近代というものは、物を見つめる前に、物に関する観念を教えこまれる時代である。まず人間である前に、人間に関するさまざまな解釈に取り巻かれる時代である。

 私は物が見える(傍点)ということに対して懐疑的にならざるにはいられない。不安をごまかす観念のはびこる時代に物は見えない。私はバーゼルで見た一枚のホルバインの強烈な印象が忘れられない。

 それは高さ30センチ、長さ2メートルの細長い棺のなかに、等身大のキリストの屍体を長々と仰向けに横たえている横断図である。ほかにはなにもない。

 キリストを取り巻く群像もいなければ、十字架もない。だが、そのためもあろうか、私はこの絵の懸けてある部屋に入ったときに竦然とした。等身大の屍体は絵の枠をとび出して、あたかも立体的に、私の目の前に実際に置かれてあると思われるほど凄絶にリアルである。

 なかば開かれた目の中で眼球がひっくりかえり、白眼が剥き出している。顔は一面に青黒く鬱血し、骨ばった右腕は胴のわきにそって台架の上に無造作に置かれ、手首から先は異様に腐襴している。痩せ細った足首も黒ずみ、釘あとももう血の固まった跡らしく、どす黒い。

 これはたんなる屍体、たんなる物体である。ここにはキリストの苦悶をたたえる神話もなければ、秘蹟もない。そう言えば、これに似たものとして思い出されるのは、ダハウの強制収用所跡でみた大型の写真の中の、痩せさらばえたナチスの犠牲者の無残な屍体なのである。

 私は現代に比ぶべくもなく信仰心の篤い時代を生きたホルバインが、かかる「物」としてのイエス・キリストを描くことに成功した、その逆説に魅かれたのである。


つづく

2006年07月29日

ハンス・ホルバインとわたしの四十年(一)

 バーゼルに住む若い友人平井康弘さんから家族旅行の写真を添付したメールが届いた。今年はヨーロッパも異常気象で、熱波の襲来らしい。早くも会社を閉めてバカンスへとくり出す人が相次いでいるそうだ。

 ご一家はアイガーやユングフラウを望みながら3時間ほどのハイキングをした後、宝石のように輝くエシュネン湖に出るとそこは断崖絶壁に囲まれ、反対側の湖岸に見える滝に近づくには手漕ぎのボートで湖を横断しなければなりませんでした、と楽しそうに書いてこられた。写真を見るとなるほど絶景である。佳き夏の日々であるようだ。

 そして下欄に追伸として、バーゼル市立美術館が開催したハンス・ホルバイン展を見て来ました、と書いてあった。メトロポリタンやルーブルや大英美術館など至る処から彼の作品を集めての展示ではあるが、バーゼル市立美術館所蔵のものがやはり主流をなす、とも書いてあった。「エラスムス像や死せるキリストの絵は先生のご教示で私にとっても思い出の作品です。案内のパンフレットを後日送らせていただきます。」

 間もなくパンフレットが送られてきた。見覚えのある作品が細長い紙の表にも裏にも並んでいた。あゝそうか、と私は思い出をまさぐるように画像を眺めては独りで合点していた。

 私のバーゼル初訪問の若い日の記録は「ヨーロッパを探す日本人」の名で日録にも掲示させてもらったが、ホルバインを見たのもたしかあの初訪問の折である。そして、死せるキリスト、正しくは『キリストの遺骸』(1521-22)を見て衝撃を受け、文章を認めた。

 私の処女作『ヨーロッパ像の転換』の第11章「ヨーロッパ背理の世界」の結びにこのときの強烈な印象が綴られている。旧著を知っている方はご記憶にあるかもしれない。しかし若い読者はこの本をもう知らないかもしれない。

 昭和43年(1968年)11月号の『自由』に掲載されたと記録にある。バーゼル初訪問から二年ほど経っている。33歳になったばかりの8月か9月かに書いた文章だと思う。少し気負っているのは若さのせいとお許しいたゞきたい。

 ホルバインの世界が私の処女作と今私がやっている著作との二つに期せずして関係していることを友人の手紙は思い出させてくれた。


つづく


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